第3部 涼秋の聖都
第4章
シュリスの才能
ジェノアと名乗った老婆は、一見怪しげだが、屈託のない微笑みを三人に向けている。
「これで文句はないじゃろ。話を聞かんかえ?」
そのどうも不思議な雰囲気に、三人は気を呑み込まれたように頷くしかない。
「殊勝な心がけじゃ」
ジェノアはそう呟くと、ゆっくりと視線をシュリスの方に向ける。
「そなた、一見は何も変わりばえのない、ただのやんちゃ娘のようじゃが、磨けば光る玉じゃ――――」
「や、やんちゃ娘……」
気を抜かれたように呟くシュリス。ぷっと一瞬笑いかけて止まるアルファ。
「そなたは未だおのが才能に完全に目覚めておらぬ様子じゃが、その杖を構えたときといい、精神を集中させる構えといい、類い希なる資質の片鱗を見るようじゃ…」
ジェノアの言葉にすっかり呆けるシュリス。
なんだか分からないが、誉められていると言うことだけは確かなようだ。
「あ、ありがとう…」
「――――で、どうじゃ? そなたの持つ力、完全に引き出すために、わしのところでしばらく修行を積んでみんか?」
「は?」
いきなりすっ飛んだ発言に、三人とも唖然となる。
何を言ってんだ、この婆さんは? と言った表情。
「何をそんなに驚いておる?」
あたりまえのような顔でジェノアは茫然としている三人を見回す。
「あの……」
アルファが口を開いた。
「何じゃ?」
「た、大変申し訳ございませんが、順を追って話していただけません?」
その言葉にジェノアはやや不満そうに言葉を返す。
「聞いておらんかったのか……これだから若いもんは…」
「聞くも何もまだ全然話してねえじゃねえか」
と突き返すカムルに、ジェノアは空笑いをする。
かたやシュリスはジェノアの言葉が脳の中を激しく飛び交い、混乱している。
ジェノアは再び小さく息を吐くと、再び杖を床に突いてから、ゆっくりと話し始めた。
「よいか、そなたたち、『魔法』というものを知っておろうな」
その質問に、カムルが答える。
「聞いたことはある」
「なんじゃ、知らんのか?」
「ばあさんよ、俺たちの国には魔法なんて存在しねえの」
「国じゃと? ――――そなたたちはレシュカリアの者ではないのか?」
そんな聞き返しの言葉にアルファとカムルは思わずこけそうになった。
ジェノアという老婆、まるでお伽話に出てくる魔女よろしく何でもお見通しという雰囲気を漂わせながら、自分たちが異国人であるということすら分からないとは、人は見かけによらないと言うのは、どうやらこのことを言うのだろう。普通の老婆だ。
アルファはそれを妖術使いなどと思いこみ、シュリスを必死でかばい、老婆を下がらせた自分がちょっと恥ずかしい。
「ロ、ローアンから旅している者ですが――――」
「なにっ、ローアンからじゃとっ!」
ひどく驚愕するジェノアの迫力に対し、アルファとカムルはこくこくと何度も頷く。そして…
「で――――ローアンとはどこじゃ?」
あまりにお約束のボケでも、こうも不意をつかれると開いた口がふさがらないと言うか、足の裏から火を噴き出して飛んでいってしまいそうになる。
「あ、あ、あ、あ、あ、あのですね……」
ひきつった苦笑を浮かべながら、アルファは自分たちの経緯を簡潔に話した。
「――――と、言う訳なんです。おわかりですか?」
「ようわからんが、まあいいじゃろ」
ガクリ………必死で解りやすく話したつもりがこの返答。力が抜けてしまう。
「こりゃっ! 余計なこと話したせいで、何を言おうとしたか忘れてしまったではないか」
かえってジェノアは話をそらしたのがアルファたちのような言い方をする。
「魔法が………どうとかこうとか……」
呆れ口調でアルファが呟くと、ジェノアはわざとらしく声を上げた。
「そうじゃそうじゃ。思い出したわ」
忘れっぽい婆さんだななどと思いながらも、妙な明るさに何故かいらだちは覚えない。
「そこな娘……えーと…」
「シュリスです」
「おお、そのシュリスとやら、そなたは類い希なる魔法の才能を秘めておる。余計なことは申さぬ。わしの元でその才、花開かせよ」
ジェノアの言葉に、アルファはアドラのご神体エル・サラマンダルの言葉を重ねてやっと理解できた。
しかし、シュリスは全く何のことなのか解らないまま、騒ぎ出しそうだ。
「ちょっと待ってよ。お婆さん、いったい何のことなの?さっぱり訳が分からない。いきなり私が『マホウ』の才能があるとか、構えがいいとかなんとか……。どう言うことなの?」
老婆の指摘する『才能』とやらが自分では全く知らないものである不安から、シュリスは自分に対する恐怖がこみ上げてきた。そして、とうとう泣き声になってしまっていた。
「これこれ、そんなに泣くことではないぞ。じゃからな、魔法とは……」
ジェノア曰く、魔法とはおのが精神を集中させ、万物を創造する水・火・空気・地の四代元素を自在に操る術を言う。
それは敵を討つ火炎や空気の刃などの攻撃魔法を始め、病人やけが人を、薬など使わずに水や空気、そして地の気などを用いて人体の細胞を活性化させて治す治癒魔法。
その四代元素を守護する精霊を召喚し、戦いや、人の潜在能力を発揮させる召喚・援護魔法。
『魔道士』と呼ばれる者それぞれに、得意分野がある。
高位魔術には星や隕石などの天体を操り、気候を操る天体魔法、果てには昼夜をも逆転させる時間魔法もあるという。
レシュカリアを統一した聖主ミカエルは、大魔道師としてそれらすべてを会得し、魔神デムウスを封じ込めた。
今もってなお、聖主が魔道士は元より、万民の廃ない崇敬を集めている理由として、レシュカリアのすべてのものが創世神ドゥートゥルの下、聖主の偉大なる魔力によって恩恵を受けていると信じられているからなのだ。
各地で盛大に行われる秋の収穫祭は、創世神と聖主に対する感謝の祭祀に始まる。
レシュカリア大陸の魔道士は、すべて聖主の子孫。
誰もが皆、聖主に肖りたいと思い、魔道の修練に励んでいるのだ。まあ、中にはそれを悪事に用いようとする輩もいる。魔神召喚の噂が、それを証明している。
「わかんない~~~~」
ジェノアの説明はかえってシュリスを混乱させる結果となってしまった。
「おいおいおいおいおい、シュリスッ!」
杖を落とし、両手で頭を抱え、激しく振り乱すシュリスを、カムルがなだめる。その姿を見てジェノアは長いため息をついた。
「言葉で言ってもわからんかのう…」
「子供でも解るような説明した方が良かったかも知れません……」
真顔のまま、アルファもため息をつく。
「仕方ないのう……まあ、百聞は一見にしかずと申すに…。どれ、見せてやろうかの……」
そう呟くと、ジェノアはゆっくりとシュリスの側により、その足下に転がっている杖を拾い上げた。
「ほう……これは……」
感心したようにジェノアはサラマンダルから授けられた杖を見る。
「どれ……魔法がどのようなものか見せてやるゆえ、わしのそばで見ておれ」
そう言ってジェノアは半ば強引にシュリスの腕をつかむと、おもむろに関を塞ぐ巨岩の前に歩み寄った。
「??」
訳も分からないまま、むりやりジェノアの腕に引かれるシュリス。やがてジェノアはゆっくりと杖の先端を奇岩にかざしながら振り上げる。
「よいか、ようく見ておれ」
そう言うと、ジェノアはゆっくりと瞼を伏せ、唇を閉じ、何かを祈るような姿勢を取る。
「…………」
茫然とした顔つきでシュリスは様子を見ている。
「――――――――――…………」
ジェノアは何か呻くように口をもごもごさせている。
身じろぎひとつせず、杖の先を奇岩に向けたまま言葉にならないうめき声を発しつづけている。
どのほどの時間が経っただろうか。一〇秒…三〇秒…一分…。
不思議なほど時の感覚がなくなったと思われたとき、アルファは咄嗟にカムルの肩にしがみつき、思わず声を上げた。
「おいっ―――――カムル、あれ…」
「!」
カムルもまた、愕然となった。
アルファが指さす先には、ジェノアがかざす杖の先端。何と、その部分が淡い蒼色を発していたのである。それを見たアルファはすぐに悟った。
「あの光……アドラ塔の……」
「何だって…?」
「サラマンダルの……光――――」
アルファはすうっと言葉を止めた。
魅入るように、杖の先から発せられる茫光を見つめている。カムルもまた、視線を杖に向ける。
その光が徐々に輝きを増す。ゆっくりと、周囲を青色に照らしてゆく。
アルファもカムルも衛兵も、その不思議な光景を食い入るように見つめつづけている。やがて――――
ワム―――アンスレードーアー――――!
ジェノアが突然、訳の分からない言葉を叫び、かっと目を見開く。その瞬間だった。
「シュリスッ、見ろっ!」
アルファが無意識にそう叫んだ途端、シュリスもはっと気がついたように身体を動かした。
「うわっ!」
「くっ――――――――――」
一段と蒼い光がアルファたちの目を眩ます。風の唸りか、光がなす業か。吹き飛ばされそうな空気の対流がわき起こり、砂ぼこりが舞う。
視界が遮られる中で、アルファたちはジェノアが激しい閃光を発する杖を十文字に薙ぎ払う様を見た。光は強い軌跡を残し、真っ直ぐな十文字を描く。
「!」
そして、その軌跡は消えることなく、ゆっくりと奇岩の方に向けて移動しているように見えた。
「邪悪なる魔界の大地に在りし陽を見ぬ石たちよ――――ここは聖なる主と光の神に加護されたる地上の世界―――――そなたたちが在りし世界ではない――――消え去りたくなくば――――在るべき地へ帰り給へ――――!」
ジェノアははっきりと言葉を発した。
その直後、ジェノアの左手が大きく開き、十文字に描かれている蒼い光を押すように腕を突き出した。
その瞬間、何と光の軌跡は驚くべき速さで奇岩にぶつかり、すうっと吸い込まれたのである。
「皆の者、伏せるのじゃ!」
ジェノアの叫び声に反射的にアルファたちはうつ伏せになる。
ドオオオオ――――――――ォォォォ………
鼓膜を破りそうな轟音と内臓を壊すかとさえ思わせる地響き、網膜を蒼く灼き焦がすような光が包み込む。
そして、誰の者かわからない悲鳴が轟音の合間に響きわたる。
この世の終わりのような未知なる恐怖の時間がどれほど経ったのだろう。一分が一時間とも感じられるような計り知れない体験も次第に収まって行く。
そして、アルファたちは貝殻のように身体を縮こませたまま、周囲は静けさを取り戻す。
「ゴホン……」
ジェノアの嗄れた軽い咳払いが、やけに美しく透き通る。
「ほれ、いつまで寝とるんじゃ。終わったぞえ」
コツン――――。
ジェノアは杖を床に突き、わざと大きくため息をつく。
「う……うーん……」
アルファが小さなうめき声を上げて気がついた。
どうやらあの衝撃でアルファたちは軽い脳震とうを起こしていたようだ。わずかに朦朧とした意識。
だが、アルファは妙な感覚にとらわれた。そして、薄目を開けたとき、その眩しさに思わず目を見開いた。
「あ―――――――――――――!」
アルファの視界に真っ先に飛び込んだのは、眩いばかりの青空と、一面に拡がる地平線。そして、とても清々しい緑の薫りを運ぶ、新鮮な空気だった。
朦朧とした意識が一瞬にして元に戻る。そして勢いよく立ち上がり、門の外に広がる新しい世界を食い入るように見つめていた。
「か、か、カムルッ! ……シュ、シュ、シュリスッ!起きろっ!」
甲高い声でアルファは大声を挙げた。
「う~ん……」
「え……あいた……」
まるでカミソリのようなアルファの裏声に、カムルとシュリスは気がつく。
二人は後頭部を押さえながらむくりと起きあがる。
「み、み、み、み、見ろよ二人ともっ!」
興奮するアルファ。
カムルとシュリスは鈍い痛みを感じる頭や頸のあたりを押さえながらアルファの先に視線を移す。
「えっ―――――――――!?」
「がっ―――――――――!?」
二人もまた、呆気に取られた。
アルファは地平線を茫然と見つめながら両腕を広げる。
「岩が……こーんなにあった大岩が……」
「消え…ちゃった……」
カムルが言葉をつなげる。にやりと笑っているジェノア。
「ど、どうしてっ!? な、何があったの?」
ずっと茫然としていたシュリスがようやく言葉を発する。
三人とも今起きた現実を全く把握できていない様子。にやにやとしていたジェノアがコツンと杖を床に突くと、笑いながら言葉を発した。
「どうじゃ? これが、『魔法』と言われるものじゃが」
「…………」
「…………」
「…………」
三人は瞠目したまま同時に頷く。
突然開けた世界から差し込む光。とても新鮮で、未知なる冒険心を燻らせる風。
三人は突然とも言える出来事に、しばらくの間茫然としていた。