約束の未来 from 君へ…~JUST ONE~ Memories off complete. featuring JUST ONE from DEEN 第2話 お蕎麦の産地

 青大と結ばれたあの日。恭輔との永訣の日を、清美は感情の流れるままの成り行きだとは思いたくはなかった。
 何よりも、自分や青大が、そう強く意識してしまうのを怖れていた。
 語弊はあるが、青大は何処かしか軽佻な感じがする。だがそれはあくまで心象であって、話をすれば決してそんなことはなかったが、付き合いの時が長くない清美からしか分からない、青大の危惧が見えた。

 青大が清美との生活をそれなりに考えるようになり、ハイツ旭湯からの巣立ちも選択肢に入るようになる。
 ただ清美は、青大が今の暮らしを犠牲にしてまで自分におもねることを何よりも嫌った。
 言いたいことははっきりと言う。浅倉清美の気性だった。
 だが、その時は言わなかった。
 青大は枝葉柚希を追いかけて故郷を捨てるような、後先を考えない暴走ぶりを見せる。そして、彼はそれを決して後悔しない。悪い結果を招くようなことになったとしても、それが自らが選んだ道だからだと、涙を噛みしめて自らに言い聞かせるような男だ。

 文字通りソファに肩を並べて互いに凭れながらテレビを見ていた青大と清美。ふと、清美が口を開く。
「ねえ、青大くん」
「ん?」
「あのね、ちょっとお願いがあるんだけど」
「なんじゃ、改まって」
 青大が清美の横顔に視線を向けると、清美の瞳は僅かに戸惑ったように揺れている。
「……私の両親に、会って欲しいと思って」
「お前の――――?」
 青大からすれば唐突感があり、清美からすれば、時宜を図っていた切り出しだった。
 そして、それはある意味断るという選択肢の無い、青大自身の覚悟を示さなければならない時の到来でもあった。
「そうじゃな。挨拶をいかんじゃろ。……わかった。お前の都合の良い日を決めておいてくれ」
 青大の言葉に、清美は分かり易い表情でほっとしていた。
「ありがとう、青大くん」
 胸を撫で下ろす清美の肩をぐいと抱き寄せ、わざとらしい溜息をつく青大。
「じゃけぇ、いちいちありがとうなんて言うなや。もう、他人じゃないんじゃ」
 優しい叱咤に、清美は嬉しそうに額を青大の肩にすり寄せた。

 清美はそれからすぐ、両親に青大のことを話した。自分が青大のことを本気で好きでいるということ。そして、その青大と将来を誓い合うという覚悟を話した。
 清美の両親は、青大と会うことを約した。週末、外食をしながらゆっくりと話したいと言う事を、清美を介して青大に伝えた。
 金曜日、妙に緊張の度合いを高める青大をよそに、清美は何故か嬉しそうに小さく鼻歌を歌いながら時を待っていた。
「なあ、本当にこんな格好でいいんか?」
 青大が気にしているのは普段着のチノとカジュアルシャツというラフな格好。清美の両親と会うというのに、青大は一張羅を探して齷齪としていたというのに。
「大丈夫よ。うちの両親は格好にこだわるようなタイプじゃないから」
 そうは言うものの、青大の性格からすれば、そこはかとなく落ち着かない。
 それでも清美は笑いながら青大の手を取って半ば無理矢理連れ出した。何故だろう、ものすごくご機嫌だ。
「楽しそうじゃな」
「ええ、楽しいわ。当たり前じゃない」
 清美はさらりと返す。青大がどれほど気を遣って悩んでいるのかなどと、思いもよらずに。
 週末の夜は往来も賑やかだ。月木までの平日とは違って、人出も多い。
 清美の先導で辿り着いた場所は、高級ホテルでも、三つ星レストランでもない、普通の蕎麦屋だった。
 予想とは裏腹な場所に導かれ、呆気にとられる青大に、清美は呆れたように言う。
「何ボーッとしてるの? お父さんとお母さん、待ってるから」
「あ、あぁッ!」
 はっとなった青大が、清美の後に続いた。

 普通のレイアウト、普通の規模。
 カウンターもあれば、座敷席もある。どこにでも見かける和風ファミレス。
 青大が入口の引き戸を閉めると、清美はその座敷席の奥に目配せし、表情を綻ばせて手を振った。
 清美の視線の先には、すらっとしたお世辞抜きでも男前な白髪交じりの壮年の男性と、清美と同じような真っ直ぐな長い黒髪が目を引く、壮齢の美人の女性。一目で清美の両親である事を、青大は悟る。

「初めまして。桐島青大です」
 青大が名乗りながら頭を下げると、清美の両親らは一度会話をしていた素振りをやめ、一瞬の沈黙をした後、おもむろに相好を崩した。
「きみが青大くんか。おお、待っていたよ」
 清美の父親が手招きをしながら馴れ馴れしげに声を掛けてくる。
 招かれるままに青大は清美と身振りを合わせながら靴を脱ぐと、卓を挟んで清美と並び彼女の両親と対に座る。
 こういう席ではどこでも有り得そうな緊張感。下手なことを言えるような空気ではないものだろう。青大は心の中で清美両親の質問に託けた非難攻勢に対する、成算なきシミュレートをしていた。
 しかし、そんな微妙な間が生じるどころか、言葉の端緒を開いたのは、当の清美両親の方だった。
「清美の父の浅倉健嗣です」
「こんばんは青大さん。清美の母の有美です」
 非難攻勢どころか、清美の両親はにこやかに笑顔を浮かべて会釈をする始末。呆気に取られたのは、そんな勘繰りをしていた青大自身だった。
「あ、あの……ッ、きり――――桐島青大です!」
 思惑から外れてしまったためか、声が裏返ってしまう。
 その動揺ぶりに、清美は呆れ気味に溜息を吐く。片やそんな青大の様子を、清美の父・健嗣は笑って受け止める。
「何もそんなに緊張することはないぞ青大くん。なあに、私の方がかなり緊張している。あはははは」
 突然、健嗣がそう戯け出す。
「…………」
 後になって清美からよく茶化されるネタとなった事だと青大は言ったそうだが、この時の呆気に取られた青大の表情は、とにもかくにも滑稽そのものだったという。
「まずはお茶でも飲んで、青大くん」
 清美の母・有美がぽかんとしている青大に声を掛けて湯呑みを勧める。清美の美貌はやはりこの母親譲りといった感じなのだろう。ウェーブがかかったセミロングの髪、年相応だろうがすらりとしたお洒落な美人である。
 青大がぎこちない笑顔で湯呑みを呷ると、その熱さに思わず噎せそうになった。その様子に、清美の両親は肩を震わせて軽妙に笑う。完全に、青大の抱えていた緊張感が解れた瞬間だった。
「お待たせしましたー」
 どうも庶民の味を楽しむ店に場違いな若い男女のカップルと、その親御らしい四人の坐卓。盛り蕎麦を運んでくる店員も心なしか緊張気味だった。
「まず、食べようか」
「あ、はい。いただきます……」
 そば徳利を傾け、つゆを注ぎ、割箸を一斉に割り、笊に盛られた蕎麦を掬う。健嗣がすすり上げるのを合図に、青大や清美もつゆに浸した蕎麦を啜る。
「んんー、美味い」
 健嗣の感嘆に、青大も相槌を打つ。いや、お世辞抜きに美味しい蕎麦だった。
「だがな、青大くん」
 突然、健嗣が声のトーンを変える。思わず、箸が止まる青大。
「蕎麦は蕎麦でも、地名が付いている蕎麦と、そうでもない蕎麦の違いとはなんだろうな」
「はい――――?」
 思わず、青大の声が上擦る。
「品川蕎麦、秩父蕎麦……蕎麦だけじゃない、ラーメンにしろ何にしろだ。ナントカ蕎麦、ナントカラーメン……。前に地名をつければ何でもそれらしく聞こえる不思議だ」
「え……と」
 返しに惑い、困ったように清美を一瞥する青大。
「ちょっと、お父さん! いきなり突拍子もない話しないでよ。彼、困っているでしょ」
 後に聞いた話だが、どうやら清美の父はよく脈絡もない唐突な話題を振り、相手を困らせることがままあるのだそうだ。
 健嗣が青大を見る。青大は余程考え込んでいるのか、あるいは困り果てているのか、額に青い縦縞の線を何本も浮かべて困り果てている様相だった。
「青大くん。真剣に考えてくれているようだが、何もそこまで糖分を消費しなくてもいいんだ。頭を柔らかくしてみればいい」
「は、はあ……」
 汗が脂汗のようになっていた青大が、瞬きを激しくさせながら、健嗣の言葉に意識を集中させた。
 健嗣は笊に残った最後の蕎麦を箸で掬い上げると、凜とした眼差しで青大を凝視し、言った。
「由緒ある古都の老舗も、鄙びた名もない田舎の古ぼけた店も、どっちも同じ、蕎麦だってことさ」
「お腹の中に入っちゃえば、みんな同じって感じかしらね」
 隣から有美がそう言って微笑む。
「あ、ですが――――やっぱり味というか、雰囲気というものも大事だと思うんです」
 青大が咄嗟に思いついた事を言った。
 すると、健嗣は見透かしたかのように笑みを浮かべると、続ける。
「雰囲気などと言うのは表面的なことに過ぎない。君は、今まさに餓死せんとするときに、雰囲気やら味を考えるのか」
「…………」
 また話が飛躍した。まあ、それでも何が言いたいのかと言うことは何となく分かる気もした。
「人生も、恋愛も、生き残った者勝ちだ。人はその気になれば、蛇も蜈蚣も喰らうものさ。どこそこ産の蛇……ってね」
 そう言って顔を見合わせて笑う浅倉両親に、青大は直感的に不快を覚え、思わず語気強く発した。

「清美はゲテモノじゃありません!」

 どんな経緯でそんな言葉を力強く叫ばなければならないのか。
 苦虫を噛み潰したかのような表情で青大を見る清美。そして、してやったりと言わんばかりに口の端に嗤いを浮かべる浅倉両親。
「え……えぇ?」
 何が何だか分からないままに、どうも浅倉家の思惑にまっすぐに填まってしまったらしい青大は、言い逃れの全く出来ない状況にただ、唖然とするしかなかった。