聖陽歴1192年春にミカエルが、バルコ鉱山島から西征を発し、魔神デムウスを追討せしめ、聖都ラシンヴァニアに拠を構えたのは1199年秋。
秩序と法を整え、ミカエルは仲間から冊立されて帝位に登った。【聖帝・聖シュリア統一王朝誕生】 聖帝は、帝位を自分の子に継がすという世襲制を嫌い、大国を運営できる有能な人材を、老若男女・種族や身分尊卑に関わらず就けるようにとの、禅譲制を定めた。この制度により、聖シュリア統一王朝の隆盛は、約600年続くことになる。 1698年に白エルフ族から帝位に登った明帝が4年の在位の後、急逝。1000年の命を保つと言われる白エルフ族のこの聡明皇帝は、わずか280歳(人間齢約24歳)の夭折であった。 群臣は急きょ、明帝の傍系であるヘルゲン(懐帝)を擁立したが、懐帝もまた即位後2週間で急逝する。 31代文帝(ドワーフ族・タックス)の時に登用されたガルヴェルは、元々無頼の徒であったが、その文才と雄略が認められて書記次官に抜擢された男であった。 だが、この男は帝位の簒奪を裡に秘めている野心家でもあり、明帝崩御後は自分が帝位に就くため、周到に計画を立てていたのだが、当時の夏河守護・近衛中将軍である多勢頼資(たせ・らいし)に阻まれ叶わなかった。 だが、懐帝が急逝したことで、ガルヴェルの運は高まった。派閥抗争で混乱に陥っていた宮廷に乗り込み、聖帝ミカエルの直裔とする15歳の少年マルティスを無理矢理玉座に据えた。このマルティスが33代光主帝である。 しかし、実権はガルヴェルが掌握し、反抗勢力の粛清を断行する。多くの貴族が無実の罪を着せられて処刑・暗殺されたが、特に忠烈無比な夏河守護・多勢頼資に対しては憎悪が深く、頼資が親好のあったレガル侯ディーザス(文帝の従兄)を擁立し、明帝を毒殺、聖シュリアの転覆を謀ったという、まったくもって事実無根の罪状をでっち上げ、近衛兵を夏河に送り、頼資以下一族を鏖殺した。多勢一族の首級は、ラシンヴァニアの中心地の公園に十日間曝され、夏河の街を流れる小川は三日の間、赤く染まったと言われている。異変を察知していた頼資は、嫡子頼虎(らいこ)を、時のレガル侯カンザスの元に避難させ、神剣士アンリの血筋を絶やさなかった。 この様な凄惨な粛清を快く思っていなかった光主帝は、忠臣であるモルドム侯シュナン(白エルフ族族長)とラリツィナ侯ファルスに対し、ガルヴェル誅殺の密勅を下す。だが、その密議は、ガルヴェルの息のかかった官人に盗聴され、逆に両貴族が謀反の罪を被せられて計画は潰える。両貴族はガルヴェルの刺客をかわしてラシンヴァニアを脱走。以後、聖シュリア王朝に昇殿することは叶わなかった。 1707年、光主帝は19歳で崩御。病死と布告されたが、実質ガルヴェルの暗殺であることに疑わしくはなかった。 手回しを利かせていたガルヴェルは翌年に念願の帝位を簒奪し、自らを「大皇帝」と称した。 ガルヴェルは諫言する忠臣を殺し、佞臣・奸臣を重用し、住民を酷使して宮殿の大改築を強行。そのため国庫の財政が底をつくと、重税を課した。 更に淫猥強欲な男で、大陸の美少女たちを種族問わずに強引に召し出させ、日中でさえも人目はばからずに犯し続けた。人々は「聖王朝の威光、既に失く、聖帝の偉勲、ただ一人の無頼漢(ちんぴら)に踏壊さる」と漏らし、悲嘆に暮れた。 遂には、ガレア高山伯で魔族の長である、ギャルシアの一人娘シーラまでも、ほとんど拉致に近い形で召しだした。彼女はラリツィナ侯ファルスの許嫁であったのだが、ガルヴェルにとってはそんなことは関係がない。屈辱に耐えに耐え、意に返さないと知ったガルヴェルはとうとう彼女を惨殺してしまった。 |
ラシンヴァニア脱出後、ガルヴェル追討のため軍備を整えていたラリツィナ侯ファルスは、シーラが殺されたと聞くと、遂に怒りを爆発させた。 ファルスは、モルドム侯シュナンを盟主とする、ガルヴェル追討の決起を諸侯に呼びかけ、ギャルシアを始めグローザム伯グルペス・レガル侯カンザス・南沙公アレンらが決起した。時に1710年大神の月5日である。 だが、同盟軍は思わぬところから頓挫してしまう。わずかその五日後、盟主シュナンが病死してしまったのである。享年728歳。人間齢にして73歳。盟主を失った同盟軍は動揺をきたし、第三鎮のギャルシアが突然の脱退を表明。理由は不明。シーラの父であるギャルシアの脱退は、同盟軍の大義名分を失墜させた。グルペス・カンザスとも積極的な動きは見せず、事実上、同盟軍は瓦解した。 ファルスは主力軍をアルバートルのアレン軍に合流させていた。ガルヴェルは精鋭30万を沙立関に向け、ファルス・アレンの連合軍25万と対峙。 女神の月初頭、両軍は激突した。兵は劣るが知勇に優る連合軍は、王国軍を撃破する。元々ガルヴェルの圧政に嫌気が差していた国軍には戦意はなく、無能な将軍の指揮が災いし、沙立関の戦いは惨敗した。 勢いに乗る連合軍はラシンヴァニアに迫ったが、ガルヴェル自ら指揮を取った王国軍は意外なる抵抗を見せ、強行軍によって疲弊していた連合軍は惨敗。ファルスは背中に10本の矢を受け、アレンは脇腹を斬られる重傷を負い大敗した。 ファルス・アレン連合軍の敗退によって、同盟軍は完全に崩壊した。起草人ファルスは、この様な状況に憤慨の極みに至り、単独でガルヴェル誅殺を決意する。 1712年大神の月、ファルスはガルヴェルに降伏の意向を伝え、人質としてファルスの妻子をラシンヴァニアに送る。猜疑心の強いガルヴェルだったが、これには納得する。更にファルスは美少女3000人を選りすぐって単身、ラシンヴァニアに赴いた。これにご満悦のガルヴェルはファルスを接見し、宰相の地位を与え、自ら手を取り改築した宮殿を案内した。美女を献上したくらいで高い地位に昇るという荒廃した宮廷には、忠臣など誰一人いるはずはなかった。 ファルスはガルヴェルが気に入った美少女の一人に毒針を忍ばせた。用心深いガルヴェルを危惧して髪の毛に隠すという手段を使ったのである。かくして、暴虐皇帝ガルヴェルは深夜に急死。急報を聞き、ファルスの行動は早かった。 ファルスは夜のうちに宮廷に乗り込み、単独で警邏府長官ジェムスを斬殺。警邏府を制圧。余勢を駆って奸臣佞臣20余名を粛清し、たった一晩で混乱する宮廷を鎮めた。 ラリツィナ侯ファルス、皇帝を誅殺すの報は三日も経たないうちに全諸侯に伝わり、ファルスの英断を讃えた。 だが、ファルスは宮廷の清掃を済ますと、レガルから多勢頼資の遺児頼虎を呼び戻し、後始末を任せて妻子と共に本国に帰ってしまった。 |
皇帝を選出する欠席会議に出席を拒否したファルスは、ラリツィナにおける事実上の独立を宣言。1713年大神の月、自ら国王を名乗り、ラリツィナ王国を打ち立てるに至った。
救国の英雄は聖シュリア統一王朝の存続を破棄したのには、長年に渡る圧政によって王朝の権威はもはや無く、諸侯は各々の領土を守ることに精一杯の状況で、皇帝を継いでも、その威光が伝わらないという理由を明示した。だが、ガルヴェル追討の同盟軍がもろくも瓦解し、その結束力のなさに愛想を尽かしていたファルスは、元から独立することを念頭に置いて誅殺を決行したのである。
1713 | 大神 | ファルス | ラリツィナ | 人間 | ウイラム |
1713 | 海神 | カサーラ | 白燕 | 白エルフ | モルドム |
1714 | 白馬 | グルペス | 青 | 黒エルフ | グローザム |
1714 | 不死鳥 | カンザス | 邑 | ドワーフ | レガール |
1715 | 大神 | ギャルシア | 瞑 | 魔族 | ガレア |
1715 | 女神 | アレン | 大華 | ハーフ | アルバートル |
1716 | 大神 | コナン | 東シュリア | 人間 | ラシンヴァニア |
レシュカリアには漢姓家がある。なぜ、漢姓があるのか。一説にはレシュカリア大陸から遙か東の遠洋にある異文化の影響があると言われている。 漢姓文化の伝来は、聖シュリア王朝下では、さほど浸透しなかった。そう断言するよりも、聖シュリアの皇帝が、功臣に漢姓を下賜(賜姓漢姓家)することが常識とされた。 聖シュリア末期で、レシュカリアには漢姓家が三家あり、「レシュカリア三大漢姓家」と言われ、他貴族より上級に位置づけられている。 聖帝四天王の一人、神剣士アンリの五代孫ライアンが、佑帝から「多勢(たせ)」を下賜され、名を「頼安」と改めた。多勢頼安は夏河守護・近衛府中将軍として夏河に封じられ、代々王室の藩屏として重用された。 白エルフ族では、第5代・孝帝から「嶺聖(れいぜい)」を下賜されたリーセイケイカスがいる。嶺聖家第六代宗家(そうか)は、シュナンの腹心として軍務卿として権勢を揮った。 摩裏阿(まりあ)家はミカエルの傍系で9代の子孫であるコーアンが、光魔道士マリアに倣い、その名を漢文字に当てはめた。 第三代広宇(こうう)は神官卿となりミカエルの聖系統として存在したが、第6代・摩裏阿資統(しとう)は、大帝ガルヴェルの誅殺後、コナンに降伏したが、コナンが東シュリアを建国すると、聖シュリア統一王朝の朝臣として殉死を遂げ、摩裏阿家は王国に返上され、断絶となった。 |