「え? なんて父ちゃん」
昼食の青大製冷し中華を平らげた後、父が言った言葉に明日香は耳を疑った。
「んだがら、せっかくハルト君も来てくれだんだがら、二人しでどっかさ行ってくればいいっぺよ」
「……っで、うぢのごどは誰がすんのさ」
「なんたらおめも人の話聞がねな。だがら、たかが二日や三日家空げだって死ぬワゲじゃね。おめの用事終えでがらでもいいって、ゆったっぺや」
呆れながら父が言う。
「……でもさ、父ちゃんたちだけじゃ、やっぱり……」
「ねーちゃん、俺ら何も出来ねーって馬鹿にしてっぺ!」
弟の怒り声。
「料理はアレだけど、洗濯ぐれーは俺でも出来らぁ!」
「メシは何とでもなるさ。米の炊き方くれえは父ちゃんでも分がる」
「…………」
その張り切り方が心配だと、明日香は目で訴えている。
戸惑う明日香の肩に、青大はぽんと手を置いた。
「青大……」
「お父さんたちの好意じゃ。ここは素直に受け止めようや」
そう言って、青大は明日香の父に深く頭を下げ、弟には満面の笑みで謝した。
「今がら沖縄さは無理だけんどな……」
明日香の父が言うように、正直予定が狂ったので今からツアーも何もない。ましてや、自費で沖縄に向かうことなど無理だった。
「仙台、岩手あたりだば、旅費出してやれんだけど――――」
「え……そ、そんな、無理です!」
父の提案に、青大は愕然となって慌てて両手とかぶりを振る。
「ウヂの組合が旅行ン時に使ってるトゴだがら安ぐ出来んのさ」
「いえ……、しかし……」
青大はなお遠慮する。
「あ、それども、北東北は行きだくねえか?」
「いえ! そんなことは無いんですけど……」
逡巡する青大に、今度は明日香が身を乗り出す。
「父ちゃんがせっかく出してくれるってんだから、行こッ、青大」
「おい、明日香……」
「ね?」
明日香と見つめ合う青大。その瞳から伝わるのは、昨夜の会話のこと。沖縄旅行の仕切り直し。二人だけの夏休み旅行の実現だ。
青大は申し訳なさそうに肩をすぼめ、明日香の父に頭を下げた。
その日、青大は心持ち不安だった炊飯器での米の炊き方や、作る作らないを別にして簡単な料理を明日香の父や弟に教えた。明日香の父も、どこかに電話を掛け、流暢な方言でやりとりをし、青大や明日香の旅行先の手配をしてくれたようだった。
そして翌日。新幹線の駅に送ってもらった青大と明日香。
「本当なら日光とか、那須あたりが良いんだろうがな、今時期は混んどってなぁ」
父の言葉に、明日香が突っ込む。
「と言うより、単に旅館が一杯で取れなかった、ってことだべ?」
父が苦笑する。
「ごめんなハルト君。何かつまらんところに行かせてしまうことになって」
「そ、そんなことないです。ホント、ありがとうございます」
ぺこぺこと頭を下げる青大。
「ま、わざわざ来てくれた礼と、ハルト君なら、こいつを安心して任せられるって事だからさ。ゆっくり楽しんで来なよぉ、はっはっは」
うら若き美少女の娘を持つ父親が、その言葉にいやらしい意味を込めているとは思えなかったが、青大に対する好感度は、紛れもなく高かったことは言うまでもない。
青大は戸惑いながらも明日香の父の配慮に深い感謝の意を表し、かたや明日香は葵の揶揄の時のように想像を逞しくしながら顔を真っ赤にしてもじもじといているだけであった。
青大と明日香を乗せた新幹線が、北へ約二時間弱。そこから乗り換えて二つ、三つ駅を北へ。夏の北東北とはいえ、青大の故郷・広島とさほど風景が変わらないような田舎の佇まいが広がる地へと降り立った。
「なんや……実家のあたりと変わらんな」
広島あたりの人間から見れば、東北とはよほど自分たちよりも田舎という心象がある。だが、実際に降り立ってみると、そこはかとなく見慣れた風景や建物が並び、何ら変わった様相もない。
「それを言うなら、ウチもだよ」
明日香も同意する。
「ま、お前と一緒ならどこでもええけどな」
「えへへー。あ、そういえばさ。何かここいらって、今年中に世界遺産に登録されるとかされないとかって、話題になってるらしいよ」
「世界遺産? アレか、石見銀山みたいなもんか」
「よく分からないけど。……そういえば旅行会社のパンフレットに、東北の旅ってのもあったから、ツアーの中にあるんじゃない?」
「ふーん」
「何だよ、すっごくつまんなさそうな顔してる」
「は? そんなことないって」
明日香のジト目に思わず尻込みをしてしまう青大。
「……まあ、いいか。ここまで来たんだ。どうせ逃げられないし」
「なんじゃ、その逃げられないって――――」
「別にー何でもないよ。こっちのこと」
明日香は背中を向けてはぐらかした。
父に段取りを聞いていた明日香が電話を掛ける。こちらの知り合いの人間らしい。十分ほどで来るとのことだった。
「それにしてもこごら辺って昔っぽい建物ばっかりだ」
明日香が感嘆しながら周囲を見回す。
「町全体を世界遺産にするんやったか、確か」
「あれ、そうだっけ。何かお寺みたいなものじゃなかった?」
よく分かっていない二人。ただ、駅前の街並みや、旧国道4号線を挟んだ商店街は、黒と白のシックな建物で揃い、この町が何か大きな事業を成し遂げようとしているという雰囲気が伝わってきた。
物珍しそうに土産物屋などを見回っていた二人。やがて明日香の携帯が鳴り、迎えが来たとの連絡が入った。
「あんたらが御島さんの――――」
青大の実家の近所に住むトラクタのおっさんのような感じの中年の男性が二人を見つけて声を掛ける。
「明日香です。お世話になりますー」
「桐島青大です。お手数ですが、よろしくお願いします」
頭を下げて挨拶をする二人。男性が笑って挨拶を返す。
「ほおほお、ハルト君に明日香ちゃんか。うんうん今どきの子らにしちゃしっかりしとるのう。おらは千葉潔ってんだ。御島さんにはいつもお世話になっとります」
「あ、はい。父ちゃんも千葉さんによろしくって――――」
ひと通り挨拶を交わすと、ロータリー駐車場に停めてあった千葉の四駆車に乗り込む。恋人同士は隣が良いだろうと、二人ともリアシートに座った。
「二人とも行き先は聞いてるんか?」
「あ、いえ。……お前は?」
「父ちゃん、千葉さんに任せるって言ってませんでした?」
「あははー。オッケ、オッケ。あんまり遠くにって訳にもいがねーが。いいどごさ行っから」
千葉は勇んでエンジンを吹かした。
「平泉さ来でもらっで引き返すもあれだけんど、いどごだから」
車は田園風景を望む県道を南に向かう。
「へえ、ハルト君広島がー。なんたら遠いごどだやー」
感心する千葉。名物の話やら野球の話やらと車中は実に賑やかだった。ちなみに千葉は年配らしく巨人のファンだという。
県道の突き当たりから国道342号線を西へと車は走る。両側が山の風景。
「なんかオレの田舎と変わらんなァ」
「お、ハルト君の田舎もこんな感じなんが」
「はい。ウチも周囲は山ですから――――」
「でもアレだろ。東京慣れっどあんまし来だぐねーべ、こんなどごさは」
「そんなことはないです。むしろ落ち着きますよ」
青大の言葉に、千葉は笑った。
「いい心構えだなァ。な、明日香ちゃん」
「はいぃ?」
いきなり振られて驚く明日香。
「あんたの彼氏はいい旦那になるでよってごどさ」
「そ、そう……ですか。あはっ――――」
旦那という言葉に反応し、顔を真っ赤にする明日香。そして青大も強く意識し、一度明日香と目を合わせると恥ずかしさに俯いていた。
国道は車がやっとすれ違うほどの細い山道をくねるように上ってゆく。駅を発って約二時間。夏の午後の陽射しは山の上にも降り注ぐ。
「ほわぁー。ねえねえ青大! 見てよ、何かすごい綺麗」
窓の外の山並みに感嘆する明日香。
「ここら辺は地震があっでな。山が崩れだんだけども、やっと立て直しだんだ」
「あ、知ってます。確か三年くらい前にでしたっけ……」
「ほお、君も知ってるか」
「はい。オレらも学校で義援金集めましたから」
「そっか。ありがとうな」
「私も集めたよ。部活のみんなでさ!」
「二人ともありがとなー」
やがて、ホテルのような建物が見え、車や人もそこそこ賑わう場所に辿り着いた。青大たちを乗せた四駆車は、道路を挟んだ駐車場ではなく、道路脇に寄せて停まった。
「ホイお疲れさん。ここが須川温泉だ」
「あ、ありがとうございます!」
青大が頭を下げる。
「おじさん、サンキュ」
明日香がウインクをすると千葉もし返した。
「おう、ゆっくりしてってくれ」
「千葉さんはどうするんですか?」
「俺はいぇさ帰ぇるべさー」
「そんな、悪いですよ」
「んなごだねえ。こごさはしょっちゅう来でんだ。とっても良いがらゆっくりしでげ。んーっと、明日迎えに来ればいいんだべ?」
「あ、うん……確かそうだったような」
明日香が少し思考を巡らせてから頷いた。
「オッケ。昼頃来っがら。……おいハルト君」
「は、はい」
にやにやとしながら千葉が青大の耳に寄せて囁く。
「一発決めんべ?」
「な――――――――ッ」
青大が愕然として顔を真っ赤にする。
「昼間はゴチャゴチャしてっけど、夜は静がだがらいいぞ? ムードバッツスって感じだな!」
「は……はい――――」
戸惑い苦笑する青大。明日香はきょとんとして男同士の会話を見ていた。
「よっしゃ!」
千葉は青大の肩をぽんと叩くと二人を車から降ろし、笑顔で手を振ってから車を発進させていった。
「ねえ青大、千葉のおじさんと何話したの?」
「…え? いや、たいしたことじゃないけぇ――――うん」
「? 変な青大……」
じっと見つめてくる明日香をはぐらかすように青大は足を進める。
「ホラ明日香。チェックインしようぜ」
「そうだね。温泉かー。早速入りたい!」
青大の腕に腕を絡みつけて、二人はロビーに向かった。