恍惚とした意識。ふわふわとした天国のような感覚に浮遊する青大の耳に、好きという声が、取り返しのつかない、甘い毒針となって青大の視覚を突き刺す。
(…………と……くん…………)
(え……?)
瞼を何度も開閉した。快感の色はピンクとは言うがそれは嘘だ。真っ白なバックグラウンドに浮かぶシルエット。身体を微かに強張らせ、快感を抑えようとする女の身体。その痺れが電流となって青大の脳漿を振動させる。
(あれ……明日香――――髪…………)
(青大…………くん…………?)
徐々に光茫が収まって行く。意識のジャミングの余波が青大を捉え、そしてそれが思わぬものを見せる。
(…………)
(…………)
(…………)
見様見真似の青大のぎこちない愛撫にも感じてくれている、羞恥の表情。それは、見慣れた可愛らしさ。青大が自然に心緩やかに、そして両腕に包み込みたくて止まない、かけがえのない女性の姿だった。
(枝葉――――――――!)
(青大くん…………好き…………)
頬に掛かる長い髪。彼女に逢いたくて、修学旅行の合間を縫って待ち焦がれた末の、忘れることがない、抱きしめたときの柚希の華奢な身体の柔らかさ、離したくなかった、離れたくなかった、このまま息をつまらせて死んでも構わないと思った、長い、長いキス。
高校の時の彼女の容姿に、昨日逢った、化粧をし、驚くほどの美しさを備えた大人の枝葉柚希が重なっていた。
枝葉柚希。昨日再会したばかりの枝葉柚希が、今、穢れなき美しい素肌を青大の前にさらけ出し、青大に組み敷かれる恰好で、恥じらいに頬を染めている。
(枝葉……そんな……)
明日香の顔が、浮かばなかった。青大の朦朧とした意識の中で突然現れた枝葉柚希の姿に、一瞬で全ての心を奪われた。
「青大……?」
明日香が潤んだ瞳で青大を見た。恋人の瞳孔が不自然に開いていることを、明日香は気づかない。自分を見つめ、微笑む表情も、優しくてそこはかとない頼りなさが満ちている、明日香がよく知る青大の“素顔”だった。
「ねえ、はる……んんっ!」
青大が貪るように唇を押しつけてきた。明日香の舌を捉え、絡み、甘い唾液を蹂躙した。
顔を上げた青大が今度は両手で頬を挟み、前髪や耳元に掛かる髪を愛撫する。
「あはっ…………、なんか、くすぐったい……」
肩を窄め、目を細める明日香。微笑みながら、青大は再び明日香の顔、唇にキスの大雨を降らせ、耳や首筋に舌蛇を這わせた。
青大の瞳には、甘く悶える“柚希”が映っていた。少しおっとりとした感じで薄化粧の柚希が、涙を潤ませながら、青大を見つめて離さない。
(枝葉……!)
声に出なかった。青大は再び、柚希の唇に激しく貪りついた。手のひらは、躍るように膨らみをまさぐった。
「あ……あ……っ、青大、痛い」
明日香が顔を顰める。青大は顔を上げ、苦笑する。
「わ、わりぃ……よぉ、知らんけぇ」
(大丈夫。私も初めてだから……その……優しく――――)
明日香の声が、柚希の声にコンバートされていた。青大の瞳に映る柚希の微笑みは、広島にいた頃、何度も救われてきた、青大にとってかけがえのない笑顔だった。
(枝葉――――オレは……)
青大のそれなりに逞しい腕が、明日香の背中に滑り込み、ぐいと持ち上げた。
「えっ……青大?」
上体を起こされ、狼狽する明日香。思わず、胸元を片腕で隠す。
瞳孔が開き、光を失っている青大が空虚の色で微笑み、明日香にキスをする。そして、その細いながらソフトで鍛えた引きしまった線の綺麗な脚を手のひらでまさぐりながら、膝裏にもう一本の腕を入れた。
「え……え、な、なに?」
怖がる明日香に構わず、青大はそのままぐいと腕に力を入れ、明日香を持ち上げた。いわゆる、お姫様抱っこという姿勢だ。
「青大……え、やぁぁ」
青大はそのまま振り向きざまに、葵が使っているベッドに明日香の上体を置いた。腰から下はベッドの縁の外に置くように。
「だ、だめだっぺよ……(だめだよォ、青大くん……葵さんのベッド、汚しちゃうよ……)らァ!」
青大はにやりと笑いながら、唇を塞ぎ、“柚希”の舌を吸った。
「わかっとるわ。だから……こうしてるんやろ」
そう言いながら、青大は明日香の腰に手を延ばす。宙に浮いている恰好の腰から、ミニスカートを脱がすことは、簡単だった。
「あ――――ばかァ!(やぁっ! 青大くんのエッチ!)」
じたばたする足。だが、頑強な抵抗もしない。青大は片足ずつ両手で押さえながら、ハイソックスを脱がして行く。
(ナマ足好きだ……)自覚したことがなかった。
そして、“彼女”らしい、白色の下着が、この状況で絶妙に艶めかしく映る。
「お前、好きなんやな、その色。ほんま似合うとるわ」
くすくすと笑う青大。その不自然な言葉に、明日香は疑問すら感じない。
「どーせ、お子様だよぉ! ほっといで」
(あの時よりも、ガン見しちょるわ)
家の池にはしゃいだ彼女が落ちた日。尊を必死で避けながら、コンビニからの帰路、風の悪戯で見た下着は、思春期もあって鮮明に覚えている。いや、思春期のせいじゃない。彼女だからこそ、忘れるわけがないのだ。
拗ねる“柚希”のそこを、青大は惜しむように惜しむように、敢えて触れない。顔を近づけるだけで、それが自然に柚希の羞恥を煽りたてる。
(もォ、青大くんがこんなにヘンタイだったなんて……幻滅)
ズゴーンという効果音が響く。慌てて言い繕うとする青大。
「お前……だからや」
「え……?」
明日香が視線を落とし、脚のつけ根にある青大の顔を見る。青大はにこりと笑いながら、“彼女”を見ていた。
「ヘンタイなるんは……お前だからや」
「…………」
明日香の顔が更に赤くなる。見廻せば、ショーツ一枚だけの姿だ。いつしか、裸同然にしていた。
「……ホント(本当? 青大くん……)」
「ああ、ホンマや。……お前だけじゃ……」
(嬉しい…………すごく嬉しいよォ!)
“柚希”の瞳から涙が落ちた。青大が身を乗り出し、彼女の顔を見つめる。
(キス……したい)
甘い声で囁き、瞼を閉じる。
「改まって言うなや。照れるじゃろ」
そう言って小さく笑い合いながら、自然と唇が開き、互いの舌が絡み合うのだ。
「ああ……青大……」
乱れる“柚希”の髪。耳朶に唇を寄せると、彼女の跳ね毛が青大の鼻を擽る。
首筋からこぼれる汗を吸いながら、青大はまた、“柚希”の胸を手のひら、口で弄んだ。押し寄せる快感に、明日香は必死で声を抑えようとする。
「壁が……かべがぁ……薄いのにィ……んぅぅ!」
指を噛み、痛みに注意を散漫させようとする明日香。宙に浮く腰、つま先を床に立て、支える姿勢だ。太ももに力が入る。無防備な腰だった。胸を蹂躙するに余った腕が、本能的に下り、最後の防壁に至った。
「ひゃあ――――!」
甲高い声に驚き、明日香は思わず身を捻り、顔を布団に埋めた。脚も反転し、床に膝をついてしまった。
よく女は感じればそこが濡れると言うが、あまり実感としてわかなかった。確かに、体温が集中したように熱く、湿気がある感じはするが、風聞とは違う状況に青大は一瞬だけ戸惑う。
(青大くん……私……)
布団に埋もれ、くぐもった声で“柚希”が言う。
「オレも……初めてやから……」
ぎこちない仕種で、青大はズボンのベルトを外し、半分落とす。トランクス一枚の前が、男の生理現象を顕著に示していた。しかし、こういう恰好はどんなイケメンであっても実は結構情けなく見える。
それに、青大自身も、それが立派なのか貧弱なのかが良く解らない。普通だと思っている。
(明るいのはやだ……それに、じっと見ないで……?)
それもそうだった。青大はぐいと手を伸ばし、電気を消した。閉めたカーテンを開き、夜光を入れた。青白い背中が、青大の意識を捉えた。ショーツに出来た一本の皺に影が出来た。
青大はショーツのつけ根の背骨に唇を当てながら、上に辿る。両手を前に回して、胸を揉んだ。そのまま、背中から腰を密着させた。
「青大……」
「これって、なんてゆうんやったっけ……」
(もう……そんなこと知らない!)
“柚希”が拗ねた。
青大は腕を下に延ばし、自身と彼女の下着をいじった。解らないことだらけだった。初めてなのに、こんな格好で良かったのか、などとは考えなかった。葵のベッドを汚せない。それが、この格好なのだから。
「…………」
「あれ?」
当てる度に、切ない声を上げる“柚希”。全然、わからない。
「え……っと……」
彼女も怖いのか、やはり逡巡する。青大自身が、彼女の柔らかな太もものつけ根を往復する。
「あぁ……くすぐったいけど……なんか……」
もじもじと脚を組み、太ももを合わせ青大を挟もうとする。
(ねぇ……青大くん……ごめんなさい……私――――)
それは罪悪感の声だ。途端に青大が声を上げる。
「無理はしねぇ。今日はこうしとるだけで、十分や」
青大が庇う。それが優しい彼。
(待って……それじゃ青大くんが……その……)
「ええて。こんなんでお前の辛ォ顔、見たくないんじゃ。無理すんな」
それは、“柚希”への言葉。
「……じゃあ……やったことねぇけど…………その……私のこごで……」
明日香が唇を突き上げる。だが、青大は小さく首を振り、彼女の腰を、ひと撫でした。
「さっきので頼めるか」
「さっき……? 脚のこと?」
「ああ。それでええよ。そこから先は、また後でええから」
「やだ……なんかこりこりするよォ、これ……」
「やべ……気持ちええわぁ……」
太ももを合わせたところに青大は執心した。そして、枕元のティッシュペーパーを思いきり引き抜き、咄嗟に果てたのだった。
お茶をこぼした絨毯の上。青大が仰向けになり、裸の“柚希”が、上から重なった。身体を密着させ、キスをしながら、互いに腕を回してまさぐるだけだ。
「好き……好き(好き……青大くん……あぁ、これ、すごく気持ちいい……)」
舌を絡めすぎ、口の端から漏れた唾液が、絨毯にシミを作っていった。
「好きや、ホンマに……大好きやわ……なぁ――――――――」
…………ゆず…………
やがて疲れ、意識が落ちた。その呟きの直前に、彼女が先に落ちた。青大も、間もなく、落ちた。抱き合い、舌を絡めながら、目の前の影に重なる人とともに。
早暁。
目覚めた明日香は眠る青大に長いキスを与えた後、幸福感に笑顔を湛えながら、自室に戻っていったのであった。