第2部 五関の奇岩
第2章
キラフの盗賊団
アルファたちは食堂に通された。
考えてみれば、ホテルで朝食を摂っていなかったので空腹もピークを迎えていた。
宮廷女官たちが次々と大皿小皿に盛りつけされた豪華料理を運んでくる。
ラリツィナはやはり海産物の宝庫らしく、アルファたちの故郷では見たこともないような色とりどりの魚・貝料理が並べられる。
ファルシス王と対面に座った三人の腹の虫がぐうと鳴く。
「まずは空腹を満たしてから話そうではないか」
ファルシスがフォークを取ると、カムルが真っ先に魚の蒸し焼きにむしゃぶりついた。
「カムルッ、行儀が悪いわよ」
シュリスがフォークを握っているカムルの左腕をつねる。
「いてててっ・・・・・・だって腹減ってんだもん」
「だからってねえ・・・」
・・・ぐう・・・
「あっ・・・」
シュリスの顔が思わず真っ赤になる。口の端ににやりと笑みを浮かべるカムル。
「何だ? 今の音は」
「う、うるさいわねっ」
「はははは。無理することはないぞ。遠慮なく食らいついてくれ。威勢のいい食べっぷりは見ていて気持ちのいいものだからな」
アルファとシュリスは、当初見様見真似でナイフとフォークを使っていたが、慣れてくると次第に地が出てきて、とても王宮の作法どころではない食べ方になっていた。ファルシス王は快笑しながら三人を見ていた。
そんな短い時間の談笑は終わり、アルファは自分たちの目的をファルシス王に説いた。
「なぜ、王女様が拉致されたのですか」
「それが、皆目見当がつかないのだよ。犯人からはただ一通のみ、犯行声明があるだけ。それ以外は何も解っていないのだ」
「犯行声明とは一体・・・」
「蔵書庫にあるラリツィナ古文書の三十二巻を用意しろと言う内容だったんだが・・・・・・」
ファルシス王は近侍に目を配ると、近侍は畏まり食堂を出てゆき、数分後に近侍は一冊の本を手に戻ってきた。
ファルシス王はそれを卓上に置く。随分と古びた厚い本である。開けば今にも壊れてしまいそうな感じがする。
「うわっ。ああ、俺もうダメ。そんなん字ばっかの本、開いただけで眩暈が来るわ」
カムルが目を逸らす。
「これは聖シュリア統一王朝初期のラリツィナ侯ファブリスが編纂させたと伝えられる歴史書で、全部で四十巻あるのだ」
「何故、犯人は三十二巻と指定したのでしょうか」
「それが解らないのだ。我が国の学士にこの書を解読させても、アンナと関係のある事項は見当たらない」
「他に気になることは書いてあるのでしょうか」
「この本は聖帝ミカエルが魔神デムウスを封印させた後に、その廟を監視し続けた神官サンダレス卿の伝が大半を占めている。魔神復活の悪しき噂が全国土を覆っているが、関係あるとは思えぬ」
「確かにそうね。伝記本目当てで王女様を拉致するなんて、尋常じゃないわ」
「何か秘密があるのではないですか? この本には」
「王様、他に犯人は身代金とかは要求してないのですか?」
シュリス、アルファ、カムルと、この不可解な事件に首を傾げた。
「身代金の要求はなかった。ただ、この書を用意しろと言うだけだった」
「やっぱな・・・。王様、この本には何か重大な秘密があるんだよ、きっと。渡さない方がいいとおもうぜ」
カムルが言う。腕組みをして考え込むファルシス王。
「だが、私の大切な妹の命に関わることだ。たかが書物一つで助かるならば、いいとせねばならない」
そうは言うものの、やはり気にかかる。誘拐は身代金目当てだというのが常道。それが犯人は金銭要求には一切触れず、たかが古びた歴史書、それも半端な三十二巻という指定までしている。それが、かえって不気味でさえ感じた。
「ところで、犯人の目星はついたのでしょうか」
「それが、手がかり一つも見つからない。全く、我が国軍総掛かりで当たらせていると言うのに、おかしな話だ」
「国外に逃走したのでは?」
「それはあり得ない。塔岷・東陽の二関は既に蟻の這い出る隙間もないくらいに厳重な警備を敷いている。犯人に魔道士がいることも想定し、宮廷魔道士に結界も張らせてある。誰であろうともこの国から逃走することは不可能だ」
「もしかしたらさ・・・・・・」
カムルがぼそりと言う。
「国軍総出ってところが、意外と盲点かもしんねえぞ」
「どういう事よ」
シュリスが怪訝な表情を向ける。
「いいか。もしも俺が犯人の一人だったら、密偵の一人でも送って様子を観察するね。一国の王女をさらうくらいの連中だ。それなりに慎重な奴らだと思う。国軍総出じゃあ、下手に身動き取れるはずはねえ」
「だったら、見つかるはずじゃない」
「だからよ。灯台下暗しって言うんじゃねえか」
アルファがはっとしてカムルを見る。
「もしかしたら、王女様と犯人はこの街にいる――――ってこと?」
「いいや、それはないな」
「だったら何よ。どう言うことなの? はっきり言いなさいよ」
シュリスの口調が怒りに満ちてくる。
「ヒステリー起こすなシュリス。話は最後まで聞け。・・・王様、ちょっち、地図見せてくれます?」
「ああ」
ファルシス王が近侍に命じて持ってきたラリツィナ地方の地図を広げる。
「王様、もう隈無く捜索したんですよね」
「ああ。何度もな」
「いいか、アルファ、シュリス。もしもお前らが犯人だったら、どうする? 隠れていた場所に兵士が現れたら」
アルファは少しの間考えてから言った。
「逃げるね。次の隠れ場所探すよ」
「私もアルファ君と同じ」
するとカムルはにやりと笑った。
「それが、灯台下暗しってやつさ」
「えっ?」
「一度踏み込まれた場所に、犯人は二度と近づかない。・・・逆だったらどうだ?」
「あっ・・・」
アルファもシュリスも思わず声を上げる。
「なるほど。カムル、君って、たまになかなかいいとこつくよね」
アルファが感心したように言う。
「どーゆーことだよ、それ」
「とにかく、そうとなればこうしちゃあいられないよ。すぐにでも・・・」
立ち上がろうとしたアルファを、カムルが止める。
「ちょっと待った。王様、国軍が最近捜索した町はどこか判ります?」
「ああ、確か・・・キラフ半島の温泉町コゼンだ。報告によると二日ほど前に捜索したばかりと聞く」
「よしっ、そこだ。行くぜっ」
ファルシス王の言葉の後、おうむがえしに立ち上がるカムル。アルファとシュリスが慌てて立ち上がる。
「ちょっとカムルッ」
「ま、待ってくれよ」
「王様、待っててくれよ。必ず俺達が王女様助けてくるからさ」
そう言うとカムルは駆け足で消えた。
「おい、この本持って行かなくてもいいのか」
ファルシス王が古文書を手に掲げる。アルファが苦い顔でそれを受け取る。
「ご無礼しました。カムルっておっちょこちょいですから・・・」
「いや――――それよりもすまない。異国の旅人であるそなたたちに迷惑をかけるようなことを・・・」
ファルシス王が頭を垂れる。
「陛下、これも修練の一つ。お気になさらないで下さい。必ず、王女様を無事にお救いいたしますから」
アルファは国軍兵士の同行をと言うファルシス王の意向を辞退。兵がいれば犯人が逃亡する可能性があるからだ。あくまで三人で行く方が無難である。
アルファたちは思いがけなく手に入れたラリツィナ王国の地図を手に、王国南東のキラフ半島の温泉町・コゼンを目指した。
ラリツィナ王国の南東にある海を望むコゼンの町は、フィラデル諸島火山帯の恩恵を受けて温泉が沸き立ち、レシュカリア一の湯治場として、聖シュリア統一王朝の第五代叡帝の時代から繁栄してきた。
ラリツィナの初代国王ファルスは、許嫁であったギャルシア王の娘シーラと共に来たこともあるという。
また、度重なる東シュリアと大華の侵攻は、この温泉郷奪取が目的であったとも言われている。それほどに、ここの温泉は魅力的価値があるのである。
アルファたちは街道沿いに進み、三日後にはコゼンの町にたどり着いた。海を眼下に見下ろし、潮風と硫黄の匂いが鼻をくすぐる。古来より繁栄してきた由緒ある温泉町にしては、静かな景観を見せてくれていた。
「うわあ。やっぱ温泉っていいわね」
シュリスの浮かれようは言葉になって現れた。
「ホントに久しぶりだよな。んーと、三年ぶりか?」
カムルがそう言うとシュリスが大きく頷く。
「そうね」
「二人とも、水を差す訳じゃないんだけど、俺達は温泉に入りに来た訳じゃないんだ。あんまり浮かれないでくれ」
「はーい」
アルファの言葉に二人とも不満まじりに返事をする。
取りあえず三人は街に入り、聞き込みをすることにした。
どこの建物からも煙突や窓から湯気が沸き立っている。この街で商売をしていない所はない。取りあえず、近くの宿らしき建物を覗く。
「あの、すみません・・・」
「はいっ、いらっしゃいっ! お泊まりですか?」
威勢のいい中年の女性が声を張り上げて出迎える。どうやらこの宿の女将らしい。
「いや・・・あの、ちょっとお伺いしたいことがあるんですけど・・・」
アルファの言葉に、やや表情を曇らせる女将。
「なんだい、お客じゃないのかい。・・・で、何の用なんだい?」
「・・・私たちはラリツィナ国王ファルシス様の密勅を受け、王女様を拉致した犯人を捜すために来ている者なのですが・・・」
その瞬間、女将の顔色がさっと変わるのを見逃さなかった。女将は周囲を二度三度見回してから小声で囁くように言った。
「あんた達、国軍のもんかい?」
その問いに首を横に振るアルファ。
「そうかい・・・いや、五日ほど前に国軍兵がこの街を隈無く捜していったんだよ。そんで結局、王女様かっさらった連中は見つけられなかったみたいだけど、兵が去った直後だったかね・・・、妙な連中が現れたんだよ」
「やっぱな」
カムルが呟く。
「それで、その連中は今、どこに」
「『望渚亭』っていう宿屋に入っていったのを見たって聞いてるね」
「ぼうしょてい・・・ですか」
「あんたら、乗り込むなら気をつけなよ。あそこは表向き真っ当な宿に見えるけど、裏はかなりやばい事に手を染めているって話だからね」
女将の話だと、今回の王女拉致事件ならずとも様々な組織犯罪の牙城として、望渚亭はラリツィナ治安維持府の内偵を受けていたらしいが、巧みに網の目を逃れる手段を使ってしらを切り続けているという。
「何か・・・かなり手強そうな連中みたいね」
シュリスがやや不安げに漏らす。
「何でもいいやな。見つけたら気絶するくれえぶん殴ってやる」
カムルが怒鳴る。"ぶっ殺してやる"と言わないところが彼らしい。
「お若い人、ぶん殴るのはいいけど、返り討ちにならないようにするんだよ。奴らは頭がいいだけじゃなくて、腕っぷしも相当強い連中だからね」
女将が言う。
「ま・・・任せてくれよ。さ、さあ、ア、アルファ、シュリス、い、行こうぜ」
「カムル、どもってる」
アルファたちは女将の宿を出、問題の望渚亭という宿に向かった。
町の中心部に、それはあった。それ程大きくもなく、一見普通の宿。
「なるほど。町の中心にあれば、そんなに怪しまれることもないと言う訳か」
アルファが呟く。
「な、何かドキドキして来ちゃった」
シュリスが胸を押さえる。じっと何かを考えるような表情をしていたカムルが、にやりと笑みを浮かべてアルファに話しかける。
「アルファ、一つ敵に罠を掛けてみねえか?」
「罠?」
「いいか。奴らはあの本が目当てなんだ。・・・ってことはだ。お前がわざとらしくそれを開きながら中に入るだろ。奴らが気づけば、きっと何らかの手段を使って奪おうとするはずだ。そこを抑えるんだよ」
妙案だ。
確かに、いきなり踏み込んで『盗賊覚悟』などと叫んでは逃げられるどころか、せっかくの手がかりも水泡に帰してしまうかも知れない。
「イイ考えだよカムル。それで行こう」
手を鳴らして声を弾ませるアルファ。
「だろ? じゃあ、何か演技しねえといけねえな。ただ本読みながら行くと怪しい奴だと思われる。・・・んーと、よしっ。お前は"生徒"に扮しろ。シュリスは"助手"で、俺は"教授"ってところかな。題して『ローアン私立大学カムル教授率いる研究チーム、温泉の成分を調べにはるばるコゼンにやってくる!』・・・どうだ」
「・・・・・・」
その場に固まるアルファとシュリス。
「・・・ちょっと」
シュリスが眉毛を八の字に曲げてカムルを横目で睨む。
「随分と長ったらしいタイトルね・・・まあ、それはいいけど、何であたしが"ジョシュ"であんたが"教授"なのよ」
「俺、生徒・・・」
呟きながら何故か手のひらを眺めるアルファ。
「ま、まあいいじゃねえか。細かいことは気にすんな」
笑ってはぐらかすカムル。
かなり無理がある設定だが、それなりに演技しないと、用心深い敵にばれてしまう。カムルは段取りを話した。
ドアをくぐりながら、アルファがわざと声を上げて本の一節を読みながらカムルやシュリスに問いかける。
カウンターでチェックインの手続きをとるまでそれを続けるというものだ。
望渚亭の従業員がもしも敵の一味だったら正解で、万が一にも無関係だったらそれはそれでまた考えればいい。
「シナリオのねえアドリブ劇だ。持ち前の演技力をこなせば絶対大丈夫だぜ」
自信満々のカムル。
「わかった」
アルファが頷く。
「いつでもいいわよ」
渋りながらもようやく納得した風のシュリス。
「ようし、じゃあ、行こうぜ。」
カムルが小さく気合いを込め、なぜか襟元をただす。アルファが鞄から本を取りだし、適当に開く。そして第一歩。カムル、振り返り二人を見る。
「かたい足取りじゃなくて、普通に行くぞ」
「カムル、あんたが一番かたいわ。足が棒になってるよ」
そう突っ込むのはアルファ。聞かないふりをしてカムルがドアに向かう。アルファとシュリスも続いた。
「聖皇主、涅槃門に至りてサンダレス神官卿に綸言を賜う・・・ユーステル故城にて千年の封印を果たし所以、卿に伝えしこことなす・・・きょ、教授。この"ねはんもん"って何なのでしょうか」
段取り通り、アルファは声を上げて歴史書の一節を読みながら入り口の扉をくぐった。
「"ねはんもん"ってのはおそらくどこかの建物の門のことだろうな。聖皇主という人物がサンダレスに何かを・・ええとくれたんだろう」
訳の分からないことを答えながらカムルもまた声を上げる。
そんな二人を別にして、シュリスは周囲に視線を回した。
従業員らしき男たちの顔つきが明らかに変わった。不審な人間だと思われたのであろう。
「・・・なあ、シュリス助手、君はどう思うかね」
カムルの振りにシュリスは慌てて笑顔を見せる。
「わ、私もキョウジュの意見に賛成ですわ。おほほほほ」
苦笑である。全く、下手くそな役者よりもひどいやりとり。
「おっと、アルファ君、今日は取りあえずここまでにしよう。まずはチェックインしてくれ」
「はい、教授」
何とかごまかすように本を閉じる。わざと見せつけるようにしながら、それをカバンの中にしまう。
「・・・いらっしゃいませ」
受付の若い男は小刻みに三人に視線を送りながらおもむろに宿泊用紙を差し出す。アルファはゆっくりとそれにサインを書く。
若い男は差し出された用紙をしばらく見た後、アルファの前に鍵を出し、睨むように見る。
「149号室です。ごゆっくり・・・」
低く、やや殺気がかった声で男は言い、白々しく頭を下げる。
「ありがとう。教授、シュリス助手、149号室だそうです」
わざと明るい声を発すアルファ。
「うむっ、ご苦労!」
カムルはにやりとしながら、どさくさに紛れてシュリスの肩に右腕を回す。その瞬間、シュリスのこめかみにみるみる青筋が立ち、目尻がぴくぴくと脈打つ。
「あんた・・・これが目当てだったのね・・・」
怒気満々に呟き、思い切りカムルの手の甲をつねる。カムルはつねられた右手を慌てて空に振り、にらみつけるシュリスに苦笑を送っていた。
受付で案内された部屋は、一階の一番奥の部屋であった。
「ふう・・・何とか成功したみたいだね」
アルファがため息をつく。
「ほとんど演技になってなかった気がするけど・・・あーあ、寿命が一年縮んだわ。まったく、誰かさんは人の身体に触るし・・・」
「あははは、まあそれはほんの冗談として・・・それよか、奴らの様子はどうだった?」
「様子って言うか、表情が変わったことはすぐに判ったわ。ぜ~~~ったいクロね、ここの連中」
シュリスが断言する。
「そうか。やっぱな」
納得したように頷くカムル。
「じゃあ、きっと夜中あたりに手を打ってくるはずだ。今夜は眠れそうにないね」
アルファがそう言った途端、シュリスが大きく背伸びをし、大きなあくびをした。
「ああっ、疲れた。ねえ、せっかくだから温泉入らない?」
「シュリス・・・だから、俺達は観光で来た訳じゃないってば」
呆れたようにため息をつくアルファ。
「いーじゃない。まがいなりにもせっかく温泉に来たんだし、それにどうせ動き出すのは夜中なんだから」
「お前が風呂に入ってる間に拉致でもされたらどーすんだよ」
カムルが素っ気なく言う。
「あんた達も一緒に入れば文句ないでしょ?」
「本はどーすんだ? 置いてくのかよ」
「だったらあんたが見張っててよ。あたしとアルファで入ってくるから」
ふとシュリスがアルファに目を配ると、アルファは真っ赤になっていた。
「ちょ、ちょっとどうしたの? アルファ」
「い、一緒に、は、入るの?」
真面目な口調で訊くので、シュリスの顔も瞬く間に真っ赤になって行く。
「ば、馬鹿っ! 何考えてんのよ。男女別々に決まってるでしょっ!」
「だよね、やっぱり。ああ、びっくりした」
ほっと胸をなで下ろすアルファ。
結局、カムルが部屋で留守番をすることとなり、アルファとシュリスは悠長に温泉に入りに行くこととなった。
「さあ、そうと決まれば、荷物置いて行きましょ」
シュリスが扉を開けて颯爽と中に入る。
「やれやれ・・・これだから女は困る」
カムルのぼやきに苦笑のアルファ。
二人が中に入った瞬間、アルファの中に急激にわき上がる不安。カムルも同じ感覚を覚えた。そう、部屋の中はベッドどころか、家具一つさえなかったからだ。
「カムル、何か嫌な予感しないか」
「全くだ」
「何か温泉どころじゃなさそうな気がするんだけど」
「えっ?」
シュリスが振り返った瞬間、いきなり床が抜けるような感覚が三人を襲った。
「やっぱり・・・」
「今来るなんてぇぇぇぇ! 反則だべやああぁぁぁぁ!!」
「きゃあああぁぁぁ!!」
三人は勢い良く奈落につき落ちていった。
どすんっ
底は比較的深くなかったようで、三人ともやや強く尻餅をつく程度の衝撃だけで、どうやら助かったらしい。
「いててて・・・おい、大丈夫か」
カムルの声が闇の中に響く。
「だ、大丈夫だよ・・・何とか」
アルファの声がする。
「ちょっと~~~っっ・・・いったい何なのよこれっっ・・うわあぁぁぁんっっ・・いたぁぁぁい・・しぬうっっ・・きゃあぁぁ・・暗いよぉぉぉ・・暗いのこわあぁぁいっっ!」
シュリスのわめき声が一際大きい。
「そのくれえ叫ぶ元気があんなら大丈夫だな」
アルファが必死にシュリスを宥め、ようやく落ち着かせた時、三人は暗闇に目が慣れていた。カムルがおもむろに上を向く。床が抜けたところから外部の光が射し込んでいる。
「あまり深くはなさそうだが、這い上がるにゃあ、ちと無理だな」
「地下室があるなんて、これはいよいよ本格的じゃないか」
アルファが薄暗い周囲を見回す。煤けた石壁に鉄板張りの扉。地下牢と呼ばれる、典型的な造りである。
「しかしなあ・・・シュリス、お前も気づけよ。部屋ン中何にもねえなんて怪しいと思わなかったのか?」
カムルの呆れ口調に惚けたような表情で首を傾げるシュリス。
「だって、ああいう部屋だと思ってたもん」
「考えてみれば部屋の番号もなんかイヤだったよね。だって"49"だよ」
「"死"に"苦"か。百年前の語呂合わせだな。全く、今時は4649だぜ」
大きなため息をつくカムル。
「何それ」
また来たかというようなシュリスの視線。カムルは自慢そうに人差し指で空に文字を書く。
「"夜""露""死""苦"・・・"よろしく"よ」
「・・・・・・」
「どっちもどっちだって・・・」
唖然とするシュリス。その脇でアルファがぼそりと呟く。
こんな時にも、くだらない冗談を言えるカムル。とても羨ましいとさえ感じる。
その時、上の方で扉が開く音がし、三人の視線が同時に天井に向けられた。若い男の声とやや嗄れた壮年の男の声が聞こえてくる。
「無事捕らえることが出来ました、ジェルキン総領」
「うむ・・・」
「飛んで火に入る何とやら・・・・・・我々が手を下さなくても、まさか向こうからかかってくるとは思いませんでした」
「しかし、ファルシス公も姑息な策を弄するものだな」
アルファはふと思った。
「あれ・・・どこかで聞いたことがあるような声だ」
「だから、受付の男だってば」
シュリスの言葉に小さく首を横に振るアルファ。
「ちがうよ・・・若い方じゃなくて・・・」
「え?」
その時、天井に二人の男の姿が現れ、アルファたちを覗くように姿勢を低くする。
よく見ると、いかにもちんぴら風情の受付の男はともかくとして、かたや壮年の男の方は、どこか全体的に偉容あふれた感じのするとても悪党とは思えない男だった。
アルファはじっと、その男を見つめている。
「我らでさえ見せようとしない歴史書を、こんな得体の知れぬ単純な若造どもに簡単に託すとは・・・あの方も気が触れたとしか思えぬわ」
その時、アルファは思い出したように声を上げた。
「お、お前っ、ウイラムの城下の酒場で酔いつぶれていた陛下を連れていった男だなっっ」
アルファの言葉に愕然となるカムル、シュリス。
「な、何だってっ」
「絶対そうだ。声といい、姿形といい、あの時の男に違いないっっ」
アルファの言葉に壮年の男は薄ら笑いを浮かべていた。
「・・・ほほう。よく憶えていたな・・・。左様。私はラリツィナ王国大臣にして、キラフ盗賊団の総領・リガル=ジェルキンである」
口の端で嗤うジェルキン。アルファたちは意表をつかれたというか、予想外の展開に戸惑っていた。
しかし、整理すると今までの話もよくわかる。
盗賊の総領が政府の大臣ならば、容易に機密情報も漏洩できる。治安維持府がいくら躍起になっても、盗賊団は一掃できないはずだった。
カムルが言っていた、灯台下暗しとは正にこのこと。「敵は身内にあり」と言うことだった。気づくはずがなかった。
ジェルキンは冷酷な眼差しをアルファに送りながら言った。
「さて・・・、その歴史書を渡してもらおうか・・・」