オープニング

ロイヤルブラッド-光栄イマジネーションゲームの名盤-

ファミリーコンピューターが全盛期だった頃、光栄から「イマジネーション・ゲーム」と銘打たれた作品が、ファミコン版として発売された。
その記念すべき第一作は「ロイヤルブラッド」という、戦争もののファンタジー・シュミレーションであった。
王冠から解き放たれた六つの宝石を集め、悪の国王を倒すことが勝利条件。ファンタジーらしく、妖精やらモンスターも戦闘ユニットやイベントとして登場する。
総勢70人近い登場人物は、創作世界の人物にしてはかなり多い方ではなかったかと思ったものである。
私がロイヤルブラッドをプレイしたのは、名機MSX2版のものであった。
ゲーム自体は他のシュミレーション作品と比べれば確かに見劣りはしたが、作品の内容(登場人物のそれぞれのストーリー)には、強い衝撃を受けたものである。
ケルト神話の要素を取り入れたロイヤルブラッド(ハンドブックも含める)は、自身の創作活動においても未だに強い影響を受けつづけている。
現在、意外と昔の作品の復刻版として再販されているものが多いと聞くが、名盤ロイヤルブラッドも、是非復刻版として再販されることを願っている。

尚、この小説はロイヤルブラッドという名作を生んだ、シブサワ・コウ氏に敬意を払い、同氏に捧げます。

キャラクタを生かしたい

持論かも知れないが、どんなゲームにしろ、それに登場したキャラクタというのは、創作者によって生命を与えられている。
それはそのゲームにしか登場しない、一つのかけがえのない『人』であると思う。
同じキャラクタは、違うゲームでは決して生かされることはない。
残念ながら、ロイヤルブラッドは個々に素晴らしいストーリーがあったのに、いつしか人々の心から忘れ去られてしまった。
それが、ゲーム自体が面白くなかった、つまらなかったという理由からなのか、印象が薄いゲームだったからなのかはわからないが、少なくても僕はそんなことはなかった。私の場合はゲームそのものではなく、キャラクタや世界を大事にしたいと考えている。
多分、ロイヤルブラッドの他にも、生み出されては消えていった作品は無数にあるだろう。
しかし、どんな理由にしろせっかく創造されたキャラクタや世界を無下に闇に葬ることまではしたくないと願うものである。
もしも、これを読んでいるあなた自身が、小説にしろ、CGにしろ、マンガやゲーム・・・等を創作しているとするならば、その生み出したキャラクタは決して忘れ去ったり、無下に捨てたりしてはいけないと思う。それはあなたが生み出したキャラクタが、世界でたった一つのものであると考えるからである。

このロイヤルブラッドが皆の心から忘れてしまった多くの作品の中の一つであるとするならば、私は小説という形で、キャラクタ達に再び息をあたえてあげたいと思っている。

統一戦記最終回

私は小学校の頃から物語形態の文章をノートに書きつづっていた。
中学の頃から高校を卒業するまでの間の約5年間にわたり、光栄シュミレーションゲームの開始から終了までのプレイを、バトルレポート・統一戦記として大学ノートに書いていたものである。
単純にプレイした君主や大名が全国統一するまでの間を、そのまま記録したものであるが、それがつもりつもって10冊になっていた。
内容自体、三国志や信長という定番の記事がほとんどを占めていたが、さすがに5年もかけると愛着がわいてくる。捨てるに捨てられなくなって、今でも大事に取っている。
その「統一戦記」のしめくくりとして、最後に書きつづったのが、このロイヤルブラッドである。
最終回はキャンバスノートの一番厚い100枚200ページ+30枚60ページに記された手書きの小説。主人公はシナリオ4(最後のシナリオ)に出てくる、謎の青年エアドリック。
だが、実に滅茶苦茶な内容である。舞台がロイヤルブラッドの世界なのに、何故か曹操や織田信長、源頼朝やドラクエのキャラクタ、挙げ句の果てには当時高校のクラスメイトの名前まで出てきている。
光栄ゲームのキャラクタ総出演プラス友人の特別出演という形にしたかったんだろうが、今、原文を見ると実に無茶をしたものだと苦笑が浮かぶ。今回掲載して行く小説は、もちろん諸葛亮や秀吉、義経などは登場しない。
原文を脚色して半オリジナルでロイヤルブラッドのキャラを活かして行きたい。