「栗名月の供えもの……ですか」
「そう。近くのお稲荷さんでやるんやけど、ちょっとしたお祭りみたいなものあるじゃない? そこへ出すお団子とか、お菓子とか作るのよォ」
「そんなん、地区の集まりとかでやるんじゃないんですか」
青大の疑問に、横から七海が耳打ちをしてきた。
「山崎部長が、その地区なんよ。お母さんから頼まれたんだって」
その耳打ちが聞こえたのか、山崎部長が母親の物真似然として、身振り素振りを交えて言う。
「あんたのクラブて、調理部じゃったねぇ。ひとつ、頼まれて欲しいわぁ」
胸元で手を組みながら身をくねくねさせて独り芝居をする。それを見て笑う七海と部員たち。
「まァそんな感じで、ウチらも吝かじゃなかったんよ。そん話承けたときに、ちょうど桐山君が帰ってきたって訳なんよォ。タイミング良すぎじゃね」
「……はははっ。そうっスか」
「そんで、無理にとは言わんけど……ちょっとだけ手伝ぅてくれないかな……」
まるで子犬が懇願するかのような眼差しで青大を見つめる山崎部長。七海も横から哀願するような視線。
「……分かりました。先輩や神咲にはお世話になりましたけぇ、手伝わせて下さい」
青大にはほぼ選択肢はなく、期待通りの回答に山崎部長や部員たちは飛び上がる勢いで喜んでくれた。ただ少し手伝うと言うだけで、喜んでくれる。この雰囲気が、青大の心を和ませてくれるようだった。
「……あぁ、そうじゃけぇ、飯は要らんわ。ゴメン、先帰っちょるから」
携帯電話で母親に事情を告げると、渋々と承諾した様子だった。
「ゴメンね、桐島くん……なんか、無理お願いしちゃったみたいで」
「あーあ、別にええよ」
ボールに入れた小麦粉を練る作業をしながら、青大が微笑む。
「おばさん、何か言ってた?」
「従妹が会いたがっとる。はよ来んさい」
「えっ……それじゃ――――」
狼狽する七海に青大は笑って言う。
「いやいや、従妹に会うと長いんじゃ。ええ口実が出来たわ。ありがとな、神咲」
「あ、う、うん……それなら、いいんだけど」
七海は鍋で湯を沸かす係だ。月見団子を捏ねる係は部員。山崎部長は別の供えものを誂えているようだ。
「今日の七海ちゃん、すごく嬉しそうな顔しちょったから、どうしたんかと思ったんだけど、ようやく分かったー」
「桐島君が戻ってきているって事だったんなら、謎が解けた感じじゃねえ、うんうん」
部員たちの冷やかしに七海が顔を赤くして首を横に振る。
「そ、そんなことッ! も、もォ。あまりヘンなこと言わんとって……」
強く否定することも出来ず、肯定したいが恥ずかしさもあって弱々しくなる七海。青大がそんな七海に飄飄と救いの手をさしのべる。
「話ばっかしとらんで、手ェ動かせや。遅うなるぞ」
「はーい。くすくす」
青大の言葉に素直に従うも、笑みは絶えなかった。
七時が過ぎ、下校時間ぎりぎりに作業が終わった。
「ありがとう、桐山君。ほんまに助かったわ」
「なら、良かったです」
「お礼は何がいいかな。……そうね、東京に行んときにまた作ってあげようか。おみくじクッキー」
「いえ。アレはもうええですから」
心から辞退した。
「えーっ、じゃあまさか、行んときまでに私とデートせえと……?」
「いえ。何も要らんですから。ははは」
あっさりと否定された山崎部長は心なしか不服そうにも見えた。
「わかったわよ。でも、本当にありがとう、桐山君」
「あ――――ひとつ、ありました頼み事」
青大が手をぱんと鳴らし、山崎部長を見た。
「え、なになに? 何でも言うて」
――――オレの名前、覚えとって下さい。オレは、桐山じゃのうて、桐島です。
七海と並んで歩く、学校帰りの桜並木。春は一面の桜花爛漫。ちょっとした名所だ。
「今日はありがと。本当、助かったわ」
「はははは。神咲も、部のみんなも、お礼の安売りじゃな」
青大が笑うと、七海がぷうと頬を膨らます。
「や、安売りじゃないよ。本心から言うとるんよ」
「ああ……。お礼を言うんは、オレの方や。……ありがとな、神咲」
不意に神妙な表情に戻った青大が微笑みを向ける。
冷静に、静かになっていたはずの想いの鼓動が、速くなって行く。
「栗名月――――十三夜……か」
青大が空を見上げる。大きな月が、日が暮れたばかりの東の空に映ゆる。昨日と同じ、銀色の月光が世界を照らし、桜木の影を強調する。
しばらく歩いた。他愛のない会話。まるで、青大がずっと広島にいるかのような、当たり前の談笑。
そして、自然に、七海の口からその言葉が出た。
「桐島くんも、来ん? 明日の栗名月。御稲荷さんで」
「明日……ああ、確か先輩の家近くの……じゃったか」
「夏祭りほど、大掛かりじゃないとは思うんけど。ホラ……多分、参道には提灯も出ていると思うし……雰囲気はあるんじゃ、ないかな……って」
「そうじゃな……」
青大は少し思いを巡らせた。しかし、その誘いを断る謂われもない。
「ええよ。行くわ」
「ホントッ!? えっと……その――――」
嬉々とした七海の詰まる声。青大はくすと微笑んで、こう言った。
「神咲も、一緒に行くか」
思わず青大を見る七海。青大も、楽しげに七海を見ていた。
「あの……う、うん――――」
嬉々として、満面の笑顔で頷きたかった。しかし、言葉も噛み、表情も不本意に強張ってしまった。
「あはは……」
七海の様子に、思わず青大が笑いをこらえきれなくなった。
突然、意味不名に笑われた七海は、少しだけむっとして青大を睨む。
「どうしたん桐島くん。私今、何か笑われるよォなことした?」
すると青大は月をまっすぐに見つめながら小さく首を横に振った。
「ちょっと、思い出したんじゃ。――――入学して、間もない頃を」
「え……?」
七海の心から、不満が一瞬に消える。
――――この並木を、神咲が一人帰ってゆくのをオレは追って……
初めて神咲とまともに話が出来たことが嬉しゅうて……
でも、テンパって、トンチンカンな事ばかりゆうて、神咲に嫌われた思ぅて……
「何か、あん時のオレ、見とるようやったからな、今の神咲」
照れくさそうに笑う青大。
不意に足音が一つ減り、青大が歩みを止めて振り返る。
青大から二、三歩ほど背後に、月光に照らされた七海が、鞄をいつものように両手に提げ、俯き加減に青大を見つめている。
「私は……ずっと思うとったんよ?」
七海が弱々しげに口を開く。
……憶えてる。と言うか、忘れるわけない。
あのとき、初めて桐島くんと話すことが出来て……本当に嬉しかったんよ。
これからはもっと……仲良うして……って。
ずっと……中学の時からずっと、気になっとった人だよ、桐島くん……。
「神咲……」
「私が、あん時の桐島くんだったら……桐島くんはあん時の私……じゃね」
「…………」
「私の気持ち――――私が言いたいこと……同じ……なん?」
七海が一歩、その華奢な足を進め、青大を見つめる。瞳が湿潤し、銀の光を湛えた。
言葉が途絶え、夏の名残の鈴虫がさんざめく。
ざす……
もう一つ、土擦れの音がした。青大もまた、この清夜の月光に中てられて妙な気持ちになりつつあった。
その時、涼しい微風が、通り過ぎて行った。その瞬間、七海の香りがかすかに青大の鼻腔を掠めた。柑橘系という言葉が似合う、爽やかで温かみのある、良い香りだ。
そして、もう一歩……七海が青大の前に進んだ。
「明日も、晴れそうじゃな」
踵を返し、青大が突然、朗々とした声を発する。ぴたりと、七海の足が竦んだ。
「う……うん。来週まで、良い天気――――だって」
「そうかー。でも、やっぱ秋じゃな。夜になると、風も冷たいわ」
「…………そうじゃね」
「明日は、風邪ひかんように、せんとな」
青大がそう言ってにぃと笑い、おもむろに歩みを始める。
「あ………」
七海は驚いて、小さな声を上げた。青大が、鞄を持つ七海の片手を取り、きゅっとその手を握ったからである。
「桐島くん……」
七海もまた、握りかえす。頬の朱も、銀の光に融けた。
そして、それは入学当初とは格段に違う、青大と七海の進展であったに違いがない。
岐路で別れるまで、二人はしっかりと手を繋ぎ、月下の並木道をゆっくりと歩いていた。