第2部 五関の奇岩

第5章
民族の掟
 カムルの影に気づいた巡礼者の男と美少女は、おもむろに振り向いた。
「おっさんよ。この娘、嫌がってんじゃんか。野暮なことすんなよ」
「何だ君は? 部外者は引っ込んでいなさい」
「そうはいかねえんだよね。困っている女の子見ると、放っておけない質だからさ、俺は」
「何を言っているのかね君は。これは私たち二人の問題なのだ。君などには関係ない。下がっててくれないか」
「あんたがその手を離したら、黙って引き下がるよ」
 困惑に満ちた表情をしている美少女。覆面の下で憮然たる口調の男。アルファとシュリスは心配になり、カムルのそばに歩み寄る。
「もう、よしなさいってば」
 シュリスがカムルの袖を引く。だがカムルは頑として聞かない。
 カムルは遂に、美少女の手をつかむ男の手を強引に振り払った。
「あっ・・・・・・」
 美少女はカムルに手を取られ、庇われるようにされる。
「な、何をするか貴様っ」
 男は狼狽しカムルに怒鳴りかかる。だが、カムルはそれに動じず、両腕を広げて遮る。
「それはこっちのセリフだぜ。何だか知らねえけど、この娘は諦めてさっさと消えな」
「不埒者め、さては貴様か」
 身構える男。カムルは男を睨み付け、ふんと鼻を鳴らすと、ゆっくりと利き手を剣の柄へと伸ばす。
「カムルッ! 何を」
 アルファが愕然としてカムルの腕をつかむ。それを振りほどくカムル。
「アルファよ、他人事とはいえ、黙って見過ごすことが出来ねえ事ってあるだろ。こいつは、この娘をさらって何かを企んでいやがるんだ」
 そう言いながら剣を抜き出すカムル。その場は瞬く間に殺気の緊張に包まれ、他の巡礼者たちもどよめき立つ。
「やめろカムルッ!」
 激しく制止するアルファとシュリスを無視してカムルは遂に抜刀した。その後ろでおろおろしていた美少女が突然、カムルを振り払って躍り出た。
「やめて・・・やめて下さいっ!」
 カムルにすがり、泣き声の美少女。驚くカムル。
「私の父ですからっ」
「なっ・・・・・・」
 その瞬間、カムルは無論、アルファやシュリスまでもが固まってしまった。

 ロビーのソファーに腰掛ける巡礼者の男と、その娘である美少女が並んで座り、その前に土下座するカムル。その脇であきれ返って立ちつくしているアルファとシュリス。
「知らなかったこととはいえ・・・も、申し訳ありませんっ」
 ただただ、平謝りをするカムル。それ以外の言葉は思い浮かばない。
 食堂で興奮する両者を宥めたアルファは、カムルの非礼と、その父娘の事情を聞くためにロビーへと導いた。
 カムルが助けようとした美少女の名はサファ。そして、彼女の父の名はジンキスと言った。それより、三人が何よりも驚いたのは、覆面をしていたジンキスが、その覆面を外したときである。
 顔立ちが、カムルとさほど相違ないくらい若いこと。そして、年相応とは言えない中年男性の声。やはり肌は人間離れしているかと思うほど白く、耳は異様に尖っている感じがする。
「私に食いかかってきたことは別として、娘を救おうとした、その気概は感謝しよう」
 ジンキスは微笑みながらカムルを赦した。出来た人物のようである。
「カムルさん、ありがとう・・・」
 サファもか細い声で頭を下げた。カムルはばつが悪そうに上体を起こして再度、頭を下げて立ち上がる。
「他人事とはいえ、あなた方のやりとりを見ていますと、何やら込み入った事情がある様子。これも何かの縁です。・・・もしも差し支えがなかったら、私たちに事情を聞かせてはくれませんか?」
 アルファが言う。
「そうね、もしも困ったことがあるなら、私たちが何かお役に立てることがあるかも」
 シュリスが頷く。
「他人に話すような事じゃないのだが・・・」
 ジンキスはいささか照れた感じに笑い、身をただしてからゆっくりと口を開いた。
「――――我々は大華のイーネ村から来た。・・・ああ、断っておくが、我々は人間ではないぞ」
「え?」
 アルファたちは不思議そうにジンキスを見る。
「あなた方も気づいていよう。我々の姿形が、あなた方人間とは違うということを」
「えっ・・・あ・・・は、はい」
 戸惑いながらも頷く。
「大華の民は、様々な種族の血が混ざった民族。・・・私の場合は、父が人間で、母は白燕の農民の娘。つまり、人間と白エルフの混血です。サファは、私の妻が人間ゆえ、二世の混血になる」
 アルファたちは首を傾げた。
 白エルフ族とは初めて聞く種族だ。後から知ったことだが、簡単にいえば、妖精みたいな種族だと言うこと。それに、混血種族とは、聞けば随分ややこしくなりそうな関係らしい。
「我々混血民族には『掟』というものがある。様々な民族が入り乱れているがゆえの宿命なのだが・・・」
 ジンキスは言葉を止め、一つ嘆息してから続けた。
「その掟の中に、『女子、嫁ぐとき、男子の伽を経て成す』というものがある」
 それを聞いた瞬間、シュリスの表情が滝の如く紅潮してゆく。
「とぎ・・・・・・って、何?」
 アルファの視線がカムルに向いている。
「そ、そりゃ・・・お、おめえ・・・あれだよ・・・・・・お伽話のことやろ?」
「んー・・・そうなんだ」
 カムルも知識としてあるらしく、わざと嘘を言う。何も知らないアルファは納得する。
「カムルったら。知っているくせに・・・こんな時にまで駄洒落なんか言わないで。・・・もう、何か聞き捨てならないような掟よ」
 シュリスが大きくため息をつく。
「アルファ、"伽"ってのはな、女が一晩、男の世話をするって事だよ」
「ええっ!」
 驚きに顔を顰め、真っ赤になって俯いてしまうアルファ。
「つまりな・・・夜に女が男の世話をするってえことはだ・・・あの・・・そのな・・・」
 アルファの耳元で囁くカムル。シュリスが憤懣してカムルの頬をつねる。
「はたたたたっ」
「それ以上言わなくてもいいっ!」
「あ、あい」
 まるで虫歯にでも罹ったように、赤く腫れ上がった頬を押さえるカムル。
「ジンキスさん、続きを」
「娘は今年で二十五になる・・・ああ、君たち人間の歳で言えば、だいたい十六くらいか・・・。他に嫁いでもいい年頃だ。・・・そこで私は、娘の夫となるべき男を捜し出した」
「へえ、二十五歳には見えないですね。どう見ても、僕らとそんなに変わらない・・・」
 アルファが感心したようにサファを見る。
「アルファ君まで、なにとぼけたこと言ってんの。私たちの歳にすれば十六歳くらいだって、言ってるじゃない」
 大きなため息をつくシュリス。
「国王陛下にも娘のことを願い出、娘の前途は揚々であった・・・だが、事もあろうに、娘は半年前から突然家を抜け出し、連絡もしないで失踪した」
 語尾を強めるジンキス。ばつが悪そうに俯いてしまうサファ。
「一人娘がいきなり失踪したのだ。私は血眼になって娘を捜すために、巡礼の旅に参加した。行く先々で娘の事を聞いたが、一向に手がかりが掴めなかった。だが、東陽関の守衛が娘のことを覚えていた。・・・そして、ラリツィナに向かったと言うことを知った。そして、ラルスにいた娘を見つけたのだ」
 サファはじっと俯いたまま言葉を発しない。
 そんなサファの様子を案じるように見つめていたシュリスが、ジンキスに視線を移して、口を開いた。
「・・・つまり、サファさんは、お父さんが決めた話と、『掟』が嫌だった・・・。だから、逃げ出した。そう言う事よね?」
 怪訝な顔つきでシュリスを見るジンキス。サファはわずかに肩を震わせている。
「サファさん、何もそんなに小さくなることなんかないわ。あなたの行動は間違っていないと思う。むしろ正常よ。・・・そんな、好きでもない男の相手をしろなんて、女性を冒涜するのにも程があるわっ!」
 シュリスは著しく憤慨していた。アルファもカムルも、何も言わずにただ唸っている。
「なぜそう思われる」
 ジンキスは真顔でシュリスに問う。
「何故って、そんなこと、聞かなくても当たり前でしょ。どこの世界に、結婚前の女性が他の男の相手をするところがあるの? そんな掟なんて、常軌を逸しているとしか思えないわ」
「あなた方から見ればそう思うのは至極当然のことだろう。・・・だが、我が大華の民族は、先祖代々そうして血を受け継いできたのだ。・・・無論、伽をする相手は、そこら辺の男ではないぞ。国王陛下だ。年頃の処女たちは皆、玉体に抱かれて洗礼を受けてから嫁いで行くのだ」
 ジンキスは力のこもった熱弁をし、天に向かって拝礼する。
 さながら、何も知らないアルファたちから見れば、何かにとり憑かれているかのような彼の姿が、異常にさえ見えた。
「とにかく、ジンキスさんのお話を聞いていると、サファさんに同情してしまいます」
 身を動かして、サファを庇うような体制になるシュリス。
「お嬢さん。あなたがどう思おうと構わないが、民族の掟は守らねばならない。そうして、子孫を残してきたのだからな」
「・・・民族には、民族の道徳ってものがあるのですね。シュリス、君の気持ちは解るけどさ・・・」
 アルファがシュリスの肩に触れようと、手を伸ばした。途端、アルファをきっと睨みつけるシュリス。
「アルファ君。あなたは男だから、そんなことが言えるのよ。彼女の身になって考えてみなさいよ。あなたがもし、彼女の立場だったら、どう思う?」
 アルファは言葉を詰まらせてしまった。
 今の自分を単にサファに置き換えて考えれば、もちろんそのようなことは人倫に反する行為で、受け容れることは当然出来るはずがない。
 だが、もしも自分が大華の民族に生まれ、幼少の頃から、「掟」を胸に刻み込まれて育ったとするならば、おそらく肯定はしなくとも、否定は出来ないだろう。
むしろ、民族の部外者である自分たちが、自分たちの倫理観を押しつけることは、出来ないという思いの方が強かった。
「カムル、あなたならばどう?」
「あ、ああ・・・そうだな・・・」
 カムルも言葉を詰まらせて俯く。
「わたし・・・・・・」
 不意に、サファが声を発した。
「私・・・・・・やっぱり・・・・・・」
「おお、戻ってくれる決心がついたか」
 ジンキスの表情が安堵の色に包まれる。
「あの・・・・・・」
 話を続けようとする彼女の口を、シュリスが遮った。
「サファさん。何も諦める必要はないわ。イヤなことは、イヤってはっきり言わなきゃダメよ」
「おいっ、君。余計なこと言わんでくれないか。」
 今度はシュリスとジンキスの間に、きな臭い匂いが漂い始める。
 立場が変わり、今度はアルファとカムルが、シュリスとジンキスを宥めに入る。
「とにかく、これは難しい問題だよ。ジンキスさんの話も、シュリスの話も、両方筋が通っているんだ」
 アルファが二人を交互に見ながら言う。
 父とシュリスの言い争いに耐えられなくなったサファが、泣き声で叫んだ。
「もう、やめて下さい。わたし・・・わたし・・・父に従いますから」
 そんな彼女にカムルが言う。
「サファさんよ。泣き声で言っても、誰も納得はしないぜ。・・・いや、俺達よりも、サファさん。あんた自身、納得できねえだろ。・・・自分の心に正直になってみな」
「・・・・・・」
 カムルを見つめたまま無言になるサファ。
「ジンキスさんよ。俺はよくわかんねえけど、あんた父親なら、かわいい一人娘さんの気持ちも、考えてやれよ。こんなにいやがってるのをさ、無理矢理連れ戻しても幸福にはなんねえだろ」
「よ、余計な世話だ」
 憮然としているジンキスの表情に、戸惑いが生じる。そんな様子を見ていたシュリスが、いきなり手を打ち鳴らした。
「わかったわ。じゃあ、私たちが大華の王様に直談判してあげる。ネッ、いいわよね、アルファ、カムル」
 全体的に、特に名前のところの語気を強くする。呆気に取られる周囲。
「あ、あの・・・王様に会って、何をする気ですか?シュリスさん?」
 アルファがおどおどしたような口調でシュリスを見る。
「決まってるでしょ。サファさんの事よ」
 やっぱりという感じで頭を垂れるアルファ。
「・・・だから、これは本人の意識問題だって、言ってるだろ」
「いいえ。これは他人事じゃないわ。同じ女として、放ってはおけない問題よ。国王に直談判して、そんなくだらない掟なんか廃止にしてやるわ」
 こうなると、もう誰にも止めることは出来ない。
 シュリスは、たとえ一人でも事を成し遂げるつもりだ。アルファたちは気が進まなかったが、シュリスを見捨てることは出来なかった。それに、サファが気の毒に思えたので、執拗に反対はしなかった。
「ジンキスさんよ、あんたたちに悪いようにはしねえ。取りあえず、掛け合うだけ掛け合ってみねえか」
「む、むう・・・」
 あくまで渋りつづけるジンキスを、カムルは説得した。誹りを受けるのは自分だ。サファには一切関係ないと熱弁し、ジンキスは渋りながらも納得した。

 ジンキス・サファ父娘を伴い、アルファたちは東陽関を越え、大華王国に入った。
 東陽関から丸一日西へ歩いたところにあるカッシュの町。そこから西は、黄土色の風景が広がっていた。レシュカリア大陸随一の大砂漠・タリスマ(パピヨン)砂漠である。
 カッシュの町に入ると、その住民たちは、一人一人が明らかに人間とは違う容姿をしている。
 人間・エルフ・魔族・ドワーフ等の種族が混血した民族。背丈にしろ極端に高い者や低い者、身体のパーツの一つ一つが出っ張っていたり、長いものや、大きいもの。女性のような容貌かと思えば、歴とした男だったり、男だと思えば女だったりと、いやはや複雑である。
 ジンキスの話によれば、大華の国王アンセルムは高潔な人格を備えた英傑であるという。ゆえに大華の女性は、国王の伽をすることには何ら抵抗はないという。
 アルファたちからすれば、実に荒唐無稽な話に聞こえるが、この町の人々の口から発せられる言葉に、否応でも愕然とさせられた。
「陛下? ・・・そりゃあもう、とてもご立派で、素敵なお方です」
「たとえ一晩でも、陛下のお側にお仕えできたからこそ、今の私があるんです」
「こんな素敵な夫を持つことが出来たのは、陛下のおかげですわ」
「あの時の陛下のお優しいお言葉――――今でも耳元に聴こえるようです・・・」
 カッシュの女性たちは、誰しもが恍惚とした口調で、結婚前の「思い出」を口にする。そして、男たちも口を揃えてこう言っていた。
「陛下のおかげで、良い妻を娶ることが出来た――――」
 誰一人として、民族の掟に対する不満を漏らす者はいなかった。
 むしろ、それは『掟』という拘束された意識というよりも、常識として当たり前のような感じであった。
『女子、嫁ぐとき、男子の伽を経て成す』などという掟文を知る者さえまともにいない。
「これじゃあ、掟を廃止させるにも何も、みんなが『当たり前なこと』だと思っているから・・・難しいんじゃないかな」
 アルファの言葉は的を射ていた。
「何言ってるのよアルファ! それもこれも、こんなふざけた掟が長い間続いているせいなのよ。みんな、感覚が麻痺してしまっているんだわ」
 口ではそう豪語するシュリスであったが、その心には複雑な思いが生じていた。
 砂漠の砂が吹き荒ぶ。カッシュの町で防砂服を仕入れ、身に纏っていても、頬に当たる砂は痛い。
 バラバラと、止めどなく服をうちつける砂の音。不毛な砂漠では、強風は普通である。砂漠の民族は、そんな過酷な生活さえも当たり前に適応しているのだ。
 こんな場所でも、当然のようにアルファたちの前にモンスターは現れる。
 サンドマスターと呼ばれる、"アリ地獄"が巨大化したような昆虫のモンスターに、砂の固まりが生物化した、サンドライズと呼ばれるモンスター。
「くそっ! こう砂嵐がつええと、まともに戦えねえよ」
 サファを庇うようにしながら剣を構えるカムル。だが、顔に突き刺さる砂のために、まともに目さえも開けていられない。
「カムルッ、風上に回り込めっ。シュリスはジンキスさんたちを守りながら奴らを牽制するんだ」
 風の音に遮られ、大声を上げて、ようやく聞き取れるか否かの状態だったが、カムルもシュリスもアルファの意図は充分に通じた。
 カムルとアルファは風に逆らい蠢くモンスターたちの風上に回る。
 サンドマスターは砂に渦巻きを発生させ、アルファたちを巻き込もうとしたが、殺気を感じた彼らは、一瞬早く退避していたため、その砂の渦に巻き込まれることは避けられた。
「アルファ、あの虫けらから片付けるか」
「承知した」
 カムルは剣を中段に構えて右足をバネに跳躍した。アルファも同じように足を踏み込む。
「やあっ!」
 足場が悪いので、いかに身軽な二人でも思うような高さは跳べなかったが、追い風がそれをフォローしてくれた。
 脇腹から突き出された剣先はサンドマスターの脳天めがけて垂直に突き刺さる。
 奇声を上げたサンドマスターは、巨大な体躯を激しく揺さぶる。
「カムルッ、離れろっ」
 その叫びと同時に、二人は剣を捨て、サンドマスターの体躯をバネに後方へ跳躍しようとした。アルファは無事に後方へ着地できたが、カムルは一瞬遅かったのか、サンドマスターの足の一本に引っかけてしまい、砂渦の圏内で転倒してしまったのである。
「あ、やべえ」
 カムルがそう呟いたときは、既に危険な状態にさらされていた。渦巻く砂に足を引き込まれ、その身体は徐々に砂中に埋もれて行く。
「カムルッ!」
 アルファは体制を立て直そうとするが、強風と流砂の影響のため思うように体勢が整わない。急所をつかれたサンドマスターは、もはや生きてはいけないだろうが、カムルを道連れにしようとしていた。シュリスとジンキス父娘に食らいついていたサンドライズは、狙いを変えてカムルとアルファに焦点を当て体勢を変える。
「俺はいいからっ、はやくこいつらやっちまえ!」
 腹一杯に力を込めて叫ぶカムル。口の中に砂が入り込む。黄土色の唾を吐きながら、それでもカムルは叫んだ。強風と流砂の中、思うように身体が動かない。いらつき、もがくアルファ。こういう時に何もできない自分が恨めしい。そう思いながら血が滲むほど唇を噛むシュリス。
「サファのこと頼むぜ~~アルファ~~シュリス~~ッッ」
 遂に胸の辺りまで砂に埋もれたカムルが砂を吐きながら叫んだ。両手が大きく左右に揺れる。バイバイでもしているのだろうか。冗談じゃない。
 ようやく体勢の整ったアルファは、再び風に乗りサンドマスター目がけて跳躍しようとした。その時である。
「はあっ!」
 何と、サファが父ジンキスを振り払って猛然と敵目がけて駆け出した。強い向かい風をものともせず、風の妖精もかくやと思えるほどの自由な身のさばきで、あっと言う間にカムルのそばへ到着し、その手をしっかりと掴んだのである。驚いたのはアルファの方だった。
「カムルさんっ、しっかりつかまって下さい」
「あ、ああ・・・」
 カムルは半分気を失いつつあったからサファとは気がついていないようだ。ただ、無意識的に自分の手を握っているか細い手を握り返していた。
「・・・・・・・・・・・・」
 サファは目を瞑りながら何やら口の中で呟いている。かたや、サンドライズの形無き触手は、今まさに二人を襲おうとしていた。
「カムルッ! サファッ!」
 アルファたちの悲鳴が一斉に風と砂の轟音を突き破る。サンドライズが奇怪な音を上げて触手を一気に振り下ろした。瀕死のサンドマスターごと、カムルとサファを、奈落の砂の中に埋めようとするために。
 アルファ、シュリス、ジンキスには、二人の姿が触手に包まれていったように見えた。猛然と吹き上がる大量の砂。それも強風に吹かれて、すぐに視界は元に戻る。だが、そこには二人の姿は見当たらなかった。
「おいっ!」
 アルファが大きく瞠目し、その一点を見つめる。シュリスもジンキスも、カムルとサファの名を叫んだ。しかし、そこから声はおろか、姿形さえなかった。サンドマスターも、同類の手によって砂の中に消えていた。サンドライズの不気味な蠢動が三人の視線を釘付けにさせている。
「か・・・か・・・カムルッ!」
「サファッッ!」
 悲痛な雄叫びが交錯する。慣れない砂漠での戦い。アルファたちは、こんなところでかけがえのない友を失ったのだろうか。しかし、悲嘆は一瞬にして怒りに変わる。シュリスの美しい顔は瞬く間に夜叉神に変貌した。
「化けモノめ・・・よくも・・・よくもカムルとサファを・・・許さない・・・許さないわよ・・・」
 シュリスの青い髪が逆立つ。風の影響のためではない。まさに夜叉がとり憑いたのだろうか。
「シュリスっ!」
 アルファはシュリスの変化をいち早く見抜いた。何かが違う。今までの彼女とは違う、と。
 シュリスは樫の杖を高々と振りかざした。そして、一瞬、その双眸が赤く、強い閃光を発した。
「!」
 アルファはその光を直撃し、一瞬、視界を失った。
「~~~~~~~・・・・・・・・・」
 シュリスは理解の出来ない言葉を口ずさんだ。するとどうだろう。樫の杖の先端が青く妖しい光芒を発し、その輝きが頂点に達した。
「な、何っ!」
 愕然となるアルファ。その時だった。
 触手を高々と掲げ、再びアルファたちを攻撃しようとしていた形無き砂の魔物サンドライズは、奇怪な断末魔の悲鳴を上げ、ドンという爆発音の後、砂塵をまき散らして静かになったのである。
「シュ・・・シュリスッ・・・」
 その直後、シュリスは気を失ったように崩れ落ち、ジンキスに抱きとめられた。アルファは静まった砂を一心不乱にかき分け、シュリスのそばに駆け寄った。彼女は気絶しているようだったが、アルファの必死の呼びかけに、すぐに意識が回復した。
「シュリスッ、シュリスッ、大丈夫か」
「あ・・・アルファ。・・・な、何が起こったの?」
 瞬間茫然としたシュリスだったが、すぐに正気に戻って声を荒げた。
「アルファッ!・・・カムルとサファはどこ?」
「あ、そうだ!」
 アルファとシュリスは、すぐに行方不明の二人の名を叫んだ。
「カムル~~~サファ~~~」
 モンスターが消滅した周辺を回りながら、大声で叫ぶ。すると・・・
「ここや~~~」
 間抜けとも、情けないとも取れるような声が、ちょうどサンドマスターが消滅した地点から数歩離れた砂の中から聞こえた。カムルの声である。
「カムルッ、カムルかっ」
 アルファは大慌てで、声の発した地点を掘削する。すると、サファを懸命に抱きかかえ、全身砂まみれの美丈夫が、苦笑しながらアルファを見上げていた。