ぎこちなく、怖物に触れるかのように、青大は七海の唇をなぞった。柔らかく、唇どうしが触れているだけで、この少女の全てを蹂躙したくなってくるような、どす黒い感情すらわき上がってくる。
だが、青大はそれをさらりと抑える。思いを寄せる相手には、必要以上に身を律しようとする。
七海の甘い声に驚き、青大は身を引こうとした。しかし、そんな青大の節義を感じた七海は、咄嗟に腕を青大の首に回し、力を込めた。
(神咲……!?)
不意打ちのような柔らかな搦手に囚われ、思わず目を瞠った青大に映った七海のいつしか閉じた眦からは、すうと僅かな涙の筋が伝っていた。
それは、答えを長く待ち続けていた少女の、溢れる想いなのだろうか。
青大は離しかけた腕を再び七海の背中に戻し、その短い髪に指を絡めた。
遠くに聞こえる談笑。そして、この二人を包むのは、深まる秋に唱う虫たちの聲。
「神咲の髪……柔らかいな――――」
「え……そ、そうかな――――ご、ゴワゴワしとらん?」
「そんなことない。すべすべや」
青大も照れ臭いのだろうか、柄にもなく女の子の髪などを褒めてしまって、逆効果に顔が真っ赤になる。七海の髪に絡めた掌に汗が滲む。
「ありがと、桐島くん……。うれしいよ。お手入れしていて、良かったぁ――――」
七海がそう囁きながら微笑んだ。
「神咲……」
青大の胸奥がどくんと突き動かされる感じがした。最後の節義を巡る攻防が、山場を迎えたのだ。
抱き合うと言うよりも、それはまるで小学生のおふざけのような感覚。互いに、もどかしい程に遠慮と羞恥が入り乱れて、互いをなかなか引き寄せられないでいるのである。
「桐島くん……あのね?」
青大の背中を包み込みながら、七海が言った。
「私……桐島くんのこと――――大好き……」
再びの告白。それは、あの日。青大の自転車のリアキャリアに飛び乗りながら、勢いに託つけて告げた、一世一代の告白だ。
時に“愛の告白”というのは、いつ、何度聞いても心の奥底に沁み渡るものなのかも知れない。“大好き”という言葉は、今の青大にとっては何にも勝る、万能たる魔法の言葉だった。
「……でも――――桐島くんは……」
無意識に、青大の腕に力がこもる。七海の身体は、細く、それでもしなやかで、しっかりとしているように、温かかった。
「私……とことん、狡いんだぁ! 桐島くんの心に、つけいろうとしているの。自分でも、分かっている――――いやな子、だって……」
「神咲――――」
最初の告白も、青大の心の間隙を突いたものだった。そして今も。七海は、青大を想う言葉を伝える時宜の悪さに、自ら呵責していた。
七海の眦から、再び熱い涙が、溢れてきた。
「それは、違う――――」
青大が、しっかりとした声で、そう言った。
「…………」
七海が、青大の肩に顔を埋めて、青大の声に意識を集める。
「神咲は何も悪ぅない。オレが、弱いだけなんや。いつまでも弱うて、尾を引いて……神咲にも、ぶち迷惑掛けとォて――――神咲も、他の奴らも、誰も悪うないんじゃ」
「桐島……くん……」
「無理しとるのも……それで、オレのやったことの罰のひとつにでもなればと思ったんじゃ。……広島(ここ)に来て、向こう(東京)は楽しいところじゃ。なんも寂しいことはないってな、東京行って、正解じゃったと……そう、皆に思ってもらわんと――――行った甲斐……なさ……過ぎるじゃ…………ろ」
正直な青大の声が、急に崩れた。唇を噛みながら、震えを超して、声がかき消える。
七海は青大の背中をくいと軽く引き寄せるように腕を引いた。すると、ゆっくりと七海が仰向けに、青大が七海の上に覆い被さるような格好で、社の縁に横たわる。自然と両肘を板に突き立て、重くならないようにする。単着物の片方の肩が、少しだけはだけ、白く、少女の細い鎖骨がかすかに覗いていた。
「神咲が、あんなこと言わんかったら――――笑ォて、東京戻れたんじゃ」
十三夜の皎月に照らされた七海の微笑みが、哀しそうに、しかしそれを超える喜びに満ちて青大を見つめていた。
「なら……よかったぁ」
思わずそう返して瞬間、目を瞠り失言に狼狽しかける七海。そんな七海の唇を、青大は覆い塞ぐように上から奪ったのだ。
「あ――――はる……ん……んっ……!」
突然の積極さに、七海は驚きながらも、初めて受ける、青大の舌の温かさを口のうちに感じると、次第に瞳が盪けてくる感じがした。
青大がそっと顔を離すと、わずかに開いた七海の形のいい唇を繋ぐ糸がきらりと輝いた。
「神咲を……感じたいんじゃ――――」
青大は片方の肘に力を集中させ支点とし、空いたもう片方の腕を上げ、手のひらをそっと、七海の単着物の上から、胸もとに添えた。
「あ……やァ――――」
七海が頬を朱に染めて顔を背けながら、身を捩らせようとする。
「あ――――わりィ……つい……」
青大が我に返りかけ、慚愧に顔を青ざめさせた。
「ち……違うの――――そうじゃなくて……その……初めて……だから。少しだけ……びっくりして――――」
か細い声で、七海は呟く。その様子は決して嫌悪している訳ではなく、むしろ嬉しさと期待に噎び、急かすかのような感じすらした。
「いいのか……? オレ……」
最後に残った一枚の節義が、そう言わせた。
「それは――――私のセリフだよ、桐島くん……」
軽く舌を覗かせて、七海が悪戯っぽく笑った。それが、答えだった。
「やだ……はずかしいよ」
七海の嗄れ声を聞きながら襟元をずらし、七海の乳房が皎月の光に晒される。着瘦せするのだろう。制服の上からも目立っていた大きな膨らみは、どんな雑誌のグラヴィアをも敵わないほどの、青大の想像を超えた豊満で、綺麗なものであった。
「ほわぁ……神咲――――マジで……キレイ…じゃ」
月光に照らされた七海の胸に、洗煉された白瓷とはこういうものなのかと、思ってしまう。
「もォ――――そんなんじろじろ見たら……」
必死に顔を背け、朱くなった頬を隠そうとする七海。そして同時に身を捩り、はだけた胸元を隠そうとするのは、やはり本能的なものなのだろうか。
「神咲……ヘンなこと、言ってもええか?」
不意に青大が小声で囁く。
「え…? な、なに?」
思わず、焦る七海。何か身体に拙いところがあったのだろうか。青大を不快にさせるようなものがあったのだろうかと、
「オレ……ずっと――――見てたんじゃ……神咲のムネ」
「…………は?」
突然、そんな素頓狂なセリフが青大の口から飛び出し、七海は思わず、呆気にとられる。
「ご……ゴメン――――軽蔑……したじゃろ……」
青大が落胆の色を込めてため息をつく。惘然としていた七海が、少しの間を置いて、くすくすと笑った。
「桐島くんって、エッチだったんだ」
「…………」
恥じ入る青大。しかし七海は、青大の片腕の手首をそっと握ると、自らはだけた胸元に導いた。
「ん……」
青大の手のひらに柔らかな痼と、外気とは裏腹な熱さが広がる。
七海はまるで自慰をしているかのように頬を染め、瞳が潤み、切なげに青大に微笑みを向けている。
「嬉しい……私のこと――――見てて、くれてたんね……」
そう言った七海は、昔から知る、思いを寄せていた神咲七海の表情。
「…………!」
青大の心の障壁は既に失し、再び、その唇を奪うように覆い被さった。そして、七海に導かれた豊かな乳房に乗せられた手の指を、そっと少しだけ曲げた。
「あっ……んん……きり…しまくん!」
舌を絡め合いながらも、思わず快い苦しさに、声を押し殺して叫ぶ。
青大の手が、大きくも弾力がある七海の胸を徘徊して、離れない。もう片腕を七海の背中に回し、初めてのキスというのにはあまりにも濃い交歓。七海も、眦から涙の線を断続的に伝わせながら、しっかりとその腕は青大の背中を捉えていた。