第2部 五関の奇岩

第6章
疑念
 カムルとサファが無事だったことに、場は安堵のため息が交錯する。
 しかしそれよりも、アルファは思っていた。
 シュリスが無意識の内に放った謎の閃光。あれは何だったのだろうか。無邪気に、純粋に喜怒哀楽をありのまま面に出してきた幼なじみの少女。カムルとサファの肩に腕を回して涙ぽろぽろと流して喜んでいる彼女は、アルファが知っている、いつもの彼女である。
「シュリス・・・あの・・・」
「えっ? なに、アルファ」
 シュリスの満面の笑顔が、困惑気味の表情をしているアルファに向けられる。
「さっきの光なんだけど・・・」
「え・・・光って何?」
 本人は気がついていないのだろうか、不思議な表情でアルファを見つめている。
「いや・・・何でもない」
 そう呟いてそっと視線を逸らす。シュリスは小さく首を傾げて、カムルとサファに視線を戻した。
「もう。どうでもいいけど、あんまり無茶しないで」
 砂まみれの頭をくしゃくしゃにかきむしりながら、カムルが照れ笑いをする。
「ああ。このまま砂ん中でミイラになっちまうかと思ったぜ。・・・それよかサファさんよ、大丈夫だったか?」
 そう言いながらサファの頭と肩にうっすらと積もった黄色の砂を払うカムル。サファは小さく微笑んだ。
「ええ・・・何とか大丈夫みたいです。庇ってくれてありがとう、カムルさん」
 うっすらと頬を染めてカムルに小さく頭を下げるサファ。その容貌を見て彼女以上に顔が赤くなるカムル。
「そ、それにしても無茶すんなよな。あんたまで死んじまったらどうすんだよぉ」
「ご、ごめんなさい・・・つい・・・」
 照れ隠しのつもりで言った言葉に表情の曇るサファ。
「あわわわ・・・うそ、うそだって。ありがとう。あんたがいなかったら、俺は世界が滅亡するまで発見されなかったな、多分・・・」
 苦笑を浮かべてそうフォローするカムル。そして、その場に和やかな笑いが巻き起こる。
「それにしてもこんなところで死にかけるようじゃあ、先が思いやられるぜ」
 砂に埋もれた剣を拾い上げ、鞘にしまい込みながらカムルがそう吐き捨てる。
 自分に対しての怒り。未熟さというものをひしひしと感じるがゆえに漏れた言葉。
「大丈夫だよ。何もかも初めての事じゃないか。それに、まだまだ先は長いんだから、これから何が起こるかわからないしね。いい経験だったよ」
 アルファがやや力無くそう言って、ほっと息をつく。
「でも、格好良かったよカムル。ちょっと無茶だったけど、女の子庇うなんて、見直したな」
 シュリスの言葉に照れ笑いを浮かべて後頭部を掻く仕草をするカムル。
「まあな。でもよ、もしもお前だったら反対に俺が庇われていたかも知れねえけど・・・」
 その言葉に長いため息を漏らすシュリス。
「その性格さえ直れば最高なんだけどね」
 苦笑いに包まれるその場。
 しかし、アルファだけは心から笑うことが出来なかった。
 シュリスが放った謎の閃光が脳裏に焼き付き、言い様のない不安に心を蝕まれて行く。
 いつもと変わらない、いつものシュリスがそこにいる。
 自分の知らないシュリス。
 アルファの心に厚い雲が突然、覆い始めてきた。

 シネマ沃地と呼ばれる砂漠最大のオアシスが近づくにつれ、完全な黄土色の景色に徐々に緑成す立木が現れてくる。
 そして更に数ルーレル進むと、小さな森のようになる。そこは地獄のような砂漠という世界に広がる地上の風景。炎天下の灼熱の風も、そこに吹くは清涼たる生命の風となる。
 大華王国国都アルバートルは、そんな小さな森を抜けた場所に、突如あった。
 砂を固めた感じの、砂色の城壁。そこから聳え見える建造物は、殆どが灰色の石造りのためか、一見、物騒な巨大施設の様だ。
 ジンキスの先導で、城門に向かう。
 城門警備の二人の衛兵の容姿に、アルファ達は当たり前のように驚かされる。
 グレイシルバーの鎧に身を固め、長槍を構えたその兵士は、一見普通の人間のように見えるが、背丈が極端に違う。
 アルファの頭が胸元にしか及ばない巨体の兵と、アルファの胃袋あたりまでしかない、小柄な兵。
 鉄仮面に頭を覆っているも、アルファが差し出した巡検使証を確認するときに横顔を見ると、背の高い兵士はジンキス父娘のように耳がやや尖っている。
 かたや背の低い兵士は耳が鉄仮面にすっぽりと収まっている。そして一見若い青年兵士のようだが、声は壮年の男性のように低く太い。
 城下町に入ると、そこは意外と若い女性が溢れていた。ジンキス父娘のように巡礼者風の衣装を身につけた人物もいるが、灼熱の砂漠生活に耐えうるような軽装が殆どだ。
 まあ、それが普通と言えばそれまでだろうが、やはりここの住民は皆どこか人間離れしている。
 髪の色、瞳の色も勿論、肌の色が薄い緑色や、真黒、透明のような白と、すれ違うたびに息を呑む。
 だから、純粋な人間であるアルファ達の方が街を歩いていて、住人の一瞥を一身に浴びる。
 そこは正しくアルファ達にとって全く未知な異世界。人間の世界ではないと言うことを、収拾しかけた思考の中で出された最初の答えであった。
「とにかく、まずは国王に会わないと」
 シュリスは憤然とした口調で先に立とうとする。だが、アルファがすばやく彼女の肩をおさえて暴走を止める。
「シュリス、焦るなって。別に今日じゃなくてもいいだろ」
 やや怒気が籠もったその声にシュリスが振り返ると、眉をひそめた幼なじみの表情に愕然となる。
 そしていつもの調子で反発しようとしたが、アルファはじっとシュリスを見つめたまま二、三度首を横に振る。その奇妙な威圧感に口を噤んでしまった。
「・・・カムル、宿を取りに行こうよ」
 五,六秒の間が空き、アルファはカムルに視線を移して、上辺だけ微笑む。
「ああ」
 ぎこちなくカムルも微笑み、呆気に取られて立ちつくすシュリスをよそに、歩き出すアルファの後をついていった。
 王城を望める宿屋の二階。アルファは窓際に凭れて城から漏れる灯りを茫然と眺めていた。
 いつもは出来るだけ一緒の部屋を取りたがるアルファなのだが、珍しく個室を望み、夕食もほとんど摂らず、カムルやシュリスらの声も無視して一人さっさと自分の部屋に引き下がっていた。
(何でだろう・・・)
 アルファはそんな自分が、自分ではないような気がして嫌悪感さえ抱いた。
 シュリスが放った光。
 いつもの無邪気で純粋、暗闇を怖がり意外と泣き虫で子供のような彼女が、恐ろしい形相でモンスターを消し去った。
 アルファはあの時、彼女が『人間じゃない』という、それまで考えもしなかった、そして最も忌むべき思いが突然燃えだし、今なお燻る残り火のように心の中で不安が消えない。
「アルファッ」
 怒気満々たる声が入り口の扉越しに響き、断りもなく開かれる。
 アルファが愕然として振り返ると、眉を逆立てて、口をへの字に曲げたシュリスが大股で歩み寄り、アルファの眼前に立つ。呆気に取られるアルファをよそに、シュリスは怒鳴った。
「いったいなんなのよっ、ご飯も食べないで。みんな心配してんのよっ。何がそんなに面白くないの? いいから言ってみなさいよっ」
「あ、あの・・・・・・」
 思わず身じろぐアルファ。
 何て言いだしたらいいのか、頭が混乱して思い浮かばない。シュリスは長いため息をつき、呆れたようにアルファを見つめる。
「全く・・・あなた変よ。あのモンスターと戦った後から。急に無口になっちゃって・・・。ねえアルファ君、私何か悪いことした?」
 アルファは口を噤んだ。
(シュリスが悪い?そんなことある訳ないじゃないか。僕が自分勝手に悩んでいることなんだ。・・・シュリスは悪くない・・・悪いのは僕のほうなんだ・・・)
 そう思っていても、口に出さないと伝わるはずがない。だが、シュリスはそんなアルファの心を見透かしたか否か、ゆっくりと確かめるように訊ねる。
「そう言えば、あなた『光』がどうとかって、言ってたよね。もしかして、その事?」
 不安の核心をつかれ、アルファは驚いたようにシュリスを見る。
「何のことなの? ・・・私、あの戦いの最後のあたり、よく覚えていなくって。私、何か変なことしたの?」
 本気で何もわからない表情のシュリス。
 アルファはしばらく彼女の瞳を見つめたまま、考えた。
 言ってしまった方がいいのだろうか。彼女自身、聞いてひどく驚かないだろうか。
「じ・・・実は・・・」
「実は?」
 アルファの息に意識が引き込まれて行くシュリス。
 アルファは生唾を呑んで間を空け、瞬間に答えを出した。
「お、お腹の・・・調子が悪くて・・・」
「なっ・・・・・・」
 苦笑をたたえながら、三流のオチにも及ばないアルファの答えに、シュリスは唖然とした。まさしく、開いた口が塞がらないとはこのことだ。
「ごめん・・・こんなこと、言いたくなくて。・・・行きたかったんだ・・・トイレに」
 気を取り直したシュリスの顔色がみるみるうちに赤くなって行く。
「もおぉぉ、バカアルファッッ!」
 そう怒鳴り捨てると、シュリスは完全に呆れたように嘆息した。そして、部屋に入ってきたときと同じように大股で出ていった。扉が大きな音を立てて閉ざされる。そんな彼女の行動一つ一つに肩を竦めるアルファ。
 一瞬で出した答えは、隠し通すこと。嘘をつくと言うことだった。
 なぜだろうか、言ってしまうことで、今までの事が全て台無しになってしまう、そんな気がしてならなかった。見なかったことにしよう。忘れよう。それで自分たち三人の絆が壊れることがないと思えば、アルファが見たあの異様な光景は、幻覚、気のせいと言うことになる。
 アルファは自分にそう言い聞かせて、咄嗟に口から出た言い訳に、再び苦笑いをしていた。
 一方、カムルは風呂から上がり、濡れた髪をタオルで乱暴に擦りながら、アルファの部屋の隣にある自分の部屋へと向かっていた。
「うーん・・・しかし、あんなかわいい娘が・・・なんでや、全く。王様だかなんだか知らねえが、可哀想過ぎんぜ・・・」
 ぶつぶつと独り言のぼやきを漏らしながら、アルファの部屋の前にさしかかる。
「風呂ぐれえ入れよ!」
 扉に向かいそう吐くと、そのまま通り過ぎ、半ば自棄気味に自分の部屋へ入る。
「寝られそうもねえな、ふう・・・」
 カムルは視線を落としたまま、身体に巻いたタオルを捨て、パンツ一枚になる。そして、部屋のテーブルに置かれている瓶を乱暴に取った。アルコール度の高い、ジンであった。
 カムルは口を含み、おとがいをそらして一気にそれを飲み込む。
「ぷわぁ――――――こりゃあきくぜ」
 アルコールの息を吐き出した瞬間だった。
「カムルさん・・・」
「むわっ!」
 くすくすという笑いとともに、か細い声がカムルの耳を捉えた。驚愕したカムル。飲み込んだアルコールが気管を逆流する。
「げほっ・・げほっ・・・がほっ・・・がほっ・・・」
 空になった瓶が床を転がり、カムルも思わず身を屈めてしまう。
「だ・・・誰じゃい!」
 ようやくむせを抑え、怒り混じりに顔を上げると、カムルは更に驚愕した。
「げっ・・・サ、サファさんじゃ・・・ねえかよ」
 こくりと頷く美少女は、ベットの上に腰掛けて、優しげに微笑んでいた。
「な・・・!」
 カムルは声を失い、固まった。
 何と、彼女のその華奢な身体は、たった一枚の薄い夜着だけで覆われ、肌の大部分が露出されている。
 何を考えているのだろう。茫然としているカムルに、サファは寂しげな微笑みを浮かべながら、ゆっくりとカムルの前に身を寄せてきた。