第7話 禁じられた想い

 月光と満天の星空の下で、リュカとビアンカは唇を重ね合い、余韻に浸っていた。時折吹き抜ける山背が火照った身体を冷ましてくれる。
 身を寄せ合って月を見上げると、様々な想いが脳裏を過ぎる。
 物心がついた時はすでに亡父・パパスに手を引かれる旅の空にあった。振り返ること十余年前。
 ビアンカと出逢ったのは、今は滅んだサンタローズの村。そして、アルカパの町までの短い、本当に短い旅路。思い起こせば、リュカと父パパス、ビアンカが一緒にいられた時間は、これが最初で最後であったかも知れない。
 そして今、苦楽を共にしているプックルが、まだベビーパンサーだった頃、町の悪童たちに虐められているのを見かねたビアンカが、彼らと交わした契約を果たすために行った、深夜のレヌール城お化け退治。それは、あの頃、やや鬱々とした風情に一条の光を差した、小さな英雄譚。
 そして、リュカとビアンカの、セピア色の大冒険――――。
(また、一緒に冒険しようね――――)
 サンタローズへと旅立つ、別れの朝。勝ち気で、お転婆で、誰よりもお互いに信じ合っていた、少女の瞳に、小さな透明の粒が朝日に輝いたのを、リュカは思い出していた。
 遠い日の思い出。そして、今は心を切なく疼かせる、もうひとつの束縛でもあった。
「どうしたの、リュカ?」
 リュカの向けるうつろな眼に気がついたビアンカが、蒼く澄んだ瞳でリュカを見つめる。
「あ……いや。なんでも……ないよ」
 ビアンカを見つめ返し、はにかむリュカ。微妙な間が二人を包む。やがて、彼女がそっと瞳を逸らして水面に映る月を見た。
「ごめんなさい……」
「え…………?」
「いけないこと……しちゃったね……」
「…………」
 ふとそう呟いたビアンカ。わずかに瞳を伏せるリュカ。
「あっ……ゴメン、へんなこと……言って」
 慌てて笑顔を繕うビアンカ。忍ぶようにリュカの横顔を見ると、彼はどこかしか寂しそうな瞳を、真っ直ぐ、静かに月に向けていた。そして、不意に彼女の肩に添えていた腕を引き寄せる。華奢な身体が、フェザーのように厚い胸板に受け止められた。
「ビアンカ……僕と――――」
 言いかけたリュカの唇に、少女ははにかみながら人差し指を当てる。仕草はゆっくりだった。しかし、どこか慌てて彼の言葉を塞ぐように。
「あたし……後悔とか、していないわよ。ううん、それよりも……うれしかった」
 無理に繕った笑顔は、波寄せる浜辺に拵えた、砂の城に等しい。

 ――――あたしの独り言……聞かないでリュカ……。
 あたし……あたしね、ずっと……ずっとリュカとこうなること……望んでいたの。
 初めて……そして最後もリュカって、決めていたから……。
 だからね……うれしい……うれしくて……。
 こうしているだけで、しあわせよ……もう……なにもいらないくらい…………。

 ビアンカは逞しいリュカの胸に唇を当てながら、微かに震えていた。懸命に笑顔を作り、明るく振る舞おうとしている。
「ビアンカ――――」
 まるでマホトーンの呪文を掛けられたかのように、続く言葉が出ない。優しく頬に手を添えて瞳を見つめても瞼にキスをしても、ビアンカの容に至福の色は滲まなかった。
 気の利いたセリフひとつも見あたらないまま、夜は更けてゆく。
「…………あ、いけない。長湯しちゃった。リュカ、そろそろ上がらない」
 気がつくと、ビアンカはいつもの彼女に戻っていた。
「先、上がるから。いーい? こっち向いちゃダメよ」
 リュカに外方を向くようにきつく言いつけるとビアンカは滑らかな水音を立てて露天風呂を後にした。それを見計らって、リュカも上がった。

 リュカが部屋に入った途端、愕然となった。ビアンカが元宿屋の娘らしく実に手慣れたようにベッドを作っていたからだった。
「あ、お帰りリュカ。今晩はよろしくね」
「え、ここに泊まるの?」
「うん。そのつもり。お父さん、リュカと積もる話をしてきてもいい? って言ったら、二つ返事で承諾してくれたわ」
 満面に眩しいほど美しく、嬉々とした笑顔を浮かべて、ビアンカは言った。
「そ、そう……」
 子供の頃と変わりないこの強引さ。苦笑いを浮かべて、幼馴染みに、かつての面影を重ねる。
「だから、今夜はたくさんお話しようね」
 ベッドに並んで腰掛けながら語り合う十年の歳月は決して悲しみに満ちた思い出ばかりではなく、楽しくて笑いあえるようなエピソードもたくさん思い起こすことが出来た。
 満面の笑顔のビアンカ。つられて笑うリュカ。端から見れば、実に仲睦まじい少年と少女だった。
 やがて、話すこともなくなり、言葉を繋ぐ数秒の間が異様に長く感じられる。意味もなく自分の膝を一転に見つめる二人。昔話から始めたお互いのエピソードが、露天風呂で結ばれた事の意味を更に増幅させていた。
「そろそろ、寝よ――――――――」
 言いかけたビアンカの身体は、次の瞬間、リュカの腕に強く包まれていた。
 彼自身、何故そのような行動に走ったのか、わからなかった。ただ、彼女に対する想いが彼を動かしていたのかも知れない。
 とすっ……。仰向けの彼女の上に重なるように、ベッドに倒れる。
「…………」
「…………」
 どこかしか重い空気が漂う。ふとリュカがビアンカの瞳を見つめた瞬間、彼は愕然となった。
 まるで堰を切ったかのように、大粒の宝玉が、深く蒼い瞳から止めどなくあふれ落ちていたからだ。
「ビアンカ……」
 思わず身を離そうと背中を引く。
「あっ、あれ? どうしたのかな、あたし……。なんで……ゴミでも入っちゃたのかな……」
「…………」
「ご、ごめんねリュカ。気にしないで……。それより……」
 すると、彼女の細い腕が、そっと彼の背中に回される。
「お願い……今夜はこのままで眠らせて、リュカ……」
 一瞬の戸惑いの後、リュカは優しく微笑み、再びビアンカを抱きしめた。
 やがて彼女はリュカの胸に頬をぴたりと寄せながら寝息を立てた。その表情は幸せという言葉よりも、安らぎに満ちていた。きっと、この十余年もの間、安心しきれる日はなかったのではないかと思うほどに……。
「ビアンカ……僕は……」
 そして、彼の心の奥にビアンカ、そしてフローラに対するそれぞれの痛念が芽生え始めていた。

 翌朝。挨拶もそこそこにリュカとビアンカは共に山奥の村を下った。浅葱色の服はビアンカのイメージ。橙色の外套を靡かせながら、颯爽と山道を駆け下りる。
 砂浜で屯していたリュカの仲間たちは、ビアンカの姿に気を揉んだ。
 だが、彼らの心配はすぐに杞憂に終わる。
「プックル――――プックルだよね!」
「がうっ! がるっ! がるるる―――――!」
 ベビーパンサーの名付け親。悪童から救ってくれた恩と、優しい名前を付けてくれたことを、キラーパンサーは忘れるはずもなく、プックルは感涙にむせぶと同じなのだろう、地に響くような唸り声を上げて、ビアンカと抱き合った。
 冷静な仲間たちのリーダー・ピエールが挨拶すると、続けて知者のマーリン、そしてスラリン、ホイミン、メッキーと、堰を切ったようにビアンカに自己紹介の嵐。美しい女性が供をするとなれば、きっと人間だけじゃなくてもはきりるものなのだと、リュカは思った。
 そして、ビアンカ自身も、何の違和感すら感じず、腐った死体のスミスとも平然と握手を交わして微笑んだ。鈍感なスミスが照れているのを、他の仲間たちがからかって大笑。
「さて、そろそろ出発しようか」
 レイチェルに目配せし、出帆する。
「レイチェルさん、船を岩壁の方へ寄せてもらえますか」
 ビアンカの指示通りに水門の手前で岩壁に船を寄せる。一歩間違えれば船底を破損させ、沈没する危険がある。
巧みに船を操るのはさすがルドマン折り紙付きの航海士である。
「さてと……」
 リュカたちが見守る中、ビアンカは軽く腕まくりをすると、前触れもなくいきなり海面に飛び込んだのである。
「あ、ビアンカ」
 愕然となるリュカたち。彼女の姿は海中へと消え、しんとなった。
「…………」
「…………」
「うわ、かっこいい」
 船縁に乗っていたスラリンが呟く。
「キーッ、キーッ。びあんか、上がってくる。キーッ」
 海面すれすれでばっさばっさと羽ばたかせながら、ドラきちが叫ぶ。そして間もなく、海面に小さな飛沫が立ち、美少女がちょこんと首だけを覗かせた。
「水門開けたわ。ゴメン、私のこと引き上げてくれる?」
 いつもは乗り慣れた小舟を使う。ルドマンの帆船は聊か大きかったようだった。

 内海を北へ向かい、途中立ち寄った小さな補給港の情報から、西ルラフェン海へ注ぎ込む北大河の河口に、巨大な瀑布があり、その岩壁には洞穴があると言うことを知った。紛れもない有力な手がかりである。
 それから十日。海と呼べる地形も、U字谷と言う称になり、やがて大河の下流へとなった。レイチェルの話では北大河の瀑布には翌日にたどり着くだろう。
 西ルラフェン海の水平線に今まさに沈みゆく夕陽。海洋にルビーを鏤め、遠く北に望む陸地が紅く染まる。
 少し早い夕食を終えた後、ビアンカは船尾に佇み、沈む夕陽を時を忘れたかのように見つめていた。
「ビアンカ、ここにいたのか」
 リュカが彼女の姿を見つけて声を掛ける。
「リュカ…………うん。見て、夕陽がきれい」
「ああ……」
 リュカはビアンカの背後に立つ。何故か、彼女の横に並ぶことを憚っていた。暗黙の申し事項であるかのように、ビアンカも、触れず、振り返らない。ただ、真っ直ぐ水平線に姿を埋めてゆく太陽を見つめていた。
 どれくらい、そうしていただろうか。陽がすっぽりと水平線の向こうに姿を隠し、残光が今日一日の終焉を告げる。
「いい子たちね」
 不意にビアンカが呟いた。えっと驚くリュカ。
「プックルは当然だけど――――ピエール、スミスに、しっかり者のマーリン。縫いぐるみのようなガンドフ、ふふっ。みんな」
 語尾を悪戯っぽい笑みでしめる。
「ああ、あいつらか。うん。今の僕にとって、何よりもかけがえのない仲間たちなんだ。あいつらがいなかったら、今頃僕は……」
「そうよね……。あの子たちがずっと、リュカの支えになってくれていたんだもんね……」
 翳る言葉。
(……て、私は――――)
「ビアンカ?」
「ううん、何でもない。独り言よ、ふふっ、いやぁね。最近多いの、独り言が――――」
 無理に明るく笑うビアンカ。リュカに余計な気を遣わせまいとする彼女の直向きさがリュカの胸を締め付ける。
「きっといつか、また一緒に冒険しようね――――」
「…………?」
 リュカの胸に、深く吸い込まれそうな懐かしい響きを与えるビアンカの言葉。
「ねぇリュカ、憶えてる…………?」
「…………」
 不覚だった。
「ふふっ。憶えてるわけないよね――――」
「ゴメン……ビアンカ」
 心から謝るリュカ。
「ううん、責めている訳じゃないのよ。ただあのとき、二人でお化け退治して、王様とお后さまを救ってあげて……お互いちょっとした英雄気取りだったじゃない? だからまた、そんな気分を味わいたくて交わした、他愛のない約束――――」
 ビアンカは笑っていた。微かに肩を震わせて、それを必死で隠そうと怺えている。
「約束果たせたわね……良かった……」
「…………」
 夜の帳が下りてくる。皎き月光と、波の音だけが世界を包む。それでも決して、彼女はリュカに振り返ろうとしなかった。
 波の音、振り返ることもなく、夜天の月を見つめ続けるビアンカ。
 どくん……
 彼女に対し、急激に愛おしさがこみ上げてくるリュカ。それは甘い痺れとなって、爪先から脳天へと駆け抜けていった。
 そして次の瞬間、リュカは背後からビアンカを抱きしめていた。
「あ……」
 抗う風でもなく、彼女はリュカの太い腕にそっと手のひらを重ねる。
「どうして…………」
 リュカが震える声で言った。
「どうして……一緒に来たんだよ…………」
「リュ……カ?」
「僕は…………僕は…………」
 浅葱色の服の上から、二つの膨らみに触れるリュカ。
「あっ……ん……」
「君が来なければ…………僕は……」
 裾から手を差し入れて、直に触れる。恐いほどに美しく、なだらかに続く柔らかな丘、そして先端のつぼみを、リュカの優しく、雄々しき手が刺激した。
「あぁ……だめ、リュカ……」
 懸命に理性を保とうとするビアンカ。だが、リュカの手から伝わる快感を、はね除ける気概が起きない。逆に声が鼻にかかり、息が熱くなる。
「君が……君が僕を…………」
 何かが、リュカの理性を壊そうとしていたのかも知れない。それは形となり現れた。
 すらりと伸びた脚、肉付きの良い太股にリュカの片手が伝う。
「んぅ……あぅ……」
 撫でられているだけで快感が走り、ぴくぴくと震える太股。やがて、リュカの手がそこに達する。
「あっ! や……やだ…………」
 ビアンカの手がリュカの手首を掴む。しかし、それは逆にリュカの欲望をかき立てる抵抗に過ぎなかった。
「こ……こんなところで…………だ……誰か来ちゃったら……」
 しかし、リュカは無言のまま愛撫を強め、その心配は要らないと伝える。
 言葉とは裏腹に、ビアンカは愛しい人の愛撫に敏感に反応していた。
 月光満ちる船尾。浅葱色の服がはだけ、美しい双丘とすらりと伸びた脚を吹き抜ける潮風にさらす美少女。  背後からのしかかるように、リュカが彼女の箇所を責め、秘事を隠すかのように、彼が纏う紫色のぼろぼろの外套がはためく。
「あうぅ……くっ…………」
 リュカのぎこちない指の動きが微妙な刺激となり、快感へ変わってゆく。船縁にしがみつき、突っ張っていた膝の力が抜けてゆく。
「…………」
「ああ……」
 下を責めていたリュカが手を引き、人差し指と中指を月光にかざした。きらきらと絡んだ液体が青白い光の粒となる。それを見てから、上を責めているもう片方の指で、頂を強く摘む。
「あはぁっ、いや……リュ……カ――――やめ……」
 ひときわ大きな声を上げておとがいを反らす。
「リュ……カぁ…………うぐっ!」
 それを見計らって、リュカは液が絡んだ人差し指と中指を彼女の唇に強引に差し込む。驚いて目を見開くビアンカ。ぽろぽろと涙の粒が落ちる。
「ビアンカ――――…………」
 背中から覆い被さるような体勢で、彼は耳元に何かを呟き、片方の手で固さが残る小ぶりの胸を弄ぶ。
「んっ……んふ……ちゅ……くちゅ……」
 まるで言いなりにさせられたかのように、涙が頬を伝えながら、彼女は自らの液に濡れたリュカの指をしゃぶる。
 理性を失したと思うほどの、リュカの行動。だが、幼なじみの少女に恥ずかしい姿を晒させ、嫌らしい行為を求めて悦楽の表情を、彼は浮かべていなかった。
 それどころか、彼もまた、ビアンカを虐めながら苦痛の表情をしていた。ぐっと怺えていた涙が、耐えきれずにこぼれ落ちてくる。
「んっ…………くぷっ…………はぁ……」
 リュカは彼女の唾液にふやけた指を抜き取ると、浅葱色のスカートをたくし上げ、ビアンカ自身に擦りつける。
「あぁ……だ……め……」
 あまり十分な状態ではなかった。しかしリュカは腰巻きを払うと、思いとは裏腹に怒張する自分自身を宛い、一気に貫いた。
「や……ああぁ――――――――っ! リュ…………カァ――――――――」
「くぅぁ……ビアンカ……」
 ひとつ打ちつけただけで、二人は尽き果てるかと思うほどに崩れる。
 若い二人の身体には、哀しみという感情すらも一時癒してくれる不思議な力があった。涙もいつしか悦びの涙となり、隔たる心も、身体と共に今はひとつとなり、お互いを本当に愛しく思えた。
「あっ、あっ……リュカぁ……もっと…………もっとぉ――――」
「ビアンカ……ビアンカ――――!」
 波に揺れる帆船。月に照らされて、二人は密やかに、それでも激しく身を重ね合っていた。今だけは、悲哀も、背徳も何もかも忘れられる楽園に堕ちてゆくかのように……。