第10話 hesitation

「ルドマンさんからの達しだ。今日はこれを持ってくるようにとのことだ」
 漆黒の狩衣烏帽子に着替えたリュカに、ロジェルから渡されたのは、長さ三〇センチくらいのアイボリーの細長い板。下端に白絹の総が二本垂れ、裏側には古代文字が細かく刻み込まれている。
「これは古代より伝わる『縁(えにし)の笏(こつ)』だ」
「縁の笏……?」
 リュカはそのアイボリーの板を見つめた。
 磨かれたように艶があるそれは、陽光を反射させて薄クリーム色の優しい輝きをたたえ、リュカの顔を映しだしている。
「まさかね、それが再び用いる日が来ようとはな。……あんたいったい何者だよ」
 と言いながら苦笑するロジェル。
「『生涯の連れ合いとなる女性に、男の一身を預ける……』とかなんとかの意味を持つらしいが、俺は詳しいことは知らねぇ。まったくよ、フローラさんと結婚するんだから、お前さんが命懸けて見つけてきた二つの指環ありゃいいのにさ。金持ちのすることはわからんね」
「…………」
 フローラと結婚するという言葉にぴくりと反応するリュカ。
 笏の下端を右の手のひらに載せて親指で押さえ、左の手のひらに上端を置く。笏の持ち方を教わり、その通りにしてみる。
 その装束だけで異国の貴公子かくやとばかりのリュカに、笏を持つ仕種が更に雰囲気を醸し出していた。
「ほぉ――――やっぱり様になるね。馬子にも衣装、公家にも襤褸(つづれ)とはよく言ったもんだ。うんうん」
「褒め言葉として受け取っておきます」
 心なしか、リュカの身振り素振りもしゃなりしゃなりとなる。
「リュカさぁ――――――――ん、ルドマンさんの使いが来てるよ。そろそろいいかい――――?」
 女将のアンの威勢のいい声が響いてくる。
「おっと、いよいよお出ましか。くぅ――――いいねぇ。あんな美人と一緒になること出来りゃあ――――」
「まだかい――――?」
 ロジェルの言葉を遮るように、再びアンの大声。
「おっといけねえ。じゃあリュカさんよ、行って来な。くはは、あんたのお陰で、今夜は久しぶりに大酒だなぁ」
 ひとり今宵のスケジュールを立てて盛り上がるロジェルに苦笑を浮かべると、リュカはゆっくりとした足取りでホールへと向かう。
 狩衣烏帽子の異国礼装に身を包んだリュカは、ルドマンの提起した条件を成し遂げたという話も相まって、サラボナの町中で、一躍センセーションを巻き起こしていた。
 晴月亭のロビー、外観を見渡す路上には、名家の莫大な財と、深窓の令嬢を手にすることになる『貴族』の姿一目見ようと、黒山の人だかりとなっていた。
 若い娘たちは挙って黄色い声を張り上げ、リュカに対してアプローチをする。
「…………」
 沈静な表情と言えば聞こえがよい。
 漆黒の長い裾を揺らせ、アイボリーの笏を手に真顔で歩を進めるリュカは、確かにこの上なく美青年に見えた。
 だが、彼はそんなことはどうでも良かった。
 フローラとの結婚を目前に、リュカは正直、戸惑っていた。
 思いはいよいよ叶えられるというのに、一歩進めるたびに、その貌から笑顔が薄れてゆく。
 フローラと結ばれた昨夜。
 それは何度目だったか憶えていない。ただ、花も恥じらうばかりの平時の彼女からは想像できないほど、回を重ねるごとに乱れ狂い、身体を求め合っていた、数時前。
 リュカは完全にフローラに惹かれていた。そのはずだった。
 
(リュカが…………欲しい…………)
 
 ふと、何故か無意識に、ビアンカの寂しげな容と、言葉が過ぎり、彼の心臓を締め付けた。
 昔の面影を残したまま、美しく健康的で、それでいて何処かしか儚さを感じさせる少女ビアンカの事が、まるで突発的な地震のようにリュカの心を襲い揺らした。
「…………っつ」
 何の障害物もないロビーの床でリュカは軽く躓き、転倒こそ免れたが、アイボリーの笏がリュカの手から離れ、からんと音を立て落ちた。
「…………」
 ざわめく諸人。半ば慌ててリュカは身をかがめる。
 正直着慣れぬ狩衣烏帽子は動きを鈍らせる。足下の落とし物を拾うにも、普段の倍以上の時間が掛かった。
 笏を拾い上げ、指で軽く埃を払う。
 思いが過ぎり、わずかに瞳を伏せて、立ち上がろうとしたとき、すっと、リュカの目の前に影が伸びた。
「あなたは……アンディ――――」
 大幅に取れた包帯と湿布姿の容を素にして、アンディは上からリュカを見下ろす。同時に右手を差し出した。
「ありがとう…………」
 リュカはすっと差し出された手を握る。
 どくん……。
 その瞬間、小さな罪悪感がリュカの心を打ち、身体中をほんのわずかに汗ばませた。
「…………」
 アイボリーの笏を手に立ち上がったリュカを、アンディは真っ直ぐ見つめる。
「リュカ――――さん」
 低い声で、アンディは言った。眼差しは毅然と、怒ったようにリュカを捉えている。
 しばらく、瞳で対峙する二人。自然と息を呑む諸人たち。
 そして、アンディは突然跪き、リュカに対し拝礼した。おおとどよめく諸人。
「あ、アンディ。何を――――」
 慌てるリュカ。アンディの手を取ろうと再び跪こうとするのを、アンディの声が止めた。
「ひとつだけ、あなたに訊きたいことがある」
「え――――」
 ぴたりと動きの止まるリュカ。アンディは上目遣いにリュカを見、わずかの間の後、頑とした口調で言った。
 
「フローラのこと、愛しているのか」
 
 彼の眼差しはまさに愛する女性を守る騎士の威厳が溢れていた。答え如何ではただでは済まさぬと言った風だ。
 伝説に、かつて魔族の王に愛されたエルフの少女を護衛するために若い生命を散らした騎士がいたという。
 少女に迫る悪鬼羅刹を悉く斬り伏せたその騎士。密かな想いを寄せるも、叶うべくもなく散った悲しい伝説だ。
 アンディの瞳は、その騎士かくやと言わんばかり。
 リュカも彼の心情を慮れば、余計な気遣いを捨て去り、ありのままの想いを伝えるべく、このように答えるしかなかった。
 
「愛しています――――」
 
「…………」
 アンディは多分、リュカの瞳の奥に燻る、迷いの炎を見抜いていたのかも知れなかった。しばらく見つめ合う二人。
 やがて、アンディは瞳を伏せ、にやりと笑った。
「それを聞いて、安心しました」
 そう言うと、アンディはくるりと踵を返す。他に言葉はなかった。その笑顔には、安堵や諦め、嫉妬や卑屈の色は感じられなかった。極端に言えば、無の境地に辿り着いた、そんな笑顔にリュカには見えた。
 
 使いの馬車の中で、リュカは淡々とした表情でサラボナの街景色を眺めていた。手に持つ笏をせわしなく表裏にひっくり返す。
 からからから……
 ゆっくりとした車輪の音。路上ではリュカを見ようとなおも人の波が途絶えない。
 ルドマン邸に近づくにつれて、リュカの胸中は徐々に波立ち、大きくうねった。
(――――フローラ――――ビアンカ――――)
 リュカの脳裏に交互に過ぎる二人の美少女。
 そして、普段は強気で男勝りのビアンカが、セックスの時には一転しおらしくリュカのなすがままになり、普段は控えめで、花も恥じらうばかりの上品さと気品を兼ね備えたフローラは、リュカを圧倒するかのように激しく乱れた、それぞれの懸隔。
 リュカはその想像によって、微かに自分自身が反応を示してしまったわずかな自己嫌悪に、瞼を閉じて軽く首を横に振った。
「リュカ様、ご気分でもお悪いのですか?」
「……いえ、少し考え事を。失礼致しました」
 心配した馭者が声を掛けると、リュカは笑顔でそう返した。
 
 ルドマン邸の門前に馬車が止まる。長い烏帽子の先をドアに引っかけないように、上体を屈めながら馬車を降りる。実に不便だが、その終始の動作が上品なのだと聞いた。
「リュカ様、ご主人様がお待ちでございます」
 リュカの姿に思わず見とれた使用人の女性に案内されて、ゆっくりとルドマン公の待つ広間へと向かう。
「…………」
 すっ……すっ……。
 ダウンライトの静かな廊下に、歩くごとに狩衣の衣擦れの音が響く。リュカはあからさまに落ち着かなかった。手にする縁の笏を小刻みに震わせる。
 やがて広間のドアがゆっくりと開き、比べれば眩い光と暖かな空気が一斉にリュカを包む。
 しんとした空気。それはどこか緊迫した雰囲気を感じさせる。
「おはようございます、リュカです。ただ今、参上いたしました」
 少年の凛とした声だけが空間に響き、返答を待たずに、一歩を踏み出す。。
 かつ……かつ……
 リュカの乾いた沓の音が広間に響く。
 
「おおリュカ君、待っていたぞ」
 手を背中で組み、大きな窓から中庭の風景を眺めていたルドマンがゆっくりと振り返る。
 その恰幅の良い風貌は笑っていた。しかし、心底からの笑顔とは言い難い、刺々しさがあった。
「うむ……縁の笏、持ち合わせたようじゃな」
 リュカの手に映える、アイボリーの板に目配せしたルドマンが、頷く。
 リュカは間を置かずに咄嗟に跪き、笏を拝した。
「太守、お話は伺いました。重ねてお訊ね致します。これはどのような意向をもって僕に……」
「おお、リュカ君。まずは立たれよ。それでは話も出来ぬ」
 ルドマンはリュカの問いに答える前に、慌ててリュカの側に駆け寄り、手を取って立ち上がらせた。
「太守。畏れながら、炎・水。この二つの指環では何かご不満でもあるのでしょうか。縁の笏などと、これでは……」
 形式張った事を重ねるルドマンに、リュカは明らかに不快な表情を浮かべていた。
 だが、ルドマンはそんなリュカを威圧するように、彼の瞳を捉え、優しいながらも力強い声で言った。
「それは、そなた自身の胸に訊いてみるがよろしかろう――――」
 その言葉に、リュカは思わず息を呑む。
「…………」
 唖然とするリュカに、ルドマンはふっと笑みを向ける。
「……などとな。ま、話はゆるりとな」
 あからさまに戸惑いの色を滲ませ、視線の定まらないリュカ。表情がわずかに曇る。
 ルドマンは扉の方に目配せすると、透る声で言った。
「参られよ――――」
 その呼びかけに、すうっと扉が開き、使用人に伴われたひとりの少女が、俯き加減に姿を見せた。
(ビアンカ……?)
 三つ編みに結われた、輝かんばかりの金色の髪。華奢な身体に見慣れた浅葱色の服、橙の外套。誰でもない、ビアンカ本人だ。
 二、三歩、歩を進めたビアンカが、使用人に声を掛けられ、おどおどしげに伏せた瞳を起こした。
 そして、ビアンカの青色の澄んだ瞳が、漆黒の異国の礼装を纏った少年に向いた瞬間、胸の鼓動は雷撃を受け、危うく止まりそうになるかと思うほどに高く鳴り打ち、その細い身体に甘い痛みが走った。
(リュカ…………)
 魅入られたように、ビアンカはリュカを見つめていた。
 そのリュカはビアンカを一瞥しただけで、憂いの表情を浮かべ、俯いている。手に持つアイボリーの笏が震え、わずかに下唇を噛んでいた。
 きっと傍目から見れば、その姿こそ、異国の王侯貴族の気品を醸し出していたのかも知れない。
(ああ…………リュカ…………すてき…………)
 それは少女の胸中に新たに芽生えた感情。十年来胸に秘めてきた想いとは別のものだった。
 足を止め、我を忘れて幼なじみの少年に見とれていたビアンカ。使用人に促されてルドマンの側へ歩む。
「…………」
 リュカはわずかに俯いた貌を上げようとしなかった。あからさまに、視界からビアンカの姿を外そうとしていた。
「リュカ君、実はな――――」
 ルドマンが言いかけたその時、突然リュカは顔を上げてかっと目を見開き、ルドマンとビアンカを睨みつけた。
「太守、これはどういう事でありましょう。僕はフローラさんのために身を挺して来たと言うのに……何故この場にビアンカがいるのです。フローラさんは一体……」
 興奮気味にまくし立てるリュカ。突然の大声にビアンカは驚愕する。
「落ち着かれよ、リュカ君。話はまだ終わっていない」
 ルドマンが宥める。リュカは長嘆し、手に持つアイボリーの笏がかたかたと震える。その様子に、ビアンカは悲しげな表情を必死で隠そうとしていた。
 やがてリュカがいささか落ち着きを取り戻した頃合をはかって、ルドマンが言う。
「リュカ君、改めてそなたに訊ねよう。……我が娘、フローラとの結婚を望んでおるか」
 その質問の直後、リュカの表情がほんの一瞬、怯んだ。
「言うまでもございません。そのために僕は……」
 言いかけにルドマンの怒気含んだ声が割り込んだ。
「端的に答えられよ。儂はそなたの力量を認めているのだからな」
 少しの間の後、リュカは一呼吸を置いてから言った。
「僕は……、フローラさんと結婚します……」
 その答えに、ルドマンは真っ直ぐリュカの瞳を捉えた。その心を探るかのように、じっとリュカを見つめる。
「…………」
「…………」
 互いにその心を探り合うかのように、しばらくの間無言の言葉を交わす。
 やがて、ルドマンはふっとため息をつき、瞳を伏せた。
「フローラ、来なさい」
 その声と同時に、リュカとビアンカが通った反対の扉が開き、母メアリに伴われたフローラが姿を見せた。
 フローラはすぐにリュカを見た。その瞬間、彼女はぽっと赤らめ、小さく会釈をすると同時に、貌を逸らす。
 激しく愛し合った昨日の今日を思い出すと、無意識に身体が熱くなる。
 しかし、リュカはフローラにさえも冷たくあしらうかのように、目を合わせようとしなかった。
(リュカ……さん?)
 彼の様子に、フローラは少し眉を顰める。
「フローラ、彼は斯様に申しているが、お前はどう思っている」
「私……嬉しゅう…………ございます……」
 破裂してしまいそうな程に赤らめた容を伏せ気味に、フローラは答えた。
「…………」
 ルドマンはフローラとリュカ、そしてビアンカの三人に視線を一巡させると、眉を寄せてリュカを見た。
 
「結婚の件、しばし預かり置く」
 
「…………えっ?」
「…………」
「……お……お父様…………?」
 三人は一概に愕然となった。美少女二人はともかく、リュカがとりわけ激しく動揺し、思考すらまとまらず言葉が出ない様子。
 ようやく怒りのひとつでも口に出ようと思ったとき、ルドマンは続けた。
「今のそなたに、この大事を任すこと、出来ぬ」
「っ……なぜ、なぜですっ! 僕は……僕はフローラさんのために……っ!」
 リュカの目は血走っていた。笏が握り壊されてしまうかと思うほどに強く握りしめる。
 ビアンカとフローラは唖然としていた。沈着で涼しげな、どこか憂色滲ますその美貌と雰囲気を持った少年が取り乱している。ビアンカにいたっては、幼い頃からリュカを知るも、このような取り乱しを見たことがなかった。
「裡に迷い秘めしそなたに、幸福を掴むことは出来ぬからだ」
 ルドマンは指先を鋭くリュカの胸元に突きつけた。絶句するリュカ。
「二人を目の前にしそなたならば判るであろう」
「…………」
 リュカの心中を見抜いていたルドマンに返す言葉がない。
「目を逸らさず、二人をしかと見よリュカ君。そして、おのが心と向き合うのだ」
 リュカは高鳴る鼓動を押して顔を上げた。ルドマンを正面に、向かって左にフローラ、右にビアンカが立っている。
 不安と恥ずかしさにこの場から逃げ出したい気持ちを抑えて、二人はそれでもリュカを見つめていた。
「そなたがビアンカ殿を伴ってきたときから儂らは気づいていたのだよ」
「しばらくっ! 僕は……僕は本当に――――!」
 ルドマンは手のひらを突き出し、リュカを抑える。
「そなたの想いはよう判っている。しかし、ビアンカ殿の想いはいかがかな?」
 ルドマンがビアンカに振る。金色の髪を揺らせて、ビアンカはわずかに狼狽えた。
「私……私は……」
「自分に嘘をつかれるな。そなたがリュカ君を想い慕っていることくらい、見抜けぬ訳ではないぞ」
 ビアンカはそれを公然と認めてしまった。リュカが一番気に病んでいたことを、ビアンカは自ら掘り起こしてしまったのだ。
「フローラ、お前の心情、語るまでもないことだとは思うが、改めて告白しなさい」
「はい……私は……リュカさんのことを――――愛しております……」
 控えめなフローラの告白は、並々ならぬ決意と闘志を感じさせるものだった。
「うむ……。二人にここまで慕われるリュカ君、実に羨ましい限りだな――――などと本来ならば茶化すところなのだが、此度はさすがにそうは行くまいて」
 苦笑するルドマン。
「リュカ君。このたびのことは我が娘フローラの婿たらんがためのことなれど、前にも申した通り、二つの指環を手に入れたそなたの力量を儂は心から気に入った。そなたが望む『天空の盾』はそなたに託すことを決めている。安心するがよい」
「え――――っ」
 リュカは驚いてルドマンを見た。度量の広さを形に表したような豊かな顔に穏やかな笑顔をたたえている。
「本来ならば、そなたの目的を逸したことなのやも知れぬが、これも何かの縁。そなた自身の迷いを断ち切り、フローラかビアンカ殿。どちらか本当に伴侶と成すべき者と結婚してはいかがかな」
 それは、リュカに与えられた人生の大きな岐路だった。
「ちょっと待ってください!」
 リュカは思わず叫んでいた。
「僕に……僕に二人のどちらかを選べと。この場にて……ですか」
「左様。そなたが持つ縁の笏、これを伴侶と成すべき女性に向かい、跪き拝するのだ」
「そ、それはあまりに酷な……」
 リュカが二人の美少女を前にし、そのどちらかに縁の笏を渡す儀式。
 公然にどちらかひとりが振られることになる。そして、それは生涯忘れ得ぬ傷痕となるのだ。
「二人はすでに納得しています。リュカさん、あなたを愛するがゆえの健気な覚悟なのですよ。二人の気持ち、酌み取ってあげて下さいな」
 メアリの言葉に、ビアンカとフローラは、わずかに唇をきゅっと噛んだ。
「…………」
 アイボリーの笏をじっと見つめるリュカ。
 そして長い沈黙の後、毅然とした眼差しをルドマンに向けた。
「わかりました。……しかし、今ここでとは――――」
 ルドマンはすでに納得済みとばかりに顔を綻ばせる。
「今宵一晩――――と、言いたいところだが、何分そなたやこの二人の生涯に関わる大事ゆえ、大いに悩むがよい。……三日、いや、七日もあれば結論が出るかの」
「は……はい――――」
「よし。ならば式は八日の後と言うことにしよう。シルクのヴェールも、その日までに届けさせることにする。よいか」
 リュカが頷く。
「そなたたちも、それでよろしいかな」
「はい……」」
 ビアンカとフローラが同時に、やや力のない返事をした。
 そして、リュカと二人の美少女、ひいては世界の命運に関わる大事が、初夏のサラボナの街に、甘く切ない風となって到来しようとしていた。