第六話 劉禅、王元姫の危難を救い 市井の料理をもて司馬攸と共に会食す

 戦場では疾風の如き身のこなしと、神出鬼没の鏢が敵兵を震撼させた麗姫も、不覚に四肢を固められた状態では無力そのものだった。じたばたともがく度に、男たちの締め付けが強まり、ついには口元もそのガサガサとした手のひらで覆われてしまった。
「さーって、どこに行くかな―」
 無邪気なほどに陽気な口調の裏に、おぞましい欲情を燻らせながら、人気のない場所を模索する男たち。
「んー……」
 視線をきょろきょろとする男の一人に、別の男が声を掛けた。
「人ッ気がないと思っててもあぶねーぜ。今の朝廷、街の警備うぜぇほど強くしてるって話だ。特に、俺たちに対するな」
「ふーん。……なら、意外に足下が見えないって事もあるし、――――な?」
 男がぎらつく目で嗤笑すると、元姫の目を舐めるように見た。
「――――――――!!」
 静かで優しく、時に突き刺すほどに鋭さがある二重の美しい瞳が、まるで視姦されたように恐怖に色を失い、小刻みに震えていた。涙すら、出なかった。

 夜の街に出かけるために劉禅が邸宅前に出ると、飄然と道を歩く若者に気づいた。
「やあ、安世殿ではありませんか」
 劉禅が声を掛けると、司馬炎は足を止め、軽く拝礼をした。
「安楽公。もう陽も落ちるという時に、どちらへ」
 機嫌が良くない様子だった。
「食事をしに城下の酒家へ行くところです」
「おや。いつも側に居られる、ええと……」
「ああ。星彩は追っつけやってきます。…そうだ。安世殿もどうですか、ご一緒に」
「いや。私は遠慮しておきます。……と言うより、その酒家の帰りでして!」
「あー、それは失礼しました」
 劉禅が頭を垂れると、司馬炎は空虚な溜息をつく。
「何か、ございましたか。ご気分が優れぬようですが」
「いや、なに。詮無きことです。では」
 追及されるのを嫌がった司馬炎が、すれ違いざまに愛想笑いに会釈を重ねた。
(天子の御座は、辛いかな)
 劉禅が心の裡でそう呟きながら司馬炎を見送った。

 今日はとても美しい黄昏の空だった。風もなく、空気が澄んでいた。
 朱に染まる空の雲を眺めるのが好きだという。劉禅が星彩にそう語ると、彼女は正直、昔はあまり好きではなかったと吐露した。沈みゆく太陽を見るのが悲しいのだと言う。
 だが、劉禅は言った。
『夜になれば星が輝く。星の彩りが私を包んでくれる。何を悲しむことがあろう』
 劉禅に自害を止められ、洛陽に辿り着いてからようやく星彩も黄昏の良さをわかるようになったという。
 街外れに立ち寄り、展望する空を旋回した。西に朱の光、東に迫る濃紺の闇。巧い詩心があればひとつ書けそうなのにと、劉禅は一人はにかんだ。
「おや……?」
 ふと、視線を落とした。すると、朱の陽光に反射し、きらきらと光る羽のようなものがひとつ、落ちているのを見つけた。劉禅がおもむろにそれを拾うと、瞳を細める。
「ふむ……これは――――――――」
 劉禅が思考を巡らせていると、路の彼方から小走りに劉禅の方に近付いてくる人影が目に入った。逆光線で、黒い影。
「劉公嗣様ですかっ、はぁはぁ」
 劉禅の前で身をかがめ、少年が両膝に手のひらを宛がい息を整える。
「司馬攸です」
 司馬炎の弟、司馬攸だった
「やあ、大猷殿これはこれは。先ほどは兄君にお目にかかりましたよ」
「兄上……そ、そうですか」
 あまり興味が無さそうに呟くと、すぐに瞠目して劉禅を見る。
「それよりも公嗣様、母。母上をお見掛けになりませんでしたか」
「元姫殿? 元姫殿が、どうかされたのですか」
「昼に退城されてから、邸に戻られていないのです」
「晋公とご一緒ではないのですか?」
「父上はあいにく所用で汝南へ。母上が先日から庶務をこなされていて、昼に退城されたのです」
「ほう……。ならば酒家にて御酒でも与られているのではありませんか」
「先ほど訪ねましたが、兄は昼まで居られたが、母上は来ていないと」
「ふむ……」
 劉禅が手に持つ一片の羽をいじりながら、言った。
「まあ、元姫殿のことだ。心配には及びませんよ。何と言っても、戦場では星彩とも互角に渡り合った方だ。それに、何か所用を思い出されたのかもしれませんね」
「は、はい……それならば良いのですが――――」
「見かけましたら、大猷殿が探しておられたとお伝えしておきましょう」
「よ、よろしくお願いします、公嗣様」
 慌てながらも、恭しく拝礼をする司馬攸。礼儀の正しい少年だった。
「私は酒家にて食事をしようと思っている。何かがあれば、訪ねてきなさい。私で良ければ、力になりましょう」
「ありがとうございます。では」
 最拝礼をして司馬攸は駆け足に去って行った。
 司馬攸の姿が見えなくなってから、劉禅は羽を見、朱の空を一度見上げた。

 劉禅は微笑みを浮かべながらも唇は真一文字に結んでいた。奥深い瞳は何か目に見えないものを捉えるかのように凛然とした視線を放っている。
 行き交う雑踏。一日の最後の賑わいも、徐々に収まりつつある繁華街だ。
 劉禅は普段よりも歩みを一段階落としながら、酒家に向かった。顔見知りの民らと挨拶を交わす。言葉の前後はそこはかとなく凜とした視線だった。

「…………」

 空気が揺れた感じがした。劉禅の微笑みの視線は、酒家の入口を向いていた。穏やかな瞳の奥が、一際燻る。
「いらっしゃい! ああ、公嗣様。まいど」
 主人が常連の劉禅に親しげに挨拶をすると、劉禅はくすと笑って言った。
「ふむ。亭主殿、四人分ほどの食事を頼む。少しばかり、奥を借りるぞ」
「ありがとうござい! ……って、奥って公嗣さ――――」
 主人が言い終わる前に、劉禅の姿は店の奥の扉の向こうにあった。

 一般客用の食堂の他に、区切られた間が通路の両側に三、四部屋ほどある。二階もあり、秘密の会合や、それこそ男女の情事などにも利用されているのだという。
 劉禅は二、三度瞳を左右に燻らせた。
「ふむ……」
 ひとつ溜息をついた劉禅は、視線を右奥の端の部屋に歩を進め、突然素早い身のこなしで扉を強く開いた。

 バンッ!

 木の板を強く叩きつける乾いた音が響いたと思った瞬間、劉禅の目の前には数人の男たちが、苦しげに意識を朦朧とさせた、長いプラチナブロンドの髪の美しい女性の服を無理矢理に剥がそうとしていたところであった。
「何を、されているのかな?」
 おっとりとした劉禅の声。温和な微笑。
「な、何だテメェは!」
 驚愕した男の一人が、お約束の怒号を上げる。
「この野郎ッ!」
 有無も言わずもう一人の男が下から殴りかかってきた。劉禅は軽々しくそれを躱す。
「下衆……なんて言葉は嫌いだ。……が、少なくとも、お前たちに名乗る名前は、ないなあ」
 劉禅がそう言って自嘲すると、男たちはいきり立つ。
「てめえ、何なんだこの野郎ッ!」
「ぶっ殺されてぇのかおい!」
 決まり切った文句を放ちながら、殴りつけてくるが、劉禅は本当に軽くいなす。
「少し待て。……んー……お店に迷惑を掛けるのも申し訳ない。すまないなあ」
 ゆっくりとした『言葉で頭を下げる』と、劉禅は素手で瞬間、男たちの立つ空間に、幾何学状に紋様を描き一閃した。

「ぐぁー………」
「ぐおほォ―――――!」

 くぐもった呻き声を上げ、数人の男たちは残らずその場に突っ伏し、気絶してしまった。
「建具に……食器。んー……無事だなぁ」
 見当違いの心配をしながら、劉禅は微笑する。そして、おもむろに外套を外すと、朦朧とした意識で突っ伏している美しい女性をゆっくりと介抱した。
 豊かな胸元がはだけかけ、大切なところが危うく見えそうだった。そしてスカートもところどころが破けていた。
 劉禅は肩から覆うように外套を掛け、声を掛けた。
「不覚を取られましたな、元姫殿」
 揶揄するような口調。
「う……・うぅ……」
 くらくらと目まいが元姫を包む。しばらくして、視界の白みが薄れると、元姫の目の前には温和な微笑みの劉禅が映った。
「劉……公嗣殿ッ!」
 元姫が思わず、劉禅の胸元に抱きついた。

 劉禅の胸元の服を両手で掴み、顔を落とした元姫の身体は微震していた。しばらく落ち着くのを待った。
 やがてゆっくりと片手から外してゆき、居住まいを正し外套を身に包んだ。
「落ち着かれましたか、元姫殿」
「あ……ありがとう――――まさか、劉公嗣殿が来ているとは思わなかったから――――思わず……ごめんなさい。取り乱したようね」
 睫を伏せ気味に、元姫が顔を赤らめる。
「そこは謝るところではないでしょう。まるであなたが悪いことをしたみたいだなあ」
 劉禅が乾き笑いをすると、元姫は美しい眉を顰めて劉禅を睨んだ。
「ち、違ッ! 本当に不覚だったのよ。……もう――――ほんと、最悪……ね」
 怒りも一瞬、すぐに肩を落とす。
「でも、良かった。あなたに不測のことがあれば、私も晋公に会いづらくなりますゆえ」
「子上殿……ね――――。そう……よね……」
 ため息混じりに再び、元姫が睫を伏せた。

「……ところで公嗣殿。よく私がここに押し込められていることが判りましたね」
 元姫が顔を上げて訊ねると、劉禅は何かに閃いたような表情を浮かべて懐に手を入れた。
 そして、市井で拾った、一片の羽を元姫の前に差し出す。
「これは……私の“鏢”――――」
「やはり、あなたのでしたか」
 劉禅がほっとした表情で微笑む。
「まさか公嗣殿、この片鱗一つだけで、私が……?」
「何となく……ですかね。あんなところに“凶器”の欠片が落ちていれば、誰とて……」
 戯けようとする劉禅だったが、元姫は真っ直ぐ、その金色の瞳を劉禅に向けていた。
「どこか汚れてしまいましたか」
 はぐらかそうとする劉禅だが、元姫はじっと見つめている。その静かで何事も見通すような瞳からは逃れることが出来ないような気がした。

 やがて、元姫がふっと唇を綻ばせてため息をつくと、瞳を細めて小さく笑った。
「いいえ。何でもありません。劉公嗣殿、本当にありがとう。このお礼はきっと……」
「ははは。それならどうですか、これから“ご一献”というのは」
 劉禅の言葉に、元姫が口元に手を当てて笑い声を抑える。
「ええ。ご相伴に与らせて頂けますか。……公嗣殿と交わす盃は楽しくて」
「それはそれは。劉禅、暗愚冥利に尽きるというものですよ」
 そう言って自嘲する劉禅。

 その時だった。大きな音を立てて捕手を従えた司空の役人がずかずかと踏み込み、倒れ伸びている男達と共に、劉禅らも取り囲んだ。
「王元姫よ。この者達を引っ立てて」
 役人が跪く。
「ははっ。それでそちらの……」
「安楽公・劉公嗣殿です。私を助けてくれました。司空にそう伝えて」
「畏まりました!」
 捕り手に連行される男達。最後に役人が一礼し、踵を返すのを、元姫が呼び止めた。
「子上殿は、戻ってきたの?」
「いえ。晋公が帰城されとは、今のところ知らされておりません」
「そう……ご苦労さま」
 わずかに肩を落とす元姫。
 劉禅が声を掛けようと思ったときだった。役人たちと立ち替わり現れた二人の影。

「来たな、星彩。……それに、大猷殿」

 劉禅が微笑みながら迎えたのは、星彩ともう一人、市井で会った、司馬攸である。
「星彩殿……それに、攸!」
 元姫に軽く会釈をする星彩。そしてやはり司馬攸に対しては声を裏返すほどの勢いだった。
「母上ッ! ご無事で……ご無事で何より」
 元姫の足下に滑り込むように膝をすり、拝礼する攸。
「……劉禅様。遅くなりました……お怪我はございませんか」
 少しの間を置き、星彩がさり気なく、それでも甲斐甲斐しく劉禅の様子を見廻す。
「私も、元姫殿も大丈夫だ。心配しなくても良い」
「安心いたしました、劉禅様」
 片膝をついて胸を撫で下ろす星彩。照れ臭そうに劉禅は笑う。
「いつまでも子供扱いだ。少しは気を休めてほしい」
「劉禅様……」
 星彩が頬を染めてわずかに顔を背ける。同じ沈着冷静な性格でも、やはり元姫と星彩はタイプが違うようだ。
「元姫殿、褒めてあげて欲しい。大猷殿は、ずうっと、あなたを捜してかけずり回っておられたのだ」
 劉禅がそう言うと、元姫は思わず、鼻腔の奥がつんと熱くなるのを感じた。
「ずっと……? 本当なの、攸」
「当たり前です、母上。いつまでもお戻りになりませんので、攸は――――」
 叩頭する攸の頭に元姫はそっと手を伸ばし、撫でた。母親が我が子を慰撫する。
「母上……」
 攸が潤ませた瞳で見上げると、元姫は暖かく微笑み、身を乗り出して攸をふわりと抱きしめた。その豊満な胸元に、攸の顔が埋まる。
「ありがとう。優しい子ね、攸……」
 息が苦しいと身を捩らせるまで、元姫は攸を抱きしめ続けた。そして、攸を離すのを待っていたかのように、劉禅が口を開いた。
「さて。では、元姫殿……。ちょうど、四人分ありますので――――」
 やや驚いたような表情をする元姫。しかし、すぐに口元を緩ませた。
「ええ。そうだったわね、是非。攸も、いいわよね」
「は、はい」
 攸が劉禅に拝礼する。
「では――――」
 劉禅が手のひらを扉の方へ向ける。
「…………」
 そんな劉禅の傍らで、星彩は眉をわずかに顰ませながら、劉禅と元姫を交互に見廻していた。

 市井の質朴な料理屋での食事を、美味いと感じたことなど初めてだと、元姫は大皿に盛られた野菜と肉の炒め物に箸を差しながら、思った。
 攸の隣で彼の小皿に御菜を寄ふ劉禅を見ると、自然と微笑がこぼれてしまう。
「成都での食卓では決して味わえなかったから、好きなのですよ」
 劉禅がそう言いながら頬ばると、屈託のない、柔和な笑顔を満面に浮かべた。
「これが庶民の味……なのですね」
 攸も寄られた炒め物を一口頬ばり、もぐもぐと咀嚼する。塩味の効いたやや濃い食感に攸は一瞬、眩しそうに目を細める。
「美味しい? 攸」
 元姫が訊ねると攸は二度頭を垂れた。
「はい、母上。公嗣様のおっしゃる通りです」
「そう……よかったわね」
 邸にあったときとは違い、劉禅に寄られた料理の皿を美味そうに平らげてゆく攸。
 そんな攸の様子を、目を細めて見ていた元姫の視線が自然と劉禅の方に向けられる。

(不思議な人よね……劉公嗣殿って……。本当、どこかしか子上殿に、似て……)
 司馬昭が言った、劉禅は自分と似ている。その言葉の意味が、元姫には判るような気がした。
 攸の隣で談笑する劉禅が、昭の影に重なった。劉禅を見つめる瞳がやや潤んでいるようにも見えた。

「……殿、元姫殿!」
 その声にはっと気づき、元姫の意識が戻った。劉禅の柔和な微笑みが、元姫の視界いっぱいに映った。
「ご、ごめんなさい――――! 少し、ぼうっとしてしまったようね……」
 頬を染めて、顔を背ける。元姫の隣で黙々と箸をつついていた星彩が無表情のまま、元姫を無視し、盃に手を伸ばしている。
「もしや、体調が優れないのではありませぬか、元姫殿。御身が大切です」
 劉禅の憂い気な瞳を向けられた元姫が、思いもよらず小さく瞳を泳がせて愛想笑みを作る。
「そうです、母上。もしや……」
「大丈夫。違うの。体調ではないから……ただ、ちょっと疲れているだけね、いろいろと」
 誤魔化そうとはするが、漏れるため息は隠しようがない。
「元姫殿」
 劉禅が銚釐を手に憂色湛える元姫の盃に酒を注ぐ。

「私は力なけれども今や魏臣。あなたや、晋公の無聊を慰めることが出来れば、由なのです」

 元姫が顔を上げると、劉禅の深く静かな瞳が、暖かく微笑んでいた。元姫も思わず、顔が綻ぶ。
「劉……公嗣殿。あなたは――――本当に……」
 元姫がその金色の瞳の輝きを潜めて言いかけたときだった。

「王元姫殿、私の盃を――――お受け頂けますか」

 凜とした星彩の嗄れ声が劉禅と元姫の間を貫いた。
「……あ、ええ。そうね。……頂くわ、星彩殿」
 元姫が星彩の様子を酌み、上体を引いて盃を星彩に向ける。やや憮然とした表情で星彩が銚釐を傾けた。
「星彩。私にも、もらえるかな」
 劉禅が星彩に盃を向ける。
 しかし、星彩は睫を伏せ、劉禅を向こうとしなかった。そして、戦場に在るときのような儼然とした声で、言った。

「申し訳ありません劉禅様。銚釐が、空になりました」

「そ、そうか……」
 差しだした盃をゆっくりと戻し、卓に置く。形の良い唇をきゅっと真一文字に結び、凜とした瞳は瞼で閉ざし、斜を向いている。
「あ、公嗣様。では、私が……」
 司馬攸が愛想笑いを浮かべて上体を伸ばし、星彩の手前に置かれた銚釐を拾い上げる。
 星彩は何も言わなかった。
「では」
 攸が立ち上がり、店主の方にそれを持っていく。
「星彩」
 劉禅が呼ぶと、星彩は蜀に在った頃の感じで返す。
「はい、劉禅様」
「あの……」
 突き刺すような嗄れ声に、劉禅が躊躇する。その様子に元姫が苦笑気味に言った。
「ごめんなさい、星彩殿。何か、誤解をしてしまったようね」
「誤解? 何を誤解しているの。私は何も誤解などしていない」
 とはいうものの、星彩の語気は明らかにいら立ちが篭もっている。
「あ――――え……っと。何ていうのかしら。……とにかく、あなたが思っていることは違うから。あり得ないし」
「正直、何を言っているのか、良くわからない」
 困惑の色なす元姫に、星彩は不機嫌気味の色。劉禅は二人の雰囲気に入り込めず、心なしかおろおろとしている。
 その時、そんな三人の状況を切り開く助け船が現れた。御酒を温めた銚釐を二つ、盆に載せた司馬攸だ。
「お待たせ致しました、母上、公嗣様。それに……星彩――――さん?」
 攸も雰囲気を感じていた。
「来たわね。さあ、攸こちらにひとつ頂戴」
「大猷殿、ありがとう」
 元姫が一つ、劉禅ももう一つの銚釐を取った。攸が盆を置き、元の席に怖ず怖ずと座ると、劉禅から勧められる。
「さあ、大猷殿。どうぞ」
「あはは、では……」

 そして、間もなく元姫が劉禅に声を掛けた。
「公嗣殿、こちらに。私も攸と……」
 会話の合間を縫って元姫は劉禅との席交換を仄めかし、劉禅も承知しようとした。しかし、星彩が銚釐を取り上げ、元姫に向ける。
「王元姫殿。さあ、どうぞもう一杯」
「あ……の……」
 一瞬躊躇する元姫だったが、星彩の凜とした眼差しに気圧され、上げかけた腰の力が、すとんと抜けてしまった。
 結局、急に機嫌が曇りがちになってしまった星彩を気遣いながら、それでも他愛のない会話は弾み、微酔いに腹を満たしたのであった。