清美の眥から潸潸と涙が伝い、形の良い顎先から雫となる。
星を瞻望していた清美は、何か物思いに耽るかのようにじっと唇を結んでいたが、怺えていた涙を溢れさせていたのだろう。
「…………」
青大は無言で清美の肩を抱き寄せる。艶やかで真っ直ぐの長い髪が、秋の夜気にしっとりと冷たくなっていた。青大の腕にそっと力が入ると、清美はすっと青大の胸に上体を寄せる。
「ありがと……あったかいわ」
鼻声になるまいと、懸命に努力している。
青大は語らず、ただ清美を抱きしめる。
青大はいつもそうだった。清美が涙を浮かべていると、その理由を尋ねず、いつも傍にいてくれる。喧嘩をしたときは謝る。ただ悲しいとき、独りを希むときは、気配を感じる程度に離れてくれる。
風間恭輔はどちらかというと大雑把で、清美が悲しいときは強引に彼女の領域に立ち入って慰めようとする。方や青大は向こう見ずのところはあるが、決して相手の領域に土足で踏み込むような野暮さはない。
恭輔、そして青大へとそれぞれの優しさを見てきた清美。
今改めて思う。たどり着いた安らぎの場所が、そこにあったのである。
ホテルのアトリウム。東京の夜景を眺めながら、硝子張りのエレベーターは、寄り添いながら凭れ合う恋人を階上へと誘う。それは、愛し合う者でしか感じることが出来ない地上の星雲を甘い誘惑の色で照らす。
(青大くん)
店を出がけに、健嗣が呼び止めた。
(はい)
すると、健嗣は耳打ちにある言葉を囁いた。
(えっ! そんな。ええんですか?)
恐縮然の青大に、健嗣はウインクをしながら、握り拳に親指を立てる。
何という開放的な親かと思ったが、せっかくの好意を受け取らないこともない。
「綺麗な夜景……」
さすがにスイートルームなどという身分でもない。
「青大が予約してくれたの?」
「いや……お義父さんじゃ」
やや赤面気味に答える青大。
「お父さん? また……」
余計な気遣いかと詰りかけたとき、青大は言う。
「……お義父さん、もしかしたら――――初めから俺たちのこと、認めてくれていたのかもな」
「……え?」
はっとなり、青大を見つめる清美。
「俺と会ってくれる前から――――」
「…………」
買いかぶりなのかも知れない。もしくは最初から健嗣がそこまで考えてくれていたのか、という話にもなる。でも、今日のこの日に、青大の人となりを知って急遽ホテルを予約してくれたとしても、健嗣は凄く粋な人だって事が判る。
「フフッ、くすくす……」
突然、清美が軽く握った手を唇に当てて笑いを堪えんとする。驚く青大。
「何かおかしな事言うたか、俺」
「ううん、違うわ。青大がどう考えているか少し判るけど、お父さんはそんな気を利かせる人じゃないし。多分、お母さんと泊まる予定だったのを、私たちに譲った、ってだけのことだと思うの」
「せ、せやけど……!」
健嗣は絶対に粋な計らいをしてくれたんだ! と思いたい青大に、清美は愛おしそうに目を細めて青大を見つめる。
「ありがとう、青大……。私の父をそんな風に思ってくれて……父の娘として、本当に嬉しいわ」
「清美……」
サラリとした長く真っ直ぐな髪がそよぎ、小さくて華奢な清美の首筋を包む青大の手に触れる。
「ん……ッ」
仄かな蕎麦の残香が、口移しに青大の中に広がる。清美が青大を求めるように、舌を絡めてくる。ともに過ごす時間を重ねるごとに、清美の積極さが増してくるのだ。
「あっ……」
深いキスを交わしていくうちに青大の掌が服の上から清美の豊満な胸に触れる。清美の甘い声が、一瞬、青大の欲情を押し留めた。
「あ……ごめん――――今日……は」
青大が身を離そうとすると、清美は甘えるように青大の胸に縋り、顔を埋めた。
「清美……赤ちゃんおるけぇ――――こういうことって、控えんといかんのじゃろ?」
「そんなの……初めて聞いたわ。正しくない知識ね」
「……(えぇー)」
聞き慣れた毒舌に、一瞬へこむ青大。
「余程変なことをしなければ……大丈夫。もォ、青大って、ホント変に優し過ぎなところあるわよね」
「……あぁ」
萎えてしまいそうになる。青大の悪いところだ。だが、清美はすぐにその細く柔らかな腕で青大を包み込む。
「ほらァ。そうすぐに落ち込まない。虚仮にしているわけじゃないから!」
清美からすれば、時折見せる青大の子供さに惹かれるのだとも言う。
「あの……ね?」
青大を胸の中で窒息させてしまわんばかりに抱きしめながら、紅潮した表情の清美が躊躇い気味に言った。
「その……胸は――――今日はちょっとだけ痛むから……優しくしてくれ……る? それとね――――」
掻き消えそうな声色で、青大の耳に直接話す。
どんな回復詠唱が囁かれたのか、青大が再び身を起こし、清美の鋭さがチャームの瞳や、ぱっつん、鼻、小さくも人の本質を撃ち抜く口弾を放つ唇と、キスの雨だ。
「青大……シャワー、浴びてきても良い?」
うっすらと汗跡が清美の肌に刻まされている。
「あぁ……」
「ありがと」
即、清美がシャワー室でお湯を張る。溜まるまでも待てない。
(やだな……青大にニオイ、嗅がれちゃったかな……特有のニオイとか――――色々……
聞いておけばよかった! 御島さんとか……は、違うか。ええと……そうだ淘華(ゆりか)とか、波結来(はずき)なら処理法詳しそうだけど……あぁだめ。何か相談内容に色々尾ひれや羽根が付いて飛んで行ってしまいそう……うわぁ――――どうしよう……)
狭いシャワールームで、清美は悶える。しかし、その時だった。
……ガラン……
突然、折れドアがゆっくりと開く。
「きゃ」
小さな悲鳴は生理的なものだ。その侵入者に、清美は細い眉を顰める。
「青大――――ど、どうしたの?」
言うが早いか、青大はぐいと清美に身を寄せると、再びその唇を塞ぐ。
躊躇いがちの清美。しかし、そんな心配も杞憂に過ぎなかった。青大が齎す前戯は実に心地よい。執拗に見えて、その実は非常に優しいのだ。
「ん……あっ……ふ――――」
回数を重ねてゆく度に、青大との相性が良いということを、清美は身体で感じている。
そして、青大はきちんと、清美の求めを聞いている。
(ああ……でも青大、それだけじゃ満足出来ないわよね――――)
唇と首すじ、耳朶と清美の顔に唇を這わしつづける青大を、薄目越しに見つめる清美。
青大の唇が、その豊満な乳房を素通りして、臍を経由しようとしたとき、清美は身動ぎした。
「あ……青大――――待って」
ぴたりと止まる青大、僅かに上に目線を移す。
すると、清美は羞恥に顔を赤らめ、懸命の微笑みを浮かべながら、言った。
「今日は……私がしてあげるわ」
初めて会った頃、つきあい始めた頃から考えれば、思いも寄らない言葉がその唇から紡がれる。
青大は小さく微笑みながら頷くと、身を真っ直ぐにして、ほんの少し躊躇いがちの清美に、手に載せたボディソープを肩から全身に塗した。指がするりと滑り落ちてしまいそうな、白い肌と、身体のラインが、青大をも更に性的に刺激する。清美もまた、手にボディソープを含ませると、青大の全身にゆっくりと塗してゆく。
シャワーの水音が、きっと青大と清美が発する淫靡な音をかき消しているのだろう。あまり泡立たない液体が、二人の肌をそれでも艶めかしくてからせるのだからこういう雰囲気というのは不思議なものだ。
やがて清美の指が青大の自身を擬える。
「う…………」
その瞬間、青大が明らかに反応する。咄嗟に清美は手を離しかけるが、青大がその手を重ねて瞳で頷く。
清美は再び触れる。そして清美の細い指が波線を描くたびに、青大のそこは徐々に硬化してゆくのを、清美は感じる。
(気持ち、いいのね……)
男のその部分が大きくなることの意味を、さすがの清美も識っている。だからこそ、ここまで来たのだが、知り慣れているにも拘わらず、やはり実践ともなるとまるで初めての経験のように感じてしまう。
青大の感情が昂ぶる様を、清美は嬉しくてたまらなかった。
そして、清美は徐に青大の腰元に跪くと、途惑いがちに青大のものを見つめ、ゆっくりと両手でその部分を包み込むようにして、唇を開いた。
「はむ…………ん………んぷっ……」
「うぁっ……!」
清美の唇から漏れる粘音が、シャワーの音を凌駕する。青大もまた、甘い熱を帯びたざらりとした感触を尖端に感じ、痺れが奔る。
清美のまだ慣れない唇と舌の動きが、却って男の情欲を煽動する。
多分、アダルトビデオなどで演じる女優や、風俗店の女の子達は手慣れた様子で男性を悦ばせるのだろうが、清美は比較するまでもない。自分からする。とは言っておきながら、まだまだ『不慣れ』なのだ。
だから、こういう時、よく男は女の頭を抑え付けて、強引に自分の者を喉奥に突き刺すようなことをするが、青大は正反対に、優しく、清美の髪を梳き、目に異物が入らないように、特に気を利かす。
「ん…………んぷっ……ぷは…………!」
息継ぎのために、一瞬口の動きを止めた清美。その様子に、青大は腰を引こうとする。それを、清美は咎めた。
「あの……気持ち――――良くなかった? もしかして、歯が……」
半ば夢中だったから気付かなかったのかも知れない。
「違う……逆や。清美の……その……口が気持ちよォて、イキそうやったんじゃ」
そう言って、青大は外方を向く。
「そ……なんだ」
清美の嬉しそうな声が浴室内に響いた。
「青大……ね、そこに腰掛けて? 立ってるの、辛いでしょ」
清美はそう言ってバスタブの縁を差す。
青大は言うがままに腰掛けた。正直、清美が齎す快感の律動が、下半身を愈々と麻痺させかけていたのだ。
「いって、青大? 気持ちよくなって欲しいから……お願い――――」
潤んだ眼差しでそう囁くと、清美はなおも怒張する青大の自身を唇に含んだのだ。
「かはっ!」
今度は仰け反る青大。清美も、それまでの怖れはどこへ行ったのか、今度は腔内で激しく舌を絡め始め、窄ませ、吸引する。
じゅる……じゅばっ……ずる……
今度は水音がバックグラウンドと化す、淫猥なSEに耽溺するのだ。
清美がこんなに得も言われぬ淫らな表情を浮かべて青大のものを咥えているなんて、やはり普段の彼女からは何とも想像がつかなくて新鮮だ。口に咥えるだけではなく、それを両手でしごきながら、上へ下へと下を這わせ、誘引するような上目遣いを青大に向ける。どこで憶えたのか、天性なのか。
まるで青大のものはずっと私のもの、と言っているように、青大自身やその周囲まで、気がつけば清美の唇と舌の愛撫は続き、次第に青大の意識を奪ってゆく。
「き……きよみ――――! もうあかん。も……イッてまうわ!」
青大はそれでも清美を拘束しようとはせず、その長い髪を撫で擦る。
「ん……んふっ……ひぃは――――ひっへ!」
止めるどころか、清美は喉奥に自ら突き刺す。舌の動きがまるで清美の中に棲む蛇のように、青大のものを搦め捕る。そして、それは青大自身が吐き出す、『餌』を求めるかのように。
そして。
……どっく……どくん……!
心臓の鼓動のような感覚が奔ったと同時に、青大は果てた。清美の熱い腔内に、それは放出された。清美もまた、噎せ返るような匂いと苦みと粘りが喉や食道を貫く感覚に我を失いそうになったのだった。
「ん……あはっ……」
青大はすぐに清美を放し、唇を重ねた。咄嗟に、舌を絡め合った。自身の苦みが、青大自身の暴走しかけた理性を止める役割を果たしたのだ。
そして、浴室から上がった二人は、そのままベッドに横臥する。青大が横たわり、清美が彼の上に跨がった。
「青大……今日は触ってくれないのね?」
窓から差し込む都会の光芒に、清美の生白い肌が浮かぶ。
「触れとォても……我慢せな」
「青大って、ホント極端。胸、一度も触ってくれないし――――」
「お前が今日はよしてくれ言ぅたからじゃ」
「よしてくれだなんて言ってないわよ? 優しくして、って言ったわ」
青大はこんな時でも、決めたことを頑なに守ろうとする。良いところなんだろうけど、もどかしい。
「……触ってくれないの?」
清美からのそんなねだるような声色は、男ならば理性を吹っ飛ばす着火点だろう。だが、青大は言う。
「今夜は、浅倉清美を……いや、桐島清美を、清美のペースで感じ合いたいんじゃ。胸は……我慢するわ。止められる自信がまるでねぇわ」
青大がそう言うと、清美は一瞬眉を顰めたが、すぐに微笑みに変わった。
「ホント、斜めゆく優しさね――――。でも、そういうところも全部、好き」
清美が上体を倒して、青大とキスをする。
「でも、青大を感じさせて? 無理をしないから、お願い……」
甘く縋る声に表情。
青大は無数に押し寄せる男の本能をギリギリの理性で抑えながら、清美に身を委ねた。
そして、清美は青大に跨がりながらゆっくりと、自らの中に、青大を導き入れていったのである。