序章 テューダの若頭

 HC915年--------今から思えば、国王エセルレッドの乱心から始まった王冠戦争も、六年という歳月が過ぎていた。
 悲劇の王女アヴェールが、神竜パスハの導きによって、父を誑かした王冠ロイヤルブラッドの魔力を消すため、王冠に封じられていた六つの宝石魔道士を解放し、ロイヤルブラッドの魔力を奪ったのはいいが、それがために実の父から王都ロンディウムの高塔に幽閉され、長い間暗い部屋に押し込められてきた。
 アヴェールによって解放された六つの宝石魔道士たちは、エセルレッドから追放された有力貴族達の元に飛び去った。
 星を操る隕石魔道士ミーティアはライル家レッドワルトの元に。天候を操る自然魔道士サンダラスはブランシェ家エランの元に。水を操る氷の女魔道士チルは辺境伯・クリサリス家ガッシュの元に。空気を操る風の女魔道士マシェーティは、南方の豪族フェリアス家イリウスの元に。火を操る炎の魔道士フレイムはコーラル火山侯ランフランクの元へ。毒素を操る化学魔道士ポイズンは、森の覇者モーブル家レアンデルの元に・・・・・・。
 こうして、六つの宝石魔道士を得て始まった王冠戦争は、イシュメリア大陸を大乱に巻き込み、数多くの人の命を奪い、そして途方もない夢を抱く者たちは、それぞれ家を興しては滅んでいった。
 この六年の間に、宝石魔道士を得た有力貴族達の中で、コーラル火山侯ランフランクはフェリアス家に、クリサリス辺境伯家はライル家に、森の覇者モーブル家は王政大司教であったスレテート家に、それぞれ滅ぼされていった。
 宝石を失ったとはいえ、依然脅威を誇る王冠ドラゴンを所有する国王エセルレッドのランカシア家も、次第に反乱貴族たちの威に圧され、かつて大陸を善政に治め、また震撼させた栄光は失われていった。
 イシュメリア大陸は、そして、熾烈を極めた王冠戦争は、今、一つの大きな転換期を迎えることになった。

914年8月 ペンザンス--------ニルト山

 海の見えるなだらかな山の斜面に、エアドリックは一人野花の茎を唇に挟みながら、ぼーっと流れる雲を眺めていた。
 先日の夜半、ペンザンスの城下で、ライル家に密物資を搬送しようとした豪商の財を港で奪い、悠々と帰還したばかり。エアドリックは『おやじ殿』と呼んでいるテューダの頭シルフロマンに代わり、盗賊の指揮を執った。彼の指揮能力は緻密さに優れ、強奪時には豪商のガードマンたちとの間に軽い戦闘が起こったのだが、一人も死傷者を出さず、かつ盗賊仲間たちの面子も露見することなく、財だけを一銭も残さずに奪ったのだから、実に大したものであった。いや、彼の活躍はこればかりではない。フェリアス家が国王エセルレッド宛に送った内密の使者を捕らえ、フェリアス家の役人にその密書を叩きつけ、金銀を搾り取ったこともある。城下で弱い住民たちを苦しめつづけた悪徳商人とフェリアス家の役人の家を襲撃し、家財は元より、身ぐるみ全てをはぎ取って縛り上げ、城下に丸一日さらし者にしたこともある。いずれも人を一人も殺さず、財宝だけを残らず奪い去り、面子がばれたことがない。役人泣かせの、民衆の英雄。すべて、エアドリックが練りだした作戦が功を成したものである。エアドリックはそのたびにシルフロマンから耳が痛くなるほどほめにほめられていた。『頭領の座をおめえに譲りてえ』などと、今や口癖であり、最初の頃とは違って、聞き流してしまう。
「ふーっ・・・」
 エアドリックは野花の茎を指に持ち替え、青空にかざして花びらをくるくると回し、何気なしに眺めていた。さらさらの金色の髪が微かに潮の匂いする風にたなびく。
「エアドリックッ!」
 静かなひとときを無粋に破る甲高い声。だが、エアドリックは慣れているかのように身じろぎ一つしない。声の主は怒ったようにエアドリックの名を何度も呼びながら、側に近づいてくる。
「あんた、こんなところで何やってんのよ。随分さがしたんだからねっ」
 腰まで伸びていよう烏羽色のさらさらな髪を海風に靡かせた、褐色肌の華奢な美少女が憮然とエアドリックの側に立つ。
「・・・・・・」
「ちょっと、あんた聞いてんのっ?」
「・・・・・・」
 少女の甲高い怒鳴り声にも、エアドリックは動じずじっと花を回転させている。少女はそんなエアドリックの様子に怒りを沸騰させて、強引にエアドリックの手から野花を取り上げると、勢いよく背後に放り投げた。
「はあー」
 だが、エアドリックは表情を変えずにむくっと起きあがると、両腕を天に伸ばして暢気に欠伸なぞをかいている。まるきり無視された感じの少女は、堪忍袋の緒が切れに切れたように頭に血を上らせて、その手首を長くしなやかな脚で勢いよく蹴った。
「っつう・・・」
 さすがのエアドリックも、腕に痺れを感じ、手首を押さえて小さく呻く。だが、それでも少女を無視し続けるエアドリック。
「・・・そう、あんたがその気なら、こっちにも考えがあるんだからね」
 少女はエアドリックの前に進み、身を屈めてじっとエアドリックの目に視線を合わせた。
 卵型の輪郭に空色の大きな瞳が褐色の肌によく映え、すっと伸びた鼻梁に、化粧をしなくても充分に赤い、小さな唇。肩と胸元が露出された黒色のシャツに、太ももを惜しげもなくさらけ出したブルーのショートパンツ姿。体格は華奢だが、程良い肉付きをした、健康的色気に躍動感溢れる美少女。彼女は無視しつづけるエアドリックの視線を離さないように、彼が身体を動かすと、自分も動きを合わせて彼の視界から自分を離さない。
 エアドリックも少女を無視し続けること一時間。さすがにそのしつこさに根負けしたというか立腹したのか、とうとう彼女をにらみ付けて大声を放った。
「なんなんだおめえはッ!イイ加減にしねえと・・・」
 しかし彼女は驚愕する様相を見せずに、まるで勝ち誇ったかのようににやりとしている。
「ようやく喋ったね・・・」
「あ?」
 すると、少女の表情が瞬く間に怒りに戻る。
「頭がさっきから呼んでるよっ。あたし知らないからね」
 少女は吐き捨てるように言うと、ふんと鼻を鳴らして身を翻して去っていった。
「親父殿が・・・・・・またあの話か」
 エアドリックははあとため息を漏らすと、面倒臭そうに立ち上がり、長い欠伸をした。

ニルト山中腹 盗賊団テューダの本拠地

 エアドリックがかったるそうにテューダのアジトに戻ると、盗賊たちは彼にいちいち敬礼して出迎える。
「あっ、兄貴。お頭がさっきからお待ちしている様子でしたよ。」
 エアドリックの舎弟と自称するアンソニーがエアドリックの隣に並ぶ。歩幅の大きいエアドリックに合わせようとするが、無意識のうちに遅れ、慌てて彼の隣に駆け寄る。
「フェリアの奴から聞いている。どうせまた例の話だろ。」
「いや、それがどうも違うようでして・・・」
「違うって、どう言うことだ?」
「何か、お怒りのようでもなしに・・・」
「まあいい。話を聞いてみりゃあわかる。・・・だがな、あの話だけは御免だな。」
「イイじゃないっすかー。俺が代わりてえくらいっす」
 アンソニーは羨ましそうに言い口をへの字に曲げる。
「ははは。いつでも代わってやるよ。親父殿が納得したらの話だけどな」
 エアドリックは小さく笑い、アンソニーの肩を軽く叩くと、歩幅を広げて一人、頭領の住居に向かっていった。

 テューダの盗賊団首領シルフロマンは、籐製の椅子に片膝を立てて斜めに腰掛け、エアドリックを睨むようにしていた。エアドリックはいつものような感じで何気なしに首領の前に進み、床に勢いよく腰を落とす。
「ずいぶん遅かったなァ。フェリアの奴とちちくり合ったか?」
そう揶揄するシルフロマンに明らかに不機嫌そうな表情をするエアドリック。
「悪い冗談だぜ。・・・ところで親父殿。話って、またそのことかよ・・・」
 そっぽを向いて投げやりに言葉を放つと、シルフロマンは大きく鼻で笑った。
「おめえ、何か勘違いしてねえか?今日はそんなことで呼んだんじゃねえ。」
「じゃあ、また『おつとめ』の話か。昨日やったばかりだろう。勘弁してもらいてぇな。」
「まあエアドリック、落ち着いて話聞けよ。・・・いいか」
 シルフロマンは警護している他の盗賊たちに退出を命じる。そして、エアドリックと二人きりになったのを確認すると、その耳元に歩み寄り、囁くように言った。
「おめえの手でフェリアスの連中を倒してみる気はねえか。」
「はぁ?」
 突拍子もないシルフロマンの言葉に、エアドリックは素っ頓狂な声を上げる。
「何も驚くこたぁねえ。おめえのためにすでに下準備は整えてある。おめえがその気になりゃあ、野郎どもはいつでも動ける手はずになっているぜ。」
「ちょ、ちょっと待てよ。何のことだよ。下準備って何だ。親父殿、あんた何を考えてやがる」
 やや興奮状態になるエアドリック。落ち着けと言われても、落ち着けるはずがない。
「カマトトぶるなエアドリック。これもおめえに与えられた運命って奴だ。ここペンザンス、ドルノワリア・ベルガルム。この三つの領地を支配しているフェリアス家の連中をぶっ倒して、おめえが領主となることは前々から決まっていたことだ。避けられねえ事なんだよ。」
 シルフロマンは唖然とするエアドリックの背中をぽんと叩くと、籐椅子に戻った。
「おめえももうすぐ二十六になるんだろ。この話は遅すぎるくれえだ。」
 エアドリックは完全に混乱したようにシルフロマンの足下に膝を寄せる。
「待ってくれって。話が大きすぎてわかんねえよ。」
 エアドリックは本気で言っていた。シルフロマンは呆れるほど陽気なところがあり、他愛のない大風呂敷を言う。だが、いつもは大言を吐いても酒による酔狂として片づけられてきた。だが、今は酔ってもいないし、笑ってもいない。彼の口調は真剣だった。
「俺はおめえを十二の時から面倒見てきた。おめえを連れてきたイザークが、フェリアスの連中に殺られてからは、俺がおめえを育てた。なんかしらねえが、おめえには特別な素質ってもんがある気がしてよ。娘のフェリア以上におめえを見込んでることに気がついた。」
「・・・・・・」
「この十四年、おめえには盗賊ってやつの気概や技を仕込んできたが、おめえは俺の予想以上に立派な若頭に成長しやがった。おめえに『おつとめ』を任せてからは、一人も面子をばらさねえでやることやってくれている。野郎どもをまるで操り人形のようにしちまう。そんなこたぁ、俺は仕込んじゃいねえ。おめえがそのー・・・何だ。お天道様から授かった、才能って奴なんだろう。」
「買いかぶりすぎだ。全く、何の話かと思えば・・・フェリアスの連中を倒せだあ?俺が領主になれだあ?はっ--------ばかげ過ぎて話になんねえよ。」
 混乱から立ち直り、ようやく冷静になったエアドリック。そう吐き捨てると、憮然と立ち去ろうと身を翻した。
「エアドリックッ!」
 シルフロマンが威圧するような強い口調でエアドリックを呼び止めた。ぴたりと足を止めて振り返る。
「おめえ、このまま盗賊のままで一生を終える気があんのか。」
 素の表情でエアドリックを見ながら、シルフロマンは言った。その問いかけにエアドリックは不覚にも躊躇を感じてしまった。
「おめえ--------こんなところで活躍しても満足できねえんだろうが」
 図星を突かれたのか、エアドリックの心に強い衝撃が走る。
「・・・そんなことは--------ねえよ・・・」
 だが、語尾が力無く、その表情が曇り、心中があからさまにわかる。
「いいかエアドリック。今、この国はバカな国王のせいで巷は死体と血で溢れかえってやがる。城を追い出された貴族連中が『新王候補』とかなんとかきれい事言って武器振りかざしてよ、傭兵集団じゃ飽きたらずモンスターと契約してまで国盗り合戦だ。国王を倒すなんて言いながら、てめえら同士で殺し合いまでやってやがる。なんだかんだ抜かしても、結局はてめえらの欲のために血を流してんだ。こんなんじゃあ、いつになっても平和なんかこねえよなあ。」
「・・・・・・」
「俺は根っからの盗賊だがよ、世の中のことまるっきり興味ねえ訳じゃねえ。あのアヴェールってお姫さんも、父親に閉じこめられてから5,6年になるって聞いた。全く、哀れなことだよなあ。何をしでかしたかしらねえが、俺はたとえフェリアがどんな悪さしても、6年も閉じこめておくなんて出来ねえぜ。」
シルフロマンの話に、エアドリックの顔色があきらかに変わった。
「俺は学問なんてものはしらねえから、でけえことは言えねえんだが・・・なんて言うか・・・男の感ってやつで言わせると、エアドリック。おめえならこの世を何とか出来そうなって、気がすんだよな。買いかぶりなんかじゃねえぜ。本気でそう思ってるんだ。」
 シルフロマンはやや照れ気味に語り終えた。エアドリックは表情を隠すかのようにゆっくりとシルフロマンに背を向ける。だが、シルフロマンはとっくにエアドリックの表情から、その心の迷いを覚っていた。
「まあ、今すぐ答えを出せとは言わねえ。いつでもいい。決心がついたら俺んとこ来な。」
エアドリックは言葉でも、仕草でも答えず出ていった。シルフロマンはゆっくりと瞳を閉じて、顔中に無造作に伸びた分厚い髭を何度もなぞっていた。