Chapter.2 ぎりぎりの岸辺 - Pain in the heart -
「どうですかー、青大さん?」
予想はしていたが、いつの間にか懍の衣服選びがメインテーマとなっていた。ファッション雑誌や、ディスプレイを較べ楽しそうに選んでは、試着室での一人ミニファッションショー。いつだったか、プールに遊びに行くと言った時に、懍の水着の試着を見せつけられたことがある。
「あーあー、似ぉー、似合ーちょるー」
投げ遣りな青大の受け答えに、懍は不満げに唇を尖らかす。
「何ですかー、そんなに似合いません? と言うよりも、青大さんにとってつまらないですか、やっぱり」
「なんでそう解釈するんじゃ! それになんや、そのつまらないって」
キタ。青大がこういう言葉に反応することが、懍風のおちょくりの端緒。そして、懍にとってはささやかな“青大独り占め”の好機なのである。
「えっとですね――――ちょっと待っててもらえます?」
そう言うと、懍は陳列棚の服を再び物色し始め、時々青大に悪戯っぽい笑みを見せる。
こういう場面では1分が5分にも感じ、5分が1時間にも感じる。
「おい懍ちゃん、早ぉせぇや! こんな所いつまでもおってブチ恥じィわ!」
肩に貧乏揺すりを集中させる。確かに、婦人服売り場に孤立させられる男に対する奇異な視線は堪えられるものではない。青大を見ながらクスクスと笑ったり、ひそひそ話をする女達のただ中はまさに拷問だ。
「恋人同士に見えますから大丈夫ですよぉ」
試着品を抱え、試着室に入る直前にそう言って笑う。
「見えんわ、どう見ても兄妹じゃ!」
青大が顔を紅潮させて否定する。
「そう思っているのは青大さんだけですよ~」
試着室のカーテン越しに、懍のケラケラとした笑い声が響く。
「……全く――――冗談が過ぎよォるわ」
青大の照れ隠しのぼやきを、懍は仄かに頬を染めながら聞いていた。
「青大さん、開けてもいいですか?」
しばらくの放置の後、漸く懍の声が掛かる。
「おお、決まったんか。早よォせぇ」
一瞥程度に試着室を見る青大。
カーテンレールの滑る音と共に、着替えた懍の姿が青大の視界に映った。
「ちょ……、おま……!」
思わず二度見、三度見の勢いで、青大の視線が泳ぐ。
「どうですか青大さん、似合いますぅ?」
贔屓目に見ずとも、抜群のスタイルを持つ懍が、まるでプロのグラビアモデルの様なポーズを取りながら、その細身にアンヴァランスなほどの巨きな胸を強調するような、胸元が開いた服。そして、長い脚と綺麗な肉付きの太腿に目を惹き付けさせるような、ミニスカート。
「お、お前、そんなもん着てどうするつもりじゃ!」
青大の怒声を、さも柳に風と言った様相で受け流す懍。
「私も、青大さんや姉さんのような恋愛をしてみたいなーって。こういうの着ていれば、いい男の人、見つかりやすいかも知れないじゃないですかー」
その科白に、青大は更に声を荒げる。
「お前、何ゆーとんじゃ! そんなんダメに決っとるじゃろ!」
「ダメって……青大さんにそんなこと言われる筋合いはないです」
懍がやや語気強く頬を膨らませると、青大は更に呆れたように嘆息する。
「筋合いじゃ! 柚希の妹が変な男にいいようにされて平気でいられる訳ねーだろが!」
その言葉に反応する懍。今度は、僅かに頬を染めて言う。
「へぇ~……青大さん、平気じゃないんだ」
「当たり前じゃろ!」
「どうしてですかー?」
「あ、当たり前にどうしてもこうしてもねぇわ。お前が心配だからじゃ!」
「私、青大さんの恋人でも何でもないんですから、いちいち心配してくれなくても大丈夫ですよ」
「だからそう言う問題じゃねぇわ。お前は柚希の妹じゃ。お前に何かあったら、あいつが悲しむだけじゃねェ、オレだってばつが悪ィわ」
「え……それって、どう言う事ですかー?」
執拗に迫る懍の質問に、青大の口調が徐々に狂い出す。
「はっきり言って下さいよォー。ばつが悪いって、つまり……」
「オレも悲しいってコトじゃ! 言わせんな恥ずかしい」」
青大の顔が傍目から見ても判るほどに紅潮しているのことで、懍は質問攻めを止めた。
そして、再び試着室のカーテンを閉めると、一人嬉しそうに目を細める。
「そこまで懇願されたら仕方がないですねー。だったら、こういう服は青大さんの前でだけにしておきます」
「おまっ……、まァ、ええわ」
懍の無邪気さの中に、そこはかとなく感じる艶っぽさ。判っていても毒気を抜かれてしまう。懍はくすくすと悪戯っぽく笑うと、目ぼしい品物を選んで、レジへと向かっていった。
女の買い物に男が同行する最大の理由は、言うまでもなく“荷物持ち”に違いない。
青大もまた、御多分に洩れず、懍の荷物を両手に提げ、往来からの生温かい視線を一身に受けている。
「重い……」
恨みがましい眼差しを向ける青大。
「青大さんだって、お眼鏡に適ったもの買えて良かったじゃないですかー。私のお陰ですよね」
「ま、まぁ……それはそうじゃけど」
「だから、今日こそはつき合って下さいね」
「下さいもなんも、選択の余地無しやないか」
塞がれた両手を突き出してみる青大。それに対して、笑って誤魔化す懍。
ぶつぶつと文句を呟きながら、青大は懍と並んで、スーパーへと向かう。
「もー、年寄りは独り言が多くなるって言いますよー」
「オレが年寄りなら、お前もおばあちゃんやな」
お、青大にしては珍しく冷静な切り返し。
「私は華の女子大生デスよぉ~」
「あー、ハイハイ」
「もォー」
口の端で嗤う青大と、なにげに腕を絡めてくる懍。誰がどう見ても、恋人同士にしか見えない。
「それくらいはお前が持て!」
「分かってますよぉ」
中くらいのレジ袋を二、三個分。懍が逡巡しているのを見て予め釘を刺しておく。ブティックの紙袋で両手を塞がれて、その上にレジ袋とは、物理的に持つのは不可能である。
さすがの懍もそれを分かっていたのか、比較的重いレジ袋の方を青大が持ち、ブティックの紙袋を自分が持つことにしたのである。
「今日は何を作ってくれるんですかー?」
「サムゲダン」
「えーっ!」
あからさまに嫌な顔をする懍。
「……って、お前も一緒に選んだじゃねぇか」
「ビーフシチューですよね。カルミネ風の!」
「何風だかは知らんがレシピさえあれば作れるわ」
投げ遣りっぽくだが、ちゃんと懍の言葉に反応する青大。
「青大さんの作ってくれた料理なら、何でも良いですケド」
「ホォー、だったら米の磨ぎ汁でもええんか?」
「それって、料理じゃないですよねー。揶揄ってますぅ?」
「冗談やって」
そんなこんな他愛の無い会話を交わしながら、懍の住むマンションに向かう。
ピピピピピ……ピピピピピ……
着信音に青大が反応する。
「ちょっと待ってや」
一旦、荷物を下に置き、ポケットから携帯電話を取り出す。
「柚希からや」
青大が懍を見て言うと、懍は胸奥が一瞬、ちくりと痛むのを感じた。
「もしもし? ――――おお……今? あぁ、帰りに懍ちゃんに遇ぅてな――――」
懍に遇ったこと、買い物につき合ったこと。これから懍の家に行って夕飯を作ってあげることなどを柚希に言う。
(丁度良かったぁ! 青大くん、私サークルの友達との女子会に誘われちゃったんだけど……青大くんに言ってからと思って)
青大の状況は渡りに船という奴だ。
「ああ分かった。お前あまり飲み過ぎんなよ!」
(うん。帰るの遅くなるかも知れないから、その時はもう一度電話するから)
「おお、気ィつけてな。ああ、バイバイ」
……ピッ……
携帯を折りたたんでふうと息を吐く青大。その表情を、横からじっと見つめている懍の視線に、青大はきょとんとする。
「どうしたん、懍ちゃん」
「えっと……いやー本当に恋人っぽい会話ですねーって思って聞いていただけです」
「恋人っぽいって何じゃ、恋人っぽいじゃねぇわ。恋人じゃ!」
「あははは、そうでしたよねー」
妙に強張った懍の関節がキリキリと鳴る。青大はさっと地面に下ろしたレジ袋を持ち上げると、歩行を再開する。
「さぁ、行くぞ懍ちゃん。早ォせんと飯遅くなるわ」
「遅くてもいいですよぉ。何だったら、泊まっていけばいいじゃないですかー」
「馬鹿言うな。樹さんもおるじゃろ!」
二人の間には、親密ながらも、果てしない壁が聳立していた。