アンディが南サラボナ半島の火山に単身出かけていったとリュカが知ったのは、ルドマン邸を出てロジェルの案内でアンディの家へ赴いた際に、顔を青ざめた彼の両親から聞かされたからであった。
「私も行ってみます」
リュカは即座に旅装に着替えると、街を飛び出した。
「りゅか、どこいくの?」
スラリンがきょとんとリュカを見上げる。
「火山だ。みんな、半端じゃなく暑いから覚悟しとけ」
「オレ、ダイジョブ」
スミスがニヤリと笑みを浮かべる。
「ああ、スミスとイエッタ。君たちは僕と一緒に来てもらうよ。何か、イヤな予感がしないでもないからな」
それから四日後、南サラボナ半島の火山に無事たどり着いたリュカたちは愕然となった。
火山帯の奥、熔岩原人の潜む祭壇に、大火傷を負った一人の青年が倒れていた。誰であろう、アンディであった。
「ア、アンディッ、しっかりしろ!」
リュカが慌てて彼を抱え起こす。
「待って下さいリュカ。この方は火傷による激痛で気絶しているだけです。私がベホイミを施しておきますので、あなたは熔岩原人を鎮めて、祭壇の指環をっ!」
ピエールの進言に従って、リュカは熔岩から沸き上がってくる火山の守護、熔岩原人を、氷を自在に操るイエッタと、スミスと共に鎮めた。そして、祭壇に納められている箱の中から、紅い宝玉が埋め込まれた指環を取りだした。これぞ、秘宝『炎の指環』に相違なかった。
「よおしピエール。すぐに街に戻るぞ。アンディを運ぶ」
「はいっ」
ピエールのリレミトで、一瞬のうちに灼熱地獄から抜ける。外の気温はこんなにも涼しかったのか。などと考える余裕もなく、リュカがルーラを唱えて一行をサラボナに飛ばす。
「プックル、手伝ってくれ」
「がるるっ」
羽毛布団ばりの柔らかなキラーパンサーの背中に寝かせられて、アンディは自宅に運ばれた。
ピエールの治癒呪文が効いていたらしく、外傷はそんなにひどくはない。ただ、ショックで気は失っていた。
アンディの両親は、キラーパンサーに背負われた息子を見てひどく驚愕したが、リュカの説明を受けて得心し、彼をベッドに運ぶと、医者を求めて街へ走っていった。
「僕はルドマン邸に行ってくる。みんな、悪いがアンディの看病を頼む」
ピエール、プックル、スラリン、イエッタ、スミス、メッキー、コドラン、マーリン、ロッキー、ドラきち、ピッキー、ガンドフらの仲間たちはおのおのの声でリュカに返事をする。
リュカは微笑みを送ると、踵を返して颯然とルドマン邸に向かった。
「何と……アンディが大火傷を負って君に助けられただと!」
「!」
ルドマンが驚き呆れた声を上げて椅子から立ち上がる。フローラが思わず両手で口を押さえて声を押し殺し、身を震わせる。
「あのたわけがっ、一人で火山に入るなど、正気を逸しているとしか思えぬ」
「お……お父様っ、わ、私……出かけてきますっ!」
言うが早いか、フローラは父の返事を待たずに、家を飛び出した。
「フ、フローラッ、どこへ行くっ。せっかくリュカ……」
言いかけるのをリュカが静かに押さえた。睨むルドマンに、リュカは無言で頷く。
「フローラさんはアンディさんのところへ行かれたのでしょう」
「ア、アンディのところへだと?」
ルドマンは狼狽していた。
「聞けば、フローラさんとアンディさんは幼なじみとか。ならばなおさら、瀕死の重傷を負った友を見捨てずにはおけず、駆けつけるのは自然の道理」
リュカは余裕とも取れる笑みを浮かべている。
「ま、まあ、そうだろうな」
ルドマンはようやく落ち着き、腰掛ける。それを確かめると、リュカはルドマンの前に指環を差し出した。
「こ、これはまさしく炎の指環。おお、リュカ、遂に手に入れおったかっ。はっはっはっは、いや愉快愉快。さすがは私の見込んだ男だ」
「しかし……残る水の指環の在処がいまだ不明とあらば……」
リュカが口惜しげに瞼を下ろす。しばらく唸っていたルドマンが、突然手を打ち鳴らした。
「リュカよ。炎の指環が火山の守護と言うのならば、水の指環は、水の守護。すなわち、この大陸を覆う二つの海、サラボナ湾、西ルラフェン海の何処かに海底洞窟のような場所があると聞く。指環はそこに納められているのではあるまいか」
「仰せのこと、まことにごもっとも。しかし、火山はまだ、海ともなれば歩いて行く訳には参らず、これだけはどうも……」
リュカが深刻そうな顔をすると、ルドマンが得意そうに咳払いをした。
「何を申されるリュカ君。誰がそなたをそのまま海に出すものか。不肖このルドマン、勇敢なるそなたを気に入り申した。そなたならば、必ずや水の指環を見つけることが出来よう。ゆえに、私にも少し手伝いをさせてもらおう。……レイチェルはいるか」
「はっ。ご主人様」
リュカが振り返ると、いつの間にか扉のところに使用人らしき若い男性が立っていた。
「レイチェル、運河に停泊させている帆船、すぐにでも使えるか?」
「はい。四日ほど前に整備が終わり、帆を張ればすぐにでも出航できます」
「よし。ならばリュカ君」
「は、はい」
リュカは目を見開いてルドマンを見た。
「我が帆船を貸そう。そして近海を調べてみて欲しい。そこなレイチェルに舵を取らせればよい。レイチェルはもともと近海を駆った漁師ゆえ、なまじそこら辺の海士たちは及ぶまい」
「い、いやぁ……それほどでも……」
レイチェルは照れ笑いを浮かべている。
「よろしいのですか?」
「もちろんだ。私の見込んだ男に間違いはない。健闘を祈るぞ」
ニヤリと笑いながら、ルドマンがリュカの肩を二度軽く叩く。
「何から何まで、本当に感謝の言葉もございません」
リュカが思わず涙ぐむ。ルドマンがもう一度リュカの肩を叩いた。
「いつ発つ?」
「すぐにでも」
「よし。ならばレイチェル、よろしく頼むぞ」
「ははっ。一命に代えましてリュカ様をお守り申し上げます」
レイチェルが毅然と言う。
「ではっ!」
リュカが深々と頭を下げる。ルドマンが力強く頷いてリュカを見送った。
それから少し後、ルドマン邸では、その様子を聞いていたルドマン夫人、すなわちフローラの母メアリが、レモンティーのカップを手に、夫とくつろいでいた。
「リュカさんて方、なかなか度胸のある人のようですね」
「ああ。私が気に入った数少ない男の一人だ。ただ者ではないさ。現に、炎の指環を手に入れてきた。あの男ならば、きっと水の指環も手に入れよう。フローラの婿となるのは、リュカで決まりだな。そう……リュカで」
「これで……あの子もやっと……」
言葉を詰まらせるメアリ。何かこみ上げてきたのだろうか、目頭が潤んでいる。
「そ、そう言えば、フローラはどこへ」
「大火傷を負ったアンディの小倅のところへ看病に行っておる。全く、リュカがせっかく炎の指環を命懸けで取って参ったと言うに、慰めの言葉もかけんで飛び出していったわ」
呆れたように言うルドマン。
「まぁっ、アンディも火山へ」
「運良くリュカに救われて、彼の仲間に負ぶさり、自宅へ運ばれたそうだ。……全く無茶しおって。リュカがいずばとうの昔に焼け死んでおったのかも知れぬのだぞ」
「無茶をしてまでもフローラのことを……良い話ではありませんか」
「ああ、そうだ。あの小倅がフローラのことを激しく好いておることはよく存じている。だがな、果たして奴にフローラを幸せにしてやれる力があると思うか?」
「と、申しますと?」
ルドマンの問いかけに、メアリが逆に質問した。
「恋に溺れて己の命を顧みない者には、異性を幸せにすることは出来ない。と、言うことだ」
ルドマンはそう言って、レモンティーを残らず飲み干す。
「確かに、アンディはフローラに相応しいかもしれん。それは誰もが認めることだろう。しかし、功を焦っておのが命を考えずに火山にたった一人で乗り込むなど、愚か者のする事としか思えぬ」
「お言葉ですがあなた。アンディは好きな人のためならば、フローラのためならば、命だって捨てられる覚悟だったのですよ。こんなにフローラのことを愛してくれているなんて、素晴らしい事じゃありませんか」
メアリも反論する。
「メアリよ、そなたは甘いのう」
ルドマンは半ば呆れ気味に言う。メアリは半ばむっとなった。
「太平の世ならばいざ知らず。今の世は魔王復活の風潮満ち、凶暴と化した魔物どもが日夜人命を奪っておる。この末世において、かような甘き純愛など語っていたら、命がいくつあっても足らぬわ」
「しかし、人の心は……」
メアリが言いかけるのを、ルドマンは遮った。
――――人も、心を強く持つ者でなければならないのだ。ただ、闇雲に欲するだけではこの世を生きて行くことは出来ぬっ。……強くなければ、だめなのだ。
アンディはリュカに嫉妬して、単身火山に行った。確かにそうだ。
しかし、奴はリュカじゃなくてもきっと同じ無謀を犯しただろう。いいかメアリ、よう考えてもみよ。もしもリュカが火山に行かなければいかなる事になっていたと思う。奴は今頃火山の灰と化していただろう。それこそ、フローラを悲しみの淵に引きずり込む事態となっていたかも知れぬのだ。
「……」
メアリもさすがに黙ってしまった。
「わが妻よ、娘を見て、気がつかぬのか?」
「え?」
メアリが夫を見上げる。
「フローラの心すべてが、すでにあの若者にありということに……」
「!」
言われてみれば、六日前の晩から、フローラの様子がどことなくおかしかった。食事時も突然、うつろな眼差しをして話も食事も通らない有様。部屋に戻ったフローラの様子を見ても、窓の外をじっと見つめたまま、物思いに耽っているし、あまり部屋から出歩かなくなった。病にかかったのではないかと心配して部屋を訪れても、ベッドに伏せたままため息ばかりついている。
「ならば……フローラは……」
ルドマンはゆっくりと頷いた。
「私たちはじっと見守ってあげようじゃないか。フローラが幸せになってさえくれれば、それでいいじゃないか」