「清美。明日じゃけど……」
その夜、仕事から帰ってきた青大が切り出した。
「ええ。大丈夫よ――――」
「……身体の方は、ええんか?」
「うん、平気。……もう、心配性ね。相変わらず」
「当たり前じゃろ。明日は俺の側から離れんな、がっつり掴まっとれ」
そういう青大に、清美は微笑みながら早速腕を絡めてくる。
「こんな風に?」
「あ……ああ、そうやな」
青大は頬を染めながら冷静さを保とうとしたが、胸に当たった清美の腕には、しっかりと青大の速い鼓動が伝わっていた。
翌日。喪服に身を包んだ青大と清美が、ハイツ旭湯の部屋を出た。
「お花は、昨日頼んどったけぇ」
「気が利くのね、青大」
「常識じゃ」
目を細める清美に、得意げにウインクをしてみせる青大。
駅に向かう途中のフラワーショップで、注文していた花を受け取る。そして、電車を避けてタクシーを拾った。
「ここに来るのも、随分久しぶりじゃなあ」
「そうね。青大は、この日には敢えて来なかったものね……」
水を汲んだ花桶を置き、清美の言葉に頷く青大。
「オレなりの筋の通し方じゃ――――なァ、風間」
【風間家之墓】 そう刻まれた墓石に向かい、花立に買ってきたばかりの花を添える。
風間恭輔の七回忌。
彼が死去してこの数年、青大は月命日のみで、敢えて正忌の墓参をしてこなかった。
「オレは……風間の前に正々堂々と胸張って来られるようになるまで、敢えて今日を避けてきたんじゃ。許せェや」
墓前に線香を供えながら、青大が語る。
「お前と交わした勝負な――――、疾うの昔にオレは負けとった。……いや、放棄しとったのかも知れん」
「…………」
「風間――――お前勝ち逃げしよって。あいつの想い、雁字搦めにしたまま逃げよおたらオレ何にも出来んなら!」
青大の声は静かで、それでも忘れ得ぬ親友への想いに満ちあふれているものであった。
清美もまた、青大の傍らで涙を怺えるように瞼を閉じている。
「全く――――お前は死んでしもぉた後も……オレが心ン中で勝負を放棄した後も、容赦しねぇで新たな勝負を仕掛けて来やがって……。なァ風間――――」
隣で、清美の微かな嗚咽が聞こえてくる。
「お前のお陰でこの勝負、ケリつけるの今日まで掛かってもォたわ」
青大は顔を赤くし、涙笑いを浮かべながら、清美の肩を抱き寄せる。
「聞いてくれるか風間。……オレたちな、今日――――籍を入れることにしたんじゃ」
その瞬間、一陣の風が通り抜けた気がした。新鮮な秋空に、色づいた葉が舞う。
「喪服を着ながら、オレと清美はこれから届出してくるんじゃ。可笑しいじゃろ? なァ、風間」
清美はただ無言で、恭輔に語りかけ続ける青大の言葉を聞いている。
「お前が、清美のことオレに頼むって言うたこと……。あれも勝負じゃったんじゃな。お前に清美の心までも雁字搦めにさせたままでじゃ――――オレが最後までお前に勝てないもんあったままじゃ、もォどおなろぉに」
「…………」
「だから――――お前に一矢報いとぉてその勝負受けて立ったんじゃ。お前を想っとった清美のこと……解放させてやることにしたんじゃ。……まあ、時間はよおけえ掛かったがな」
「青大……」
「はははっ……お前も人が悪ィな。オレがボロ勝ちするの分かっとって、そんなん勝負仕掛けて来やがって――――。オレ、今もお前の掌で踊らされているようじゃ」
風と木の騒めきだけが伝わる霊園。
「でも――――今はなァ……それが心地ええんじゃ。ブチ……心地ええんじゃ」
「恭輔くん……私、今すごく幸せ」
青大の腕をしっかりと掴みながら、清美が口を開く。
「あなたがいなくなってしまって、辛くて、悲しくて、何度も心潰れそうになったけど……青大がずっと側にいてくれたの。……たとえきっかけが恭輔くんの言葉だったとしても――――彼はいつでも私の隣にいてくれたわ――――」
「…………」
青大がきゅっと清美の手を握りしめる。
「あなたがいなくなって……いつの間にか、私はこの人のことが……あなたよりも大切に思えるようになったの。自分でも不思議なくらいよ……こんな気持ちになるなんて」
清美が言いながら青大を見つめて、赤い目で微笑む。
「恭輔くんより好きな人が出来たなんて言ったら、焦っちゃうかしら。……ふふっ、そんなことないわね。あなたならきっと、大きな拍手をしながら喜んだはずね」
「風間。オレらはもォ落ち着くけぇ、お前もようゆっくり休めや。今日はな、そんな報告をしたかったんじゃ……ここまで来られたのはきっと、お前のお陰じゃけぇな」
「そうね……そうよね――――」
肩を抱き寄せ合う青大と清美。そして、帰り際になり、風が強く吹いた。
小春日和の温かな一陣の風は、まるで風間恭輔からの声のようにも思えた。
「そうじゃ風間。清美はな、今――――」
青大の声が木々の騒めきにかき消され、ただ快晴の参道を寄り添いながら去って行く恋人の姿が映し出されていた。