第2部 五関の奇岩
第3章
歴史書の謎
「王女様をこっちに渡すのが先だろ」
アルファの言葉にジェルキンはふんと鼻を鳴らした。
「本さえ渡せば、姫など無傷で解放してやるわ」
「アルファ、こういう連中の言葉など信用するもんじゃねえぜ」
カムルが睨みつけながら言う。
「そうそう。目的のものを手に入れた途端に皆殺し・・・ってね。低俗な悪党の常套手段だわ」
思いつくままの罵詈雑言を発する三人だったがジェルキンは意外と冷静だった。相も変わらず、冷たい笑いを浮かべている。
「我々をそこら辺の下等な夜盗と一緒にしないでもらいたいものだな」
その言葉にシュリスが猛然と言う。
「だったら先に王女様を渡しなさいよ。取引って、持ちかけた方が先に品物を差し出すもんでしょ?」
カムルも負けじと言う。
「上着の内ポケットに拳銃潜ませるなんて、せこい真似なしにな。俺達を無事に解放するって、保証も必要だ」
「くくくく・・・随分と虫のいい話をする小僧たちよ」
「何だよ。俺達を生かして、俺達が御上に報告すんのがそんなに怖いのか? 天下のキラフ盗賊団が聞いて呆れるね」
さすがのアルファも思わず口が荒くなる。だが、ジェルキンは全く動じる様子を見せない。若い男の方が顔を真っ赤にしている。
「総領、こいつらなんかに、こうまで我々を悪し様に言われて悔しくないんですか? ぶっ殺しちまって、さっさと奪いましょう」
「まあ、待て。殺して奪うのは簡単だ。だが、人命を損ねるのは我々の本意ではない。・・・わかった。姫はお前らにくれてやろう。ただし、歴史書と同時に交換する。文句はあるまい」
ジェルキンの言葉に三人は不服ながらも納得するしかなかった。取りあえずここから出られないことには話にならない。
三人は地下牢を出され、同じ地下にある秘密の大広間に連れてこられた。キラフ盗賊団総領ジェルキンの居室らしい。いかにこの盗賊団の規模の大きさがうかがえる。
数十人の団員に包囲された中、朝廷装束に身を包んだジェルキンがデスクにゆっくりと腰を下ろし、口を開いた。
「アンナ王女を連れて参れ」
団員の一人が頭を下げ、出て行く。そして数分後、泥土に汚れたドレスを纏い、手首を縄で縛られた華奢な少女が、ぐったりとした様子で連れてこられた。
「さあ、姫を受け取るがよい」
団員が乱暴にアンナ王女を突き飛ばす。慌ててアルファが抱きとめる。どうやら気絶しているらしい。顔は汚れていたが、整った顔立ちで、非常に美しい。亜麻色の繊細な髪の毛からはいい匂いがアルファの鼻腔をくすぐる。思わずどきりとする。
「何しやがるてめえらっっ」
カムルの怒号に団員達の利き手が武器に伸びる。
「手をひけい」
ジェルキンが一声発すると団員達は再び姿勢を正す。
「さあ、姫は渡した。歴史書を渡してもらおうか」
アルファは気を失っているアンナ王女をそっとシュリスに託すと、ジェルキンに向き直る。
「俺達を無事に外へ出すと保証するか?」
「よかろう。歴史書さえ手に入れば、お前達がどこへ行こうが関係ない」
「本当だな」
互いに目を見ながら探り合う。そしてジェルキンは右手を軽くひねり、払い除ける仕草をすると、団員達はぞろぞろと部屋を退出していった。
「これで文句はあるまい。さあ、歴史書をここに出すのだ」
アルファはゆっくりと鞄の中に手を入れ、本を取りだし、それを机の上に置いた。
ジェルキンはアルファを一瞥しながら本を流すようにめくる。そして納得したように頷くと、再びアルファを見た。
「確かに受け取った。これでもはや用はない。すぐに立ち去れ」
突然裏切り、抹殺に来るだろうと確信していたカムルは剣の鞘をわずかに抜いていたが、ジェルキンの意外な言葉に驚いた。
「どうした。早く姫を連れて立ち去れ」
三人は不審とも思えるジェルキンの言葉に戸惑いを覚えながらも、長居は無用と、すぐにその場を立ち去った。
相も変わらず気を失っているアンナ王女はカムルが背負い、三人は階段を上り、望渚亭のある部屋へと抜け出した。
「すんなりと帰すなんて、意外だったね」
アルファがホッとしたような感じでそう漏らす。
「怪しい・・・・・・絶対に怪しい。あいつらのような奴らが、てめえの正体知った奴を、生かしておくとは思えねえ。これは罠だぜアルファ、気をつけねえと」
アンナ王女を背負いながら、カムルがやや息を切らしながら言う。
「今のうちにここを出た方が無難ね、きっと」
と、シュリス。
「そうだね、こうしちゃいられない。早くウイラムに戻らないと・・・」
アルファの言葉に二人は同時に頷き、部屋の扉を開けた。
その瞬間、異様な殺気が流れ込み、三人は思わず身を退いた。
そう、扉の向こうには複数の盗賊団員が短剣やらショートナイフを構えて行く手を遮っていたのである。
「おおーっと、ちょっと待ったっ。俺達の正体見た以上、生かして帰すわけにはいかねえんだよ」
盗賊の一人が卑猥な嗤い声を上げている。
「やっぱりてめえらっ、そう言う魂胆だったんだなっっ」
カムルが怒鳴る。
「汚い真似を・・・」
アルファが素早く剣を抜く。
「おい、そこのガキ」
誰のことを言っているのだろうか。三人は互いに視線を交わす仕草をする。
「小っちぇえ女のガキだよ」
どうやらシュリスの事を言っているようだ。ガキと言われ、シュリスの顔がみるみる鬼と化して行く。
「その貧相な身体、後でたっぷりとかわいがってやっからよ、待ってな、ひひひひ・・・」
背筋に寒気が走るような嗤い。だが、シュリスはそんな嗤いなど気にもせず、コンプレックスをつかれて暴発したような爆弾のように怒号を上げた。
「だぁあれが"ガキ"ですぅってえぇぇ!! だぁああれが"貧相な身体"ですぅってえぇぇ!!」
地響きのような雄叫びに思わず足がすくむアルファとカムル、そして盗賊団員。
「こうみえてもあたしは"にじゅうに"だわよっっ、悪かったわね、ガキで貧相な身体で」
新武器・鋭利なナイフを右手にものすごい形相で盗賊を睨みつけるシュリス。
「ぶっ殺してやるわ、あんたたち。このナイフでぎったぎったに切り裂いて、今のあんたも見る影もないくらいの肉片にしてやる」
シュリスとは思えないくらい物騒な言葉に愕然となるアルファとシュリス。
「シュリスっ、やめろっ。君はアンナ王女を守っててくれ。こいつらは俺たちに任せろ」
「・・っさいわねっっ! こいつらはあたしが殺すわっ。アルファたちは下がっててっ」
アルファの言葉も耳に入らない。
「まずいぜ、アルファ。シュリスじゃあ、ぜってえ相手になんかなんねえよ」
アンナ王女をそっと降ろしたカムル。剣を抜きながら言う。
「仕方がない」
アルファ、一つ息をつくと間を置かずにシュリスを背中から抱きかかえるようにして後ろに飛び下がる。そして素早くカムルが前に躍り出た。
「なっ・・・・・・何すんのよっ!」
いきなりのことにシュリスはひどく動揺し、脚をばたつかせる。アルファは横になっているアンナ王女の側にシュリスを降ろし、両手でシュリスの頬を包むと、その瞳をじっと見た。シュリスの表情がみるみるうちに素に戻り、そして再び赤くなる。
「シュリス・・・」
「な、何よ」
「・・・王女様を頼む」
言うや否やアルファの姿がシュリスの目の前から消えた。気がつくとアルファはカムルの横で剣を構えていた。何とも素早い動きである。
「へへえ・・・見せつけてくれるじゃんかよ。・・・そうだな。てめえの恋人、犯られっとこ見せてやっか?」
アルファ、冷たい目で盗賊を見る。
「あまり調子に乗るなよ下衆め」
アルファは吐き捨てるように言うと、剣の鍔を鳴らした。何と峰打ち体制である。カムルも同じように峰打ち体制を取った。
戦闘態勢にはいると、いつも口数の多い陽気なカムルも、がらり変わって無口になり、口許引き締まった凛々しい顔になる。
「しゃらくせえっ! 殺っちまえ」
盗賊がそうわめき散らし、短剣を突きつけて襲いかかってきた。
切っ先がアルファの胸元に意外なスピードで近づく。アルファはかろうじて避けたが、わずかに衣服が切られていた。
「意外に速いぞカムルッ、油断すんなっ」
叫ぶや否や次の男が今度はカムルめがけて襲いかかる。斬りつけるように剣を上段に構えて飛びかかる。
「甘いぜ」
カムルが素早く弧を描くように剣を払う。
独特な金属の擦れ合う音、火花が散る。男の短剣は弾かれた。
一瞬の間も与えず、カムルは剣の峰で男の背中を強く叩き、男はうめき声を上げて倒れた。しかし、敵は次々に現れる。
そんな中、気を失っていたアンナ王女はようやく意識が回復し、うっすらと目を開けた。
目の前には見慣れた盗賊の男たちと、見慣れぬ風体をした若い青年二人が斬り合いをしている。そして、自分は見知らぬ青い髪の女性に支えられている。目覚めがこんな状況に、アンナ王女は驚く以上に訳が分からないでいた。
「??」
「アンナ王女様ですね。気がつかれましたか」
シュリスの声がけに茫然とした眼差しを送るアンナ王女。
「・・・・・・あなたは? ・・・・・・ここは?」
「詳しいお話は後です。ここは危険ですから、こちらへ」
支えられながら、アンナ王女とシュリスは部屋の片隅へと退く。
「ぐはぁ!」
まだ温かみが残っているそこへ、アルファの峰打ちで強く打たれた盗賊の男が倒れ込んでくる。
「シュリス、ナイス!」
アルファが一瞬にやりと笑う。しかしすぐに次の男が襲いかかる。
狭い室内に、倒された男の身体が山のように重なって行く。まるで防波堤のように二人が立ちふさがっていたので、女性二人には男達は近づくことさえ出来なかった。
しかし、倒しても倒しても襲いかかってくる止まらない盗賊達。
「はぁ・・・はぁ・・・おいアルファ、・・・キリがねえぞ、これじゃあよ・・・でやぁ!」
カムルは息も絶え絶えだった。だが、天性である戦士の意気込みで、襲いかかる男達は確実に倒していっている。
「でも、倒し続けないと、こっちがやられてしまうって・・・でえぃ!」
「がはぁ!」
本当にきりがない。
二十人ほど、辛うじてうち倒していたアルファとカムルの体力は次第につきてきた。
「アルファ、ワリィ・・・もう俺、もたねえぜ・・・」
二十一人目の男を倒した直後、カムルはそう漏らしてがくりと膝をついた。
「か・・・カムルッ」
シュリスの叫びが部屋に反響する。
「へへへ・・・もう、しめえだな。くたばれっ、小僧!」
「くっ・・・しまったっ」
動きの鈍くなったアルファ。その生じた隙をついて、盗賊の男は短剣を突き立て、アルファの胸元目掛けて襲いかかる。それは完全にアルファを捕らえていた。
「きゃああああああぁぁ~~~~アルファあああああ~~~~」
悲痛な叫び。アルファはその瞬間、死を覚悟してきつく目を閉ざした。その瞬間。
「ぐふぅぅ」
独特の鈍い音が発し、男が呻き声を上げた。そして、どすんという音を立てて男が倒れる。
静かになり、アルファはゆっくりと瞼を開ける。そして、アルファを殺しかけた男は、床に血を流して倒れていた。
「な、何だ?」
アルファは不思議に思い、ゆっくりと周りに視線を送った。そして、扉の方にその男は立っていた。
「ジェ・・・ジェルキンッ」
「ふう・・・愚か者どもめ。勝手な真似をしおって」
血の付いたロングソードを振り払い、鞘にしまう。ジェルキンは、その冷たい瞳をアルファに向けた。
「自分の仲間を殺すなんて、それでもお前、人間かっ」
侮蔑の言葉を投げつけるアルファ。
「助けてもらってそういう言い方はないだろう。私が殺っていなければ、お前が殺されていたのだぞ」
「それはそうだけど・・・・・・でも、お前が俺達を殺すように仕向けたくせに、それを・・・」
「誰が仕向けただと?・・・くくく、私がこの愚か者どもに、お前達の命を奪えと言い含めていたとでも言うのか」
「それ以外、考えられるか」
小さく鼻で笑うジェルキン。そして言った。
「・・・・・・お前たちがそう思っているならば、それでよいわ。私の目的は歴史書三十二巻。人の命などではない。こやつらを殺したのも、勝手な行動に走った者に対する制裁に過ぎぬ。お前たちの用件は、アンナ王女を救うことだ。そして、互いの目的は果たされた。もはや、お前たちも、私も、この場にいることはなかろう。早々に立ち去るがよい」
ジェルキンが部屋を出ようとしたとき、シュリスに庇われていたアンナ王女が切なげな声を発した。
「ジェルキンッ、一つだけ聞かせて」
「・・・・・・」
立ち止まるが、振り返ろうとしないジェルキン。
「私をさらうときも、他の盗賊たちには、私に指一つ触れさせなかった。閉じこめるときも、貴族の礼を尽くして誰も近づけさせなかった。耐えに耐えかねた盗賊が私を襲おうとしたときも、あなたは盗賊を斬って救ってくれたわ。何故なの?」
「・・・・・・」
「お願いっ。それだけ答えて」
ジェルキンは大きく息を吸うと、淡々と答えた。
「姫を人質に取りし事が、本意ではなかったからです」
ジェルキンが再び去ろうとするのをアルファが止める。
「これからどこへ行くつもりなんだ」
「そのようなこといちいち答える盗賊がどこにいる。・・・お前たちも、いつまでもここにいると、またこやつらの様な連中が襲ってくるかもしれんぞ」
ジェルキンは不敵な笑みを口許に浮かべ、アルファたちの前から姿を消していった。
「・・・・・・」
アルファは少しの間、茫然としていた。そして、ジェルキンの本意を知らずに、一方的に罵声を浴びせてしまったことを少し後悔した。
「アルファ、ここにいるとまずいわよ。また連中が襲ってくるかも知れない。」
シュリスの言葉に我に返るアルファ。
「そうだった。早くここを出よう。・・・カムルッ、いつまで寝てるんだ。早く起きて」
「んっ、ん~~~~・・・・・・あ、あれ、終わったんか?」
呆けたことを言うカムル。
「とっくに片づいたよ。・・・それよりも、早くここを出よう」
カムルはアルファの肩を借りて立ち上がり、アンナ王女はシュリスに支えられて何とか立っていられた。四人は、最初に立ち寄った女将の宿屋へ向かった。
「ひえええ、お、王女様っ。ははあぁっ」
女将は大げさなリアクションで平伏する。苦笑するアルファたち。
「そ、そんなに恐縮しないで下さい」
アンナ王女が優しく語りかける。
「女将さん、部屋はあるかな」
「あ、ありますっ。い、いや、ございますとも。ちょ、ちょっと・・じゃなくて、少々お待ち下さいませ」
大慌てで軽く躓きながら受付の宿帳をめくる女将。
「普通の部屋でいいですよ。出来れば四人部屋がいいな」
「は、はいっ。ええと・・・ああ、一番良い部屋はドルフの旦那の予約が入ってるよ。これを強制キャンセルしましょ」
とんでもないことを言う女将に、今度はアルファが大慌てで受付に走る。
「ちょ、ちょっと待って。女将さん、だから普通の部屋。四人部屋でいいってば。ないの?」
なんたらかんたらと、結局アルファが部屋を決めることになった。二階の中央にある、一般四人客用の洋室だった。
「こ、こんな粗末な部屋でいいんですかい? じゃなかったらこっちの部屋が・・・」
「いいですっ」
アルファの小さな一喝にしゅんとなる女将。
「それよりも女将さん、温泉に入りたいな。あの望渚亭ってところで入り損ねたし・・・それに王女様もこのままじゃいくら何でも・・・」
シュリスの言葉にまたも大げさな反応をする女将。
「はいはい。温泉ならばいつでも大丈夫ですよ。なんなら・・・」
「今入っている客の締め出しは無用ですよ」
「うっ・・・」
アルファ、図星をつく。
「じゃあアルファ、カムル。私と王女様は温泉行って来るね。あなたたちも、入ってきてさっぱりしてきたら?」
「ああ。そうするよ」
シュリスが微笑みながら、アンナ王女に何かを話しかける。アンナ王女はアルファの方を向いて小さく頭を下げると、シュリスと共に浴場に向かっていった。
「カムル、俺達も入りに行こうよ」
「おう」
アルファとカムルも部屋に寄らず、そのまま男湯に向かった。途中、カムルが呟いた。
「あの女将、きっとこう思っているぜ」
「何が?」
「『王女様解放後、初めにご逗留された名湯!』とか、見出しつけて客寄せしようってな」
「あははは。いいじゃないか。それでお客さんが大入りになれば俺達もうれしいよ」
「まあな。別にいいけど」
浴場は誰もいなかった。広い浴場にアルファとカムルの二人が独占する、久しぶりの湯、それも温泉に浸かった。
琥珀色で多少ぬめり気があるその湯に浸かると、旅や戦闘の疲れなど、一瞬にして消え去る感じがした。
「ぷわあ~~~~」
「ん~~~~~~」
思わず声が出る。身体中からすべての汚れが溶けて行く。
「ヒットポイントが猛スピードで回復してゆくぜ、ふう・・・」
カムルが呟く。
「何だい、その"ひっとぽいんと"って」
「体力のことだ。ちなみに魔力のことはマジックポイントって言う。覚えておけよ」
カムルにしか理解できない難しい用語だ。
しばらくつかり、汚れた髪の毛を心ゆくまで洗う。カムルの髪は意外と艶がいい。
身体の汚れをすべて落として再び湯に浸かる。
「アルファ」
「ん?」
「あのお姫さん、どうやらお前さんのこと気に入っているみたいだな」
突然変なことを言い出すカムル。驚いたアルファが頭を湯の中に滑らせてしまう。
「な、何を言うかと思えばっ、へ、変なこと言い出すなてば。ま、またく」
「思いっきり、動揺してんねん」
「動揺するに決まってっだろっ、全く・・・」
「なあ、お前さ・・・シュリスのこと・・・」
「アルファ~~~カムル~~~」
言いかけた瞬間、シュリスの声がどこからか響いてくる。驚く二人。
「こっちこっちっ。壁の向こう」
どうやら高い壁を挟んで向こう側が女湯らしい。壁は天井と繋がってなく、声を張り上げれば、容易に隣と会話できる。
「あたしたちもう上がるからね~~~あなたたちも逆上せないよ~~~に」
「俺達も上がっか?」
カムルの問いに頷くアルファ。
暖簾を出たところにシュリスが手団扇をしながら待っていた。
「あっ、いいお湯だったわね」
「シュリス」
カムルが感激したような目つきでシュリスを見る。
「お前、すっげえ美人になったな」
「えへへ、そう?」
「ここの温泉って、整形効果もあるんやなあ・・・」
その瞬間、シュリスのかかとはカムルの足の甲を踏んづけていた。
「いてててっっ、じょ、冗談だてば」
「それはいいとして、王女様は?」
アルファがきょろきょろと見回す。
「今上がってくると思うわ」
「お待たせいたしました・・・」
シュリスの言葉に間を置かずアンナ王女が暖簾をくぐって現れた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ちょ、ちょっとどうしたのよ二人とも」
男二人、アンナ王女の姿を見た瞬間、石化する。
濡れた亜麻色の長い髪の毛、上品で整った顔立ち、青い瞳、ピンク色の唇、微かに上気した、浴衣から覗く白い肌。先ほどの姿と比べると、まさに磨き上げたダイヤの原石。
カムルがアルファより早く石化から戻る。アルファは固まったまま不安定な石像のように倒れかける。
「おいアルファ、しっかりせんかい」
「アルファ君、やっぱり逆上せちゃったのかしら」
クスクスと笑うアンナ王女。
予想通り、女将は無理して極上素材をかき集めた料理を出してきた。"どうでもいいが、金ねえぞ"と言いたい。四人とも相当空腹だったので、あっと言う間に平らげてしまった。
そして、四人部屋で夜のひとときを過ごす。
束の間の平和な時間。
そう、この様な温泉で、一国の王女とこうして普通に話できることなど、一生にこの時しかない。
そう思えば、一秒一秒をむだに出来ない。アルファたちは、変に飾らず、ありのままの自分たちで会話を弾ませていた。カムルは大得意のだじゃれネタを披露し、アルファがそれを突っ込む。アンナ王女が笑い、シュリスは失笑する。
四人は充実しているそのひとときを最高に楽しんでいた。
「王女様っておいくつなんですか?」
アルファが話しかけると、アンナ王女は何故か頬を微かに染める。
「じゅ・・・十九です」
「そうなんですか。俺より一つ下ですね」
「お前も十九だろ」
カムルが言う。
「馬鹿いうなよ。ローアンにいたときに帯束の儀式やっただろ」
帯束とはローアンの成人式みたいなもので、十九になると、腰に金の帯を結び、成人の証とするという、何とも安易な儀式である。
「あれ? そうだったか」
「あの・・・ひとつお願いがあるんですけど・・・」
おそるおそるアンナ王女が口を開いた。アルファたちは身体をアンナ王女の方に向ける。
「私のこと・・・その・・・王女とか、様ってつけないで欲しいんですけど・・・す、すみません」
「あっ、ご、ごめんっ」
アルファが渋い顔をした。
そうだ。ウイラムに帰還するまでは、王女様と呼ぶことは控えた方がいい。どこでキラフの盗賊が狙っているかわからないからだ。
「ところでさ」
カムルが急に真剣な顔つきになる。
「あのジェルキンって奴、何で歴史書・・・それも三十二巻なんて半端な一冊を要求したんだろ」
その疑問にアルファとシュリスも、ようやく考える余裕が出来た。アンナ救出まではそればかり考えていたから、歴史書についてなど深く考える余裕なんて無かった。
「言われてみると、絶対おかしい話だよね。どうせだったら歴史書全巻よこせって言うのが普通だし・・・」
アルファが呟く。
「何か秘密があるのかしら・・・三十二巻には」
「ねえアンナ、君はわかる?」
アルファが振ると、アンナは急に寂しそうに俯いた。
「確か、聖帝とか言う奴が、魔神デムウスを封印して、その廟を守護したサンダレスとかの伝記がほとんどだったとかって言ってたな」
カムルがそう言うと、アンナは小さく頷いた。
「はい・・・・・・。おっしゃるとおり、確かに三十二巻は魔神の廟を守護し、監視し続けた、サンダレス神官卿の伝記で終始しております。・・・でも」
「でも?」
「私も詳しいことは存じないのですが、三十二巻には、他に聖皇帝ミカエルが、魔神デムウスを封印した際に使用した、白魔術の事が記載されているというのです」
「白魔術・・・? 封印?」
よく事態が把握できないアルファたち。アンナは続けた。
「その白魔術の項には、魔神封印の手法の他に、封印解除の手法も記述されていると、言われているのです」
アルファはレシュカリアにたどり着いてからの記憶を辿った。
そして、身も凍るような恐怖感が、突然襲いかかってきた。
「・・・魔神召喚・・・」
その呟きにカムルとシュリスが顔を青くしてアルファを見る。そう、レシュカリアで最初に出会ったベクテルが言っていた。
今、この大陸には不気味な噂が覆い尽くしている。魔神を召喚し、全世界を暗黒のどん底に陥れようとしていると・・・。
「まさか・・・あのジェルキンって野郎が、魔神召喚の張本人なのか?」
カムルが顔を顰める。
「まずいな・・・。もしそうだとしたら、こうしちゃいられないよ」
変なところで直情径行な面を持つアルファ。右手が自然と剣に伸びる。
「待って下さいアルファ。私の話は、はっきりしていない事なのです。もしかしたら違っているのかも知れません」
「待てよアルファ。ゆっくり考えてみようぜ。・・・いいか、もしもあの野郎が魔神召喚なんて物騒過ぎること企んでいるとするんなら、俺達を罠に掛けた時に有無も言わさずに殺していたはずだぜ。それにあの盗賊どもが俺らを襲ってきたときも、わざわざ助けてくれるようなことすると思うか?」
カムルの言葉に、うーんと唸るアルファ。
「・・・確かに、おかしいよね。でも、じゃあ、何で・・・」
「黒幕が別にいるって考えれば、妥当じゃない?」
シュリスが言う。
「黒幕って、誰だよシュリス」
「それが判れば苦労しないでしょっ」
「ジェルキンは、おそらく誰かの策略で動かされていたのですわ。自分の心とは相反して・・・。だから、私に危害を加えようとはしなかった・・・。」
アンナの声は微かに震えていた。
「まあ、ともかくあの本がこの世界の命運を握る鍵だって事は確かだな」
カムルが確信を持って断言する。
「失敗したよ・・・。そうと判ってさえいれば、事前にあの本を研究していたのに・・・」
アルファが唇を噛む。
「今さら悔やんでも仕方がないぜ。とにかく、今はジェルキンの行方と、本の行方を追うことが大事だな」
カムルが力抜けたようにベッドに大の字になって倒れ込む。
「アンナを救ってようやく一仕事片づいたんだ。今ん時ぐれえ、気抜かしてくれやみんな」
カムルのあくびまじりの発言は、皆同じ気持ちだったので、あえて反論はしなかった。
そして、その貴重な夜は更けて行く。カムルがそのまま寝てしまい、アルファ、シュリス、アンナの三人で再び他愛もない話をしていたが、誰からと言わず、疲れを瘉さんと深い眠りについていた。カーテンを引かぬままの窓の外。遙か水平線の上には十字の形をした星が爛々と夜の闇を照らしていた。