第2章 波瀾への決意

 エアドリックは迷っていた。シルフロマンが言った言葉は、彼の気持ちの奥底にある、正直な思いであったからだ。
 思考の収拾がつかないまま、うかない表情で頭領の住居を出たエアドリックを、アンソニーやホップスが心配そうに迎える。
「兄貴--------」
「どんな話だったんです?」
 二人の舎弟にエアドリックはわずかに微笑みを見せただけであった。
「なんでもねえ、心配すんな。」
 それだけ言うと、エアドリックは一つため息をついて自分の住居に向かった。テューダの盗賊たちは幹部クラスともなると個人の住居が持つことが出来る。五百とも千とも言われる盗賊集団の中で、個人住居を持つ幹部クラスの人間はわずか十人足らずだ。
 エアドリックの住居は木々に囲まれたやや離れたところにある。十八歳の時にシルフロマンから住居を持つことが認められたのだが、本人の希望で盗賊連中が密集したところを避けたのだ。人嫌いという極端な意味合いによるものではなかったが、彼は一人でいることが好きだったのかも知れない。
 エアドリックはシルフロマンからの告知から、滅多に仲間たちに顔を見せることが少なくなった。アンソニーやホップスらの舎弟たちとも顔を合わすことが激減した。
 そんなエアドリックの変化を追求する間もなく、時は流れて行く。

914年11月

 冬間近の十一月とはいえ、イシュメリア最南端にあるペンザンスは夏よりも多少は過ごしやすいと言ったような陽気である。
 エアドリックは三ヶ月の間、自邸に引きこもり、ずっと考え事をしていたようであった。シルフロマンから告げられた、フェリアス家の領地を根こそぎ奪うこと。つまり、フェリアス家という名をエアドリックという名に書き替えるということ。
 最初は予想にもしなかった、実に途方もない話であった。だが、時間が経つにつれ、エアドリックの思考回路もだんだんと落ち着きを取り戻し、冷静に物事を考えることが出来るようになっていた。
 時々だったが、ドルノワリア火山平原を遠くに望む山の斜面に出かけては遠望し、眼下に広がるこの大地を自分の手で治めて行くのかなどと言う思いが脳裏を過ぎり、照れくさそうに笑ったりもした。シルフロマンの言葉に最初は頭が熱くなり、大いに戸惑っていたエアドリックであったが、初冬の時折吹く冷たい風に頭を冷やされるたびに心の奥底に眠っていた野望が起こされてゆく。
 ある朝、エアドリックは珍しく機嫌が良く、自ら進んで盗賊仲間がたむろす林間に向かった。その途中だった。
「若頭」
 エアドリックは男の声に呼び止められた。声の方を振り向くと、ざんばら髪にあごひげを蓄えた三十代半ばの大男が、にやりとしながらエアドリックの側に近寄ってきた。
「エイセスじゃないすか。どうしたんすか?」
 エアドリックの表情がぱっと明るくなる。頭領シルフロマンの忠実なる部下で、エアドリックの無二の親友でもあり、兄でもあるエイセス。テューダの後継者と目されている、優秀な男であった。
「飛竜の谷に行ってみませんか。」
 エイセスは微笑みながらエアドリックを誘った。盗賊にしては言葉遣いが丁寧な男である。それゆえ、威厳さえあった。
「そりゃあいい。たまにはワイバーンの姿もおがまねえと、心がすかっとしねえし。」
「では、行きましょう」
 逸るエアドリックに優しげな微笑みを送るエイセス。二人はそこから二時間ほど山道を進んだ場所にある、ワイバーンの生息地に向かった。

ニルト山 飛竜の谷

 ペンザンスはイシュメリア最南端の辺境にある領地だが、大陸最強のモンスター・ワイバーンの生息地としても有名である。
 ワイバーンはその背に巨大な翼を持ち、大空を駆けめぐる天空の覇者。その翼一扇すれば、千年の大樹も一瞬にしてへし折ることが出来るほどの猛風を起こす。古代史における竜王族の末裔と言われ、知能は人を超えるとまで言われるほどで、いかなる魔道士も、いかなる百戦錬磨の名騎士も、彼らの前では風に舞う枯れ葉のような存在だ。王冠戦争勃発後も、名だたる貴族たちが彼らのその偉大なる力を借りようとしたが、誰一人とて彼らと契約を結べた者はいないという。
 エアドリックとエイセスは、ちょうどテューダの本拠地の裏側にある飛竜の谷を望む場所に佇んでいた。山にぽっかりと大きな陥没が出来たような地形には草木は生えておらず、黄土色の大地がむき出しにされている。
 今は微かに見えるだけだが、遠くに虫のような物体が何体も空中を旋回している。あれがワイバーンだ。
「いつ見ても悠々しいぜ」
 眩しそうに大空を飛び交うワイバーンを眺めて恍惚と呟くエアドリック。
「今まで、多くの貴族たちがあの天空の覇王を従えようとしてきましたが、誰もそれは叶わなかった。」
 エイセスが言う。
「若頭、あなたの手であの飛竜たちを従えてみたいとは思いませんか?」
「えっ?」
 唐突な言葉にエアドリックは愕然となった。
「イシュメリアの創世神に認められた、誇り高き勇者にのみ天空の覇王はその力を貸すのです。」
「ちょ、ちょっと待てよエイセス。何、言ってんだよ。」
「何も驚くことはないでしょう。あなたには飛竜をも従えるほどの才能が秘められているのですから。」
「え?」
 エイセスの意味深な言葉に怪訝な眼差しを送るエアドリック。エイセスは口許に笑みをたたえながらエアドリックを見つめている。
「あなたが他の貴族たちと同じ新王候補となるのは避けられない運命なんですよ。もしもあなたが拒んだとしても、遠からず・・・。」
「何で、そう言える?」
 エアドリックのやや強い口調に、エイセスはふうと長い息をつくと、ゆっくりと答えた。
「周りが、決して貴方を放っておかなかいからです--------」
「・・・・・・・・・・・・」
 エアドリックはその答えに、さらに返す言葉を探っていたが、見つからなかった。
「若頭、あなたがイシュメリアの新王となることは、亡きイザークの夢でもありました。彼がフェリアス家に捕らえられる前の日に、私にあなたのことを託されたんです。」
「イザーク・・・俺の親父か・・・」
 エアドリックはそう呟いてやや哀しそうな表情をした。
「イザークはあなたを守るためにフェリアス家に降って命を落とした。彼だけじゃなく、多くの仲間たちが、あなたのためにフェリアス家の死の追及を被ってきたのです。すべては、あなたを新王にするため・・・それだけのために・・・」
 エイセスは決してエアドリックの未決断を責めているわけではなかった。だが、エアドリックには彼の言葉が次々と胸に突き刺さる。
 今まで何気なしに過ごしてきた日々。親しい盗賊仲間たちが仕事のたびに、あるいは知らぬ間にいなくなっていく。命の危険が盗賊の宿命というのは感じてはいたが、それがエアドリック自身のためだと言われると、心苦しくなる。特に、父ともいえるイザークの記憶はおぼろげになってしまったが、彼の背中にしがみつき、馬を滑走させたある晴れた日。強面だが、どこか優しい雰囲気を持っていた頼もしい人だった気がする。エアドリックは自分の心の底から、なにやら熱いものが込み上がってくるのを感じた。そして、無意識のうちに呟いた。
「俺に--------出来るかよ」
 エイセスは遠望に飛び交うワイバーンを細い目で見つめているエアドリックの横顔に視線を向ける。
「テューダは・・・」
 そんなエアドリックの心境をエイセスは見抜いているかのように言葉を返した。
「お頭とフェリア嬢さんがおります。それに、不才ですがこのエイセスがいるので、大丈夫です。」
 その言葉に、エアドリックは安堵の微笑みを小さく浮かべた。
「そうだな・・・・・・エイセスならば、安心できるよ。・・・なんか、ここにつっかえてたものが取れたって感じがするぜ」
 そう言って胸をさするエアドリック。
「あなたがこの大陸を遍く支配できる日が、とても待ち遠しいです。」
「あはは・・・そう期待は出来ねえかも知れねえぜ。ワイバーン(あいつら)も俺には従わねえかも」
 にやりとするエアドリック。
「従わせて下さいよ、若頭。いや、総領」
 二人は互いに顔を見合わせて清々しそうに笑い合っていた。

ニルト山 シルフロマンの住居

 エアドリックはその日の夜、久しぶりにシルフロマンの元を訪れた。
「親父殿--------」
 迷いがないようなエアドリックの瞳の輝き。シルフロマンはそれだけで彼の決意を察した。
「決意がついたか」
 エアドリックは肯定するように軽く瞳を伏せた。
「これで死んでいった野郎たちも報われるってもんだ。イザークも草葉の陰で笑っていることだろうよ」
「何か、気をもたせちまって・・・」
「はっはっはっは、いいって事よ。おかげでこっちの方も手筈は前よりも完璧に近いくれえ整った。後はおめえの指示一つでいつでも動けるぜ。」
シルフロマンがそう言って笑いながらエアドリックの肩を叩く。
「親父殿、何でもいいが、フェリアス家は半端じゃねえ力持ってんだぜ。探りいれねえでいいのかよ。」
 エアドリックの問いかけにシルフロマンは余裕にも似た笑みを浮かべる。
「こいつはやる気が出てきたようだな。・・・安心しろ、フェリアの奴に探らせるように命令させるからよ。」
「フェリアに?」
 やや不機嫌そうな声を出すエアドリック。
「何でえ、フェリアじゃ不満かい?」
「そう言うわけじゃねえけどさ--------」
「フェリアスの連中倒したらあいつのこと嫁にもらってくれるかい?」
「そう来ると思ったぜ。話逸らすなよ。それよりもあいつで大丈夫なのか?フェリアスの連中にばれたりしねえのか?」
「あいつはこのシルフロマンの一人娘だ。そこら辺のヤワな野郎たちと比べるな。大丈夫だ。あいつなら簡単にいいネタ仕入れてくるぜ。」
「・・・そうか。ならば言うこたあねえけど」
 エアドリックはふうとため息をついて床に腰を落とした。
「ところでエアドリックよ。おめえ、フェリアといがみ合うのはいいが、おめえがフェリアスの連中を倒して総領となりゃあ、今までのように気ままにいかねえぞ。」
「言われなくてもわかってるって」
「あいつを連れて行くにしろいかねえにしろ、一度正面切って話してみろ。このまま喧嘩別れじゃあ、互いに悔いが残ることもあるぜ。」
 シルフロマンの真剣な表情に、エアドリックは反発することは出来なかった。
「あいつをドルノワリアに行かせるのは明日だ。いいな」
 暗に、今晩フェリアの所に行けと、シルフロマンは言っていた。