第3部 涼秋の聖都
第5章
葛藤
しばらくの間、往来の足を阻止していた沙立関北門の奇岩が突然消え去り、人々は大騒ぎになった。
無論のこと、この奇岩に頭を痛めていた人々は、不安と言うよりも、喜びの方が大きい。何故、突然消えたのか、疑問を抱く者は誰ひとりといなかった。
食事を途中で放り投げ、慌てて北門に向かう者、寝たばかりの我が子を無理やり起こし、人波の後ろについて行く者。
茫然としているアルファたちには目もくれることなく、北門に向かう人々は堰を切ったように、しばらく途絶えることがなかった。
「慌てなくとも岩は二度と現れぬゆえ、今日はここで休んでゆけ。」
ジェノアの言葉に、アルファたちは従うことにした。
と、言うよりも他の人々と同じように歓喜にわきながら東シュリアに抜ける気力がなかった。
人がまばらになった宿泊所の食堂で、アルファら三人はジェノアから食事を呈された。
体力のつく馬肉の揚げ物と駱駝の乳。しかし、なかなかそれに手を着けようとはせず、いまだ茫然とした様子で、嬉しそうにそれらを頬ばる老婆を見つめていた。
「何じゃ――――くわんのか?」
「…………」
よほど衝撃を受けていたのだろうか、固まっているかのように表情ひとつ変わらないままの三人。ジェノアは思わず笑ってしまう。
「ほれ、いつまでぼうっとしているつもりじゃ。食べるもの食べんと、身体がもたんぞ、それに考えもな」
やがてアルファがゆっくりと食器を手に取ると、まるでスイッチが入ったかのようにカムル、シュリスと続いて止まっていた手が動き出す。
一度動き出すと止まらなくなる。
ミルクを含み、肉を一切れ、胃に到達させると、眠っていた空腹の虫が騒ぎ立つ。三人は突然狂いだしたかのように、一気に目の前の食事を平らげてしまった。がむしゃらに食べまくる三人の様子に呆気に取られながらも微笑んでみているジェノア。
「ふう―――――」
満足感に一息つくアルファ。かたやカムルのげっぷに眉をひそめるシュリス。
「ようやっと落ち着いたようじゃの」
ゆっくりと手を動かしつづけているジェノアがにやりとしながら素に戻った三人を見回している。
「どうじゃ三人とも。あれが魔法というものじゃ。いちいち口で説明するよりも早かったのう、この方が」
その言葉にアルファは思いだしたかのように声を高らめた。
「ジェノア…いや、ジェノア老師。ちょっと、聞いてくれますか」
アルファはジェノアに、かつてタリスマ砂漠で見たシュリスの閃光、そしてアドラ塔の守護サラマンダルから告げられたシュリスの事を話した。
その話を聞き、驚いたのはカムルと、当の本人シュリスである。
「何だそれ、初めて聞いたぞ、おいアルファ」
「隠してたのっ! そんな話」
当然のこと、カムルとシュリスの剣幕は凄まじい。
「わ、悪かったよ。で、でも勘違いはしないでくれよ。話す気がなかったんじゃなくて、話すタイミングがなかっただけなんだ」
まあ、アルファにしてみれば、タリスマ砂漠以来シュリスの放った『謎の光』については、幾度となく本人に言おうとした。
しかし、当人もひどく驚愕、困惑するような事を、こともなげに、まして普通の会話の中で出すなんて言うことは出来ようはずがなかった。
だからこそ、こうしてジェノアと巡り会ったことは、ひとつの好機であったと思ったのだ。
話したいが話せないアルファ自身のもどかしさは、ようやく訪れたタイミングで、やっとすっきりした。
「どおりでアルバートルの宿で様子がおかしいと思ったのよ」
「だって、言ったら傷つくかなあって、思ったから……」
「バカにしないでよ。そんなことくらいで傷つくわけないでしょう」
とはよく言ったものだ。
今更だからそう言える。負けず嫌いの反面、すごく恐がり屋のシュリスのことだから、もしすぐにそのことを言えば想像を絶する慌てぶりを呈していたことは間違いがない。
「まあ、良いではないか。何も悪魔に取り憑かれたわけではない。それどころか、レシュカリアの人間族でも魔法の才を持つ者は稀なんじゃ。シュリスとやら、そなたはその中でも特に才に優れているものを秘めておる。無意識とはいえ、そなたが放った『閃光』は、上級攻撃魔術のひとつかも知れぬ。うむ…磨けば光る玉じゃ」
ジェノアはしわくちゃの口に食べ物をいっぱいに頬ばりながら笑っている。
「こいつの顔や性格も磨けば光るんだろうけどなぁ」
言った瞬間、シュリスの手のひらがカムルの後頭部を打つ。
「それよりも老師。シュリスがもし魔法の修行を積めば、あの岩を消し去るような力がつくのですか?」
アルファの質問に、ジェノアはくつくつと笑う。とにかく、よく笑う御仁である。
「あれはな、"封魔"魔術の上位階級の至難業じゃ。このわしでさえ習得するのに五十年はかかった」
「おいおい、ならば何か? アドラのご神体はシュリスに出来ないことを承知で杖を授けた――――そう言うこったんか?」
カムルの疑問は的を射ている。
確かに、ジェノアの唱えた呪文が、彼女の言うように五十年もかかるようなむずかしいものならば、何故魔法という存在すら知らないシュリスなどに杖を授けたというのだろうか。はなからジェノアのような人物に託せば手っ取り早いではないか。しかも、この杖の使い方すらアルファに教えてくれていない。
「だとしたらえれえ迷惑だぜ? そのサラマンダルって、千年か二千年かはしらねえけど、長いこと塔の中で閉じこもってモーロクしちまったんじゃねえのか?」
怒りたらたらのカムル。無理もない。
「サラマンダルは耄碌などはしておらぬわい」
ジェノアがぼそりと言う。
「おい婆さん。だったら何でコイツなんかに杖を渡そうとしたんだよ。初めから婆さんのような人間に渡すのが普通じゃねえのか。俺だったらそうするけどね」
カムルの言葉に、ジェノアははっきりとわかるように嘲笑する。
「東洋のことわざにのう、『鴻鵠の志、燕雀いずくんぞ知らんや』とあるのを知っておるかえ?」
「こうこく? えんじゃく?」
カムルは元よりアルファやシュリスも首を傾げる。
「要するに、大志を持つ者の心は、小人にはわからないものじゃという意味よ」
「あ――――? ちょっと待てよ。それって、俺のこといってんの?」
不快な表情をするカムル。
「いやいや。お前さんばかりじゃのうて、昔からの。……サラマンダルはかの聖主ミカエルからも、今のお前さんのように怒りを受けていたのじゃから」
「えっ……聖主からも…ですか?」
アルファが思わず声を上げる。ジェノアはやや悲しげにうつむく。
「通伝では聖主がバルコ島の頃から大魔道師と言われているようじゃが、実は聖主ははなから大魔道師などと呼ばれていたわけではないのじゃよ」
「………」
「簡単に言えばの、聖主の出自はバルコ島の無頼。何を思うてかレシュカリアの地を征服しようと思い海を渡り、流れ流れてアドラ塔にたどり着き、サラマンダルに逢うたのじゃ。サラマンダルは聖主に魔道の才ありと見て、この杖を授けデムウス追討を託した。だが、聖主はものの役に立たぬこの杖を放り、サラマンダルを激しく罵ったのじゃ」
「……」
アルファたちが耳にしたレシュカリア統一王朝シュリアの開祖ミカエルの偉大なる人物像とはまるで違う、ジェノアの語るミカエル像。
レシュカリアに渡り出逢った人々は、皆ミカエルを万象の神と崇敬している。だが、ジェノアの語るミカエルは、そんな神という存在の像を打ち砕くものであった。
いや、言いかえれば、ジェノアの言葉によって、ミカエルは実に人間くさい人物であったことさえ窺える。
「その時は、光魔道士と謳われていたマリアの諫めもあって聖主の怒りは収まったのじゃが、後に魔神デムウスを封じるときにこの杖が必要と気づくまで、誰も手に触れず、埃をかぶっていたそうじゃ」
「そりゃあ、そうだぜ。はなから杖の使い道を示してさえいれば、聖主っていうお人も怒るこたぁなかったはずだぜ」
カムルの言葉にアルファやシュリスも小さく頷く。だが、ジェノアはニヤリと笑みを浮かべながら、茶をすする。
「そこが燕雀と言うのじゃ。やはりそなたらもかつての聖主と同じ事を申すのじゃな」
「かつての聖主って…老師、あなたは話したことあるんですか?」
真面目な顔つきでそんなことを言うアルファに、ジェノアは呆れたように笑う。
「わしは妖怪かっ。そんなはずなかろうが。歴史を語るには、古文書を一字一句間違わずに覚えることが肝要じゃ」
明らかに愚問だった。アルファは照れ笑いを浮かべて謝る。
「とかく、聖主もわしもそなたらも、同じ人間じゃと言うことを言いたいのじゃ。…そなたらの言うように、確かにサラマンダルが最初から杖の使い方を教えておけば、聖主も余計な手間などをとらずに魔神を討てたかも知れぬ。わしとて、正直を申せば、その方がよいからの」
「そうだろ。やっぱりな」
そらみろとばかりにカムルが手を打つ。
「じゃがな……よう考えてみい。もしそうだとすれば、何もわざわざ人間に託すほどのことだとは思えぬではないか。聖主に託さずとも、サラマンダル自らが立てば魔神を討つのは容易きこと」
「それも、そうですよね…」
「ならば、何故サラマンダルはわざわざ無力な人間に杖を授けたのか。そなたらにわかるか?」
その事が、ジェノアがアルファたちに問いかける本題であった。しかし、その質問にアルファたちは首を傾げたまま、答えられない。
ジェノアはそれが当たり前だと言わんばかりに姿勢を正すと、ゆっくりと、諭すように語る。
「それを知らぬゆえに、『鴻鵠の志…』と言うのじゃ。…よいか、サラマンダルはの、わざと聖主に対し杖を授けたのじゃ」
「わざと…?」
アルファはきょとんとしていた。
「要するに、魔神を討つのは人間の役割、自分ではないということを言っておるのじゃよ」
「えっ―――――?」
意味が分からないと言わんばかりに、アルファたちはジェノアに怪訝な眼差しを向ける。そして、カムルが不満げに言う。
「――――それってよ、サラマンダルは自分が出て行かなくても、魔神は倒れるってわかっていた……ってことなのか?」
その言葉に、シュリスも同意する。
「そうよね。そうじゃなかったら、世界が滅びるかどうかの瀬戸際だもん、ご神体が自分から立つのが普通よね。いいえ、そうしなくちゃいけないはずだわ」
確かにそうである。しかし、ジェノアは意味深な笑みをたたえたまま語る。
「勘違いいたすな。サラマンダルが立ったとて、魔神が確実に倒れるという保証はないぞえ」
「はっ?」
「当たり前じゃろ。サラマンダル"ひとり"が魔神に対抗したとてかなうはずなかろうが」
「なっ―――――それって、どういう……」
「人間というのは、実に愚かな生き物での。いかなる苦難からもひたすら逃れようとする本能を背負っているのじゃ。わかるじゃろう?」
そうなのだろうか…と、アルファは思った。
それはただ単に自分が『苦難』という状況に遭遇した経験がないからなのではないか。
レシュカリアという見知らぬ地に対する不安心も、夢と冒険心に駆り立てられ、苦難どころか、ワクワクさえする。
「まあ、そなたらは若いからの。苦難というものはまだ知らぬじゃろうが、いずれ必ず経験すること。その時一度は思うじゃろう。逃げ出したいとな」
アルファはそんなものなのだろうかと、思った。
「それで? …それとサラマンダルが人間の役割と言ったことと何の関係があんだよ…」
カムルがぶっきらぼうに言う。
「つまりじゃ。たとえサラマンダルが魔神と対して、満身創痍になりうち倒したとしても、人間たちは一時に恩を忘れ、災禍に対する気概も持たぬまま歴史を築き上げていたじゃろう。サラマンダルは、人間である聖主が、このレシュカリアを遍く治めるためにと、敢えて自らが立たず、聖主を危難の縁に追ったのじゃ。聖主自らが滅亡の狭間を知りうることで、人々は魔神の災禍を教訓として未来永劫にわたり語り伝えるじゃろうからと」
「…………」
難しい…よくわからないと思うのは、アルファ自身がまだ人生経験がないからなのであろうか。
ジェノアの話は、サラマンダルの杖が、よほど深い意味を持って聖主ミカエルに渡り、そして自分に渡されたと言うこと。
そして、聖主はこの杖をもって魔神討伐をなし遂げ、そして自分たちは結果的にジェノアの力によるものであったが、関所を封じる奇岩を消し去り、聖都への道を開いたということ。
「ならば――――ご神体は今も魔神を滅ぼせる力があって、敢えて私たちにこの杖を?」
シュリスの言葉に、ジェノアは小さくため息をつく。
「サラマンダルにはもはやそのような力はない。年を取りすぎておる。おそらくは―――――」
「―――――!」
アルファはそれをすぐに『死』と察知した。
アドラ塔で会った、ご神体は確かに守護神と呼ばれるに相応しい威厳さをたたえながらも、どこか寂しい感じがあった。そして別れるときに見せた、今生の別れとも取れる言葉
――――レシュカリアを――――頼んだぞ――――
それは、アドラに寄り千余年にわたってレシュカリアを守護しつづけてきた、孤独な神の遺言であったのだ。
そしてそれは、聖主の頃のように、自らが魔神とやり合える力を保持していたわけではなく、もはやそれに対抗できうる者にすべてを託す、それだけのために生き続けてきたのだと。
アルファは何故か急に身体中に戦慄が走るのを感じた。
自分は遊びや好奇心などでレシュカリアにやって来たわけではない。
レグテチス大師に勧められた剣術の修行のため、それもある。
そして、レシュカリアを旅してゆくうちに知らされて行く魔神召喚の噂。
ファルシス王、アンナ王女、ジェルキン、サファ、アンセルム王、サラマンダル……。
そんな人々に触れてゆきながら、この世界の危機を感じつつも、アルファは心のどこかに楽観視している部分があった。
魔神が召喚されたにしろ、自分たちではなくて、他の誰かが何とかしてくれるだろうと言う考えがあった。
それがアドラのご神体であるサラマンダルであるという確信はなかったにしろ、まだ一部しか知らないレシュカリアのこと。
自分たちなど比べものにならないほどの勇者はごまんといるはず。そう、思うところがあった。
だが、そんな考えは、ジェノアの話を聞いて、見事に打ち砕かれた気がした。
レシュカリアのすべてを見守りつづけたサラマンダルが、杖と共に自分に託した言葉。
それが最期の言葉であると言うことは、もはや頼れる者は、異国人である自分たち以外にない。
言いかえれば、アルファたちが現在のレシュカリアにおける、最初で最後の救世主と言うことになる。
「…………」
途端に、アルファの表情が険しくなった。
さもあろう。頼れる者はなく、サラマンダルの死により名実共にレシュカリア…いや、世界の命運を背負った『勇者』にならざるを得なくなった、一介の『旅の剣士』。
そのプレッシャーは一瞬にして温厚な性格さえも押し潰してしまうかと思うほど。
冗談はもとより、"あ"の言葉さえも出ない。
「アルファ?」
「アルファ君?」
アルファの様子に、カムルとシュリスが心配そうに話しかけてくる。だが、アルファの表情は能面のように固まっている。
「いかがいたした若いの。そのような凛々しい面をして」
左の人差し指で眉間をなぞりながら、苦虫を噛みつぶしたような顔をしているアルファをジェノアは凛々しいと思ったらしい。
しばらく三人の視線を一身に受けていたアルファ。やがて何か閃いたようにうつむいていた顔を上げ、最初の視線をシュリスに向ける。
「え……ど、どうしたの?」
真剣な眼差しを受けたシュリスが思わずたじろぐ。
「シュリス。―――――老師の元に行って魔法の修行、してくれないかな」
その発言に、シュリスはもとより、カムルさえも愕然となる。ただ一人ジェノアだけは、あたかもアルファがそう言うだろうと思っていたかのように笑みをたたえている。
「ちょっとアルファ君、あんた本気で言ってんの?」
シュリスは怒りたらたらにアルファを睨みつける。
だが、そんな突き刺すような視線にも、いつものアルファらしくなく、じっと視線を返す。
「冗談でこんなこと言うわけないだろ」
「…………」
口撃の名手・シュリスでさえも二の句が継げないことがある。今はまさにそんな状況だった。
冗談でアルファがそう言っているのならば、あっさりと一笑に伏せるところなのだが、どうも今のアルファは冗談で言っているようには見えない。
「待てアルファ。おめえ、シュリスといったん別れるって言うのか?」
カムルが言葉を挟む。
まあ、三人の立場から解釈すれば、アルファの発言の意味はそう言うことになる。
「それは―――――」
わずかに躊躇するアルファ。
「だってシュリスをこの婆さんのもとに行かせるってこたぁ、そう言うことなんだぜ?」
責めるような感じのカムルの詰問に、アルファではなく、シュリスの方が今にも泣き出しそうなほど、切なげな表情を浮かべている。小ぶりの唇をきゅっと閉じて小刻みに震えている。
「そんなことくらいわかってるよ……。でも……シュリスには魔法の才能があるんだ。アドラのご神体も、死の間際にそう言っていた。だから……俺に奇岩を消す杖を授けてくれた……。老師も、シュリスには類い希なる素質があるって……」
しどろもどろしたアルファの口調に、カムルは思わず語気強く言い返す。
「そんなこと言ってんじゃねえんだよっ! お前……シュリスの気持ちも聞かねえで、勝手なこと決めつけていいのかって言ってんだよ」
「…………」
一瞬にして、その場の空気が重く沈む。
「お前……、ご神体からその話……いや、アルバートルに向かう途中でシュリスが光放ったって言ってたよな。それを話そうにも、タイミングがなかったって―――――」
「…………」
「俺らがそれを知らねぇまま、お前が今まで隠しておいて、この場になってやっと打ち明けてよ、気持ちの整理もつかねえまま婆さんの元に行けっていうのぁ、ちょいと非道くねえか?」
「…………」
言い返せないアルファ。カムルの言うことはもっともである。
「まあ―――――シュリスが最初に光を放ったとき、お前はきっとこいつが普通の人間じゃねえって思いこんで怖かったんだろうがよ」
その言葉にアルファはきっと顔を上げてカムルを睨み付ける。
「そ……そんなことはないよっ!」
「だったら何でその後すぐ俺らに言わなかったっ!? 言う機会くれえ腐るほどあったじゃねえかよっ!」
「そ……それは……」
「ま、おおかたこいつを傷つけまいと思いこんで黙っていたことだろうがな。隠し通して後でわかったとき、実は知ってました…なんて言って見ろ。そっちの方がすげえ傷つくんじゃねえのか」
「…………」
アルファは言い返せないまま黙りこくるだけである。もちろん、シュリスの表情を窺うことすら出来ない。
「なあアルファ。……俺たちってよ、そんな仲だったのかよ。……まあ、確かに――――俺がお前の立場だったらやっぱびっくるはするぜ。見たこともないものが突然起こるんだからな。でもな――――隠し通そうったって、いつかは判ることだと思えば、言ってしまった方がスッキリするぜ」
「…………」
アルファもシュリスも、何とも言えない表情でうつむいたまま言葉も発しないままでいる。
かたやこのシリアスな雰囲気にも、ジェノアは飄然と茶などをすすっている。
「俺たちって、ガキの頃から隠し事なんかしねえで何でも話できたじゃねえか。友達だから一緒に旅をしているんじゃねえか」
カムルは切々と訴えるように言う。
いつも陽気でプラス思考の彼でさえ、やはりシュリスの秘められた才能がアルファの口から聞かされたとき、ショックを受けたのだった。アルファに対する言葉は、自分に対する言葉でもあった。
「なあ―――――アルファ。俺が言うことじゃねえとは思うけどよ。シュリスが婆さんのトコに行くかどうか、決めんのは当然シュリス自身だと思うんだよな。けどよ、今ここで決断迫るのは性急すぎる。時間ってもん、必要じゃねえか」
「…………」
アルファの表情がわずかに変わる。
「それに、シュリスが婆さんのトコに行くって事は、その修行って奴を終えるまでは別れるって事になるだろ? そこんとこも俺らで話し合うことだって必要じゃねえか」
小さく頷くアルファ。
シュリスはわずかに顔を横に逸らす。ジェノアは悠然と茶のおかわりを注いでいる。
「そこで茶をすすっている婆さまよ―――――」
おもむろにカムルはジェノアを下がり目でにらみつける。
「と―――――言うわけでな。俺らにも色々と事情があるわけ。当然、時間はくれるだろうな」
ジェノアはすかしっ歯を覗かせながらにこにこと笑う。
「おお、それは当然じゃろう。わしはこれよりシアンに帰らねばならぬが、いつでも待っておるゆえ、良い返事聞かせておくれ」
そう言ってジェノアは茶を飲み干すと、黒木の杖を支えにゆっくりと席を立つ。そして、重苦しい雰囲気に包まれている若者三人に対し、まるで対岸の火事でも見るようにいやらしい微笑みを送ると、かつんと杖を打ちならしながら、食堂を去っていった。
取り残された感じの三人。誰も言葉を発しようとはしない。お互いに、切り出しを待っているように見える。
時々、互いの表情を一瞥しては、再びうつむく。そのくり返しだった。
そんな様子が十分ほどつづいただろうか。のし掛かる空気に耐えきれなくなったのか、それとも切り出しにかかったのか。突然、シュリスが立ち上がった。
「シュ…シュリスッ!どこへ行くっ」
今にも飛び出してどこかに行ってしまいそうな、そんな切羽詰まった様子を瞬時に察知したカムルが、反射的に立ち上がる。
アルファはただぼう然とシュリスを見上げている。
「ゴメン……ちょっと、ひとりにしてくれない?」
彼女は微笑んでいた。
いつものような無邪気な微笑みだったが、それが完全に繕っていることだって言うのは、誰から見ても判る。
「シュリス……」
心配でたまらないカムル。突然彼女が走り出しても言いように、身構えている。
「大丈夫。逃げたりはしないわよっ。ただちょっと……ひとりで考えたいことがあるの。ゴメン……」
どうやらそれは本当のようだった。
様子を見ていればわかるし、カムルのボケに真っ向から天鎚を食らわすほどの勝ち気な性格の彼女が、嘘をついてまで失踪するとは思えない。それをわかっているので、カムルもそれ以上、聞くことはない。
「……わかった。変な気起こすなよ」
「うん……」
その間、アルファとシュリスは一度も目線を合わすことはなかった。
食堂のテーブルに上体を伏し、シュリス以上に落胆の色濃い様子のアルファの背中を、カムルはどんと叩く。そしてほぼ強引にアルファを立たせ、まるで酔っ払いを支えるようにしながら食堂を後にした。
ひとりになったシュリスは、大きくため息をつき、力無く再び椅子に腰を落とした。
自分に秘められた才能がどれほどのものなのか。魔法って、いったい何なのか……。彼女は自分にそんな未知なる部分があったという不安に押しつぶされそうになっていた。
だが、彼女自身もまだ気づいていなかった。秘められた才能が見事開花し、それがレシュカリアという大陸に光をもたらすきっかけとなると言うことに……。