「なあ兄貴ィ、あっしらいつまでこんな所にいりゃあいいんすかね。」
手製の小さな丸太小屋が居並んでいたテューダの時とはうってかわって、煉瓦や石造りの広く大きな建造物である国境門。その守衛室にぽつんと、肩をすぼめ気味にしているホップスが、隣のアンソニーに声をかける。
「そりゃあおめえ、フェリアス家の残党どもをとっ捕まえるまでに決まってんだろうがよ。兄貴――――いや、総領のいいつけだからな。」
真面目ぶっては見せるアンソニーだが、やはり慣れないのか、言葉や仕種がどこかぎこちない。
「なんか――――落ち着かないっす、こんなところ。」
「ま――――たまにはいいだろ、こういう場所もよ。」
十日ほど前、テュードリア家総領・エアドリックの命を受け、トルディン家領・ベルガルム州界、ドゥルパ関門の守衛に派遣されていた二人であったが、不思議なくらいの平穏な日々に疑問を感じつつも飽き飽きしていた。
極南地方に一大勢力を築き上げてきたフェリアス家が、烏合の徒とも言うべき盗賊団にたった一夜にして滅亡させられてしまったのである。
普通ならば世情が大混乱を来すはずなのに、旧フェリアス領内は平静さが微塵も崩れるようなことはなかった。まるで、何事もなかったかのように、領民たちはいつもと同じ生活を送っている。長年の戦乱によって、人心が麻痺しているだけのことなのだろうか、それとも誰が領主になっても同じだという消極、絶望感が蔓延しているのだろうか。
そんなことは彼ら二人に考える間もなく、ただ何事もない平和な日々に飽き飽きしていた。
そんな時、まばらな往来にまじり、関門に覆面姿の二人連れがおもむろに現れた。
「おっ…兄貴、何かいかにも怪しい奴らがやって来ましたぜ?」
「覆面に防塵服ってか――――。火山の季節じゃねえのに、確かに怪しいな…」
「でも兄貴ィ、もしフェリアスの連中だったら、目立たねえようにするんじゃないっすかね?」
「ん?そうか?」
「わざわざあんな目立つ格好して出歩くもんすかね?あっしらじゃあるまいし…」
ホップスの言葉に一瞬唸るアンソニー。だが…
「ええぃ!どうせ暇なんだ。こうなりゃ片っ端から『取り調べ』してみようじゃねえか。」
「《うざったいっ》て顔してますよ兄貴ィ」
「うるへっ!」
まじまじと顔を見るホップスの額を軽く叩くアンソニー。
やや面倒くさそうに、わざと千鳥足を呈して二人連れの覆面に歩み寄るアンソニーとホップス。
「ちょいと待ちなお二人さん」
首を傾げて二人にガンを飛ばすアンソニー。
「あ、兄貴ィ…それじゃ盗人のまんまです―――」
「おっ…こ、こほん…。えー…あー…ちょっと待ってもらえますかね、おふた…お二方。」
ホップスに指摘され、ややはにかんだアンソニー、慣れない言葉を二人の覆面に投げつける。
「…………」
「…………」
二人の覆面は無言で立ち止まり、身じろぎひとつしない。
「あんた―――いや、あなた方は…これからどちらへ?」
「…………」
覆面は無反応だ。心なしか、動揺しているようにも見える。
「なぜ答えない?」
アンソニーは鋭い視線を交互に突きつける。
「あっ―――兄貴ィ、やっぱ怪しいっす。」
「その《兄貴》って呼ぶのやめいっ!」
「ご、ごめんっす兄貴ィ」
そんな二人のやりとりの隙に、突然、二人連れの覆面はアンソニーたちを突き飛ばして駆け出した。
「うわっ――――おいっ!待ちやがれ、てめえらっ」
尻をさすりながらアンソニーが慌てて立ち上がる。
「あ、怪しいっすっ」
「ばかやろホップ!んな事言わずともわかっとるわ。とっとととっ捕まえろいっ!」
「あいさっ、兄貴ィ」
まるでカンガルーのような跳躍を見せるホップス。よたよたと駆けるアンソニーよりも早く、逃走する覆面を追う。
身軽さを奪う分厚い防塵服を纏っていた覆面の二人は、間もなくあっさりとアンソニーとホップスによって捕縛されてしまった。
「ボケナスがっ、じたばたすんじゃねえよ」
暴れる覆面。だが、防塵服が邪魔をして抵抗力を奪う。手慣れた捌きでアンソニーは覆面二人の手首を縄で縛り上げた。
「さすが兄貴ィ、縄さばきがうまいっす。」
「変なことでほめんな。それよりもホップス、こいつらすぐに兄貴…いや、総領のところへ連れてゆくぞ。」
「完璧っすね。大物ですよ、こいつら。」
ニヤリと笑うホップス。
覆面をされたまま、捕らえられた二人はアンソニー、ホップスに引きずられるように、ドルスティーニ城に連行された。
「あに…いや、総領っ!」
アンソニーが嬉々とした表情でエアドリックの居室のドアを開ける。
「アンソニーか、どうした。」
机で書物を読みふけっていたエアドリックが振り返り気味にアンソニーを見る。
「でっけえ…いや、大物を捕まえました。」
たどたどしく言葉を直すアンソニーに思わず苦笑するエアドリック。
「普通に喋ろアンソニー。らしくねえぞ。」
「あ、ありがとうございやす」
ぺこりと頭を下げるアンソニー。エアドリックは開いていた書物を畳むと、椅子から立ち上がる。
「やはりドゥルパに引っかかったか――――。で、誰がかかった?」
「ヤツら、一丁前に覆面してました。兄貴に見てもらうまでそのままにしてます。」
「ふっ――――わざと怪しい格好して、『灯台もと暗』で通り抜けようとしたのか。バカだな。」
「一瞬見過ごそうかと思いやしたが。まさかヤツらがあんな堂々とした格好で来るとは思いませんでしたんで…」
「単純さが良かったな、アンソニー」
揶揄するエアドリック。照れ笑いをするアンソニー。
「それって誉め言葉すか兄貴?」
「そう、受け取ってくれ。」
エアドリックはアンソニーの肩をぽんと叩くと、居室を出た。
「捕らえた連中は広間だな。」
「はい。ホップスが連れてきているはずです。」
「覆面、外さなかったのか?」
「ええ。まずは兄貴に一番最初に見てもらうために。」
「ふっ―――そんなことで気を遣うな。」
はにかみながらアンソニーの胸を肘で小突くエアドリック。
「すいやせん…」
エアドリックとアンソニーが大広間に姿を見せると、覆面を抑えつけていたホップスが嬉々とした声を発する。
「あっ、兄貴ィ――――やりやしたよっ、こいつらです」
エアドリックはニヤリと笑いながら領主の椅子にどかりと腰を落とす。
「ホップス、ご苦労だったな。アンソニー、二人ともよくやった。」
エアドリックの誉め言葉に純粋に喜ぶ二人。かたや覆面の二人は身じろぎひとつせず、うつむいている。
「よし――――覆面を取れ。」
エアドリックの言葉に、アンソニーとホップスは半ば強引に二人の覆面に手をかける。上体をよじって抵抗を試みる二人。しかし、縄で縛られているためにそれは無駄に終わる。
呆気なく覆面が外れた瞬間、エアドリックの口許にニヤリと嗤いが浮かぶ。
それは若い男女であった。男の方は年こそ若そうだが、ふけ顔、どこか情けなさそうな印象を与え、かたや女の方は目を見張るばかりの美人である。美女と野獣と言うよりも、美女と蠅とでも言うのだろうか。外見だけを見ると、この男にこんな女性など不釣り合いである。
男はエアドリックの方を一瞥した後、悔しそうに項垂れ、女の方は眉毛を逆立てたが、観念したように瞳を伏せている。そんな二人を、エアドリックは蔑むような眼差しで見回していた。
「元気そうじゃねえか、ライアスよ――――」
エアドリックがそう言った瞬間、男はピクリと反応し、反射的にエアドリックを見上げた。
「何、びっくりしてんだ?フェリアス家の『御曹司』が」
「なぜ――――なぜ私の名を……」
ライアスと呼ばれた男はとまどいのためか、震える声と怯えた表情でエアドリックを見ている。
「父親の威勢を借りて、散々好き放題やって来たてめえをしらねえ奴はいねえんだよ。」
「……」
ライアスは言葉をつまらせて再びうつむいた。エアドリックはちらりと女の方に視線を向け、言った。
「てめえの女か――――。家臣領民ほっぽり出して女連れで国外脱出か?相変わらずだなライアス。」
その言葉に不快の表情を浮かべる女。かたや愕然となってエアドリックを見るライアス。
「た、頼むっ!こいつだけには…ラディアだけには手を出さないでくれ。」
何を思ったのかライアス、取り乱したように身を女に寄せる。そんな行動に、エアドリックは嘲笑を浴びせた。
「金と権威に目の眩んだ女なぞに用はねえんだよ。」
その言葉にほっとしたようにため息をつくライアス。
「それよりもてめえ、『山賊』にヘコヘコしやがって、それでも男か?――――全く……イザークもこんな野郎に殺されたかと思うと反吐が出る。」
「盗賊――――?」
ライアスが怪訝そうな顔つきでエアドリックを見る。
「忘れたのかよ。てめえが殺した人間が多すぎて、覚えてもいねえのか。」
「ひ…人を多く殺すなどと……そのようなことはしてはいないっ!」
「なら覚えているだろうが。出頭した俺の親父イザークを棒や鞭でいたぶり、挙げ句の果てには力尽きたイザークを馬車に繋いで市中引きずり回し、ぼろ衣のように殺したことをよ。」
エアドリックの眼差しはいつしか憎悪の色に満ちていた。それでも、冷静に話そうとしている。そんな話を初めて聞いたアンソニーとホップスは愕然となっている。なるほど、エアドリックがフェリアス家残党の捕縛を命じたのは、ひとえに彼の父親であったイザークの仇敵を捕らえるためのものだったのだ。
「あ……あのときの盗賊か―――――!」
思い出したように、ライアスは目を見開く。エアドリックは冷たい眼差しをライアスに突きつけつづけている。
「同じ殺すにしても随分派手にやってくれたじゃねえか。」
「か、家臣領民を騒がせつづけてきた盗賊ではないか。見せしめのつもりだ。他意はない。」
どもりながらそう言うライアスに、エアドリックは口許に嗤いを浮かべて肩を震わす。
「見せしめだと――――。家臣はともかく、娑婆の領民たちはずいぶんと泣きながらイザークの助命を願ったそうじゃねえか。しかもてめえ、他にもそんな理由つけて殺した人間いるって聞いているぞ」
「ば…ばかな。そ、そのようなことなどない。」
「まあ――――てめえの過去など俺にはどうでもいいことだ。ただな、これだけは確実だな。てめえが威を借りたフェリアス家は、てめえが殺したイザークの息子のエアドリック(この俺)によって乗っ取られたこと。そして、てめえの親父イリウスはイシュメリアを離れてはるか遠い海の彼方――――ってな。」
「………」
「耳にタコができるくれえ親父だァ…フェリアスだァと抜かしつづけてきたてめえも、いざその二つが滅ぼされると、我が身可愛さに女連れてこそこそと逃げ出す――――。ご立派な息子を持って、イリウスも幸せもんだな。」
エアドリックの嘲笑に、ライアスの顔面が見る見るうちに紅潮してゆく。怒りか、羞恥か。かたやエアドリックの罵倒に、じっとしていた女が怒りの眼差しをエアドリックに向けた。しかし…
「てめえは黙ってろっ!」
暴言を発しそうな女よりも早く、エアドリックは威圧するように怒号を浴びせる。
「私欲の固まりに、口を挟む権利はない」
そう言われ、女は反論することも出来ず、口を噤んでしまった。エアドリックは冷たい眼差しをライアスに向け直すと、怯えきったネコのようなライアスに向かって言った。
「俺自身は、てめえを殺しても飽きたらねえくれえ、恨みはある。だがな、今俺は三領を支配するテュードリアの当主だ。山賊テューダの時とは訳が違う。今の俺には、仲間の野郎共だけじゃなく、領民のことも考えなければならねえ。」
そんなエアドリックの思いを、ライアスは深慮するはずはなく、『殺したいが、殺さない』という解釈だけにほっとしたような表情をする。
「アンソニー、ホップスッ!」
「へいっ!」
処刑かという言葉を期待するかのように、二人の舎弟の瞳は輝いている。
「この二人の縄を解いてやれ。」
「はっ!?」
意外な言葉に、舎弟は思わず我が耳を疑った。
「いいから、縄を解け」
「だ、だけど兄貴……」
ホップスの不満げな様子に、アンソニーがホップスの肩を叩き、振り返ったホップスに向かって小さく頷いてみせる。
何も言わずにアンソニーの考えを察知したホップスは、渋々と女の手首を縛っていた縄に手をかける。そしてアンソニーもライアスを縛っていた縄をゆっくりとほどく。
枷を外された二人。女は赤く腫れ上がった手首をさすりながら、怒りの表情がなおもおさまらない。かたやライアスは自由にされたことだけに安堵した表情をしている。
「てめえらを殺すのは簡単だ。だがな、てめえらのようなヤツを殺しても何の得にもならねえ。」
フェリアス家が滅亡し、ケルマイヤーを初めとするフェリアス旧臣たちはほとんどエアドリックに帰順した。領民たちも表に出さずとも、フェリアス家滅亡を内心喜んでいた感がある。それは、イリウスの施政、そしてライアスの横暴に心底愛想を尽かしていたからなのだ。だから、フェリアス家が滅亡してしまった以上、イリウスはもちろん、ライアスの消息など、誰ひとり気にかけるものはいなかった。
今や落ちぶれ果てた虚勢の御曹司などを殺しても、これから先、エアドリックそしてテュードリア家に明るい影響が出るとは思えない。元々、無益な殺生など好まないエアドリックが、はなからこの男を殺そうなどと考えていたとは思えない。
エアドリックは両足を高々と振り上げてから勢いよく立ち上がる。そして、ゆっくりとライアスたちの前に歩み、見下ろす。
「威勢を借りていたてめえらが、この先どうやって生きてゆくか、楽しませてもらうのも一興だろう。」
それがどういう意味なのか、ライアスにはエアドリックの意図を知る由はない。ただ、命が助かり、自由になれるという目先のことだけに嬉々としていた。
「助けられたからって、つけあがるんじゃねえぞ。てめえらが支配していた領地の人々は、もう誰ひとりてめえらに同情はしねえ。このまま路上にくたばるか、はい上がってフェリアスを再興させるか、すべてはてめえら次第だ。死ぬ気で生きて見ろ。どん底を味わえば、少しはてめえらも人間らしくなるだろうからな。」
私怨を後回しにしたエアドリックの配慮。いち盗賊でさえ寛容な心を抱いているというのに、大勢力を築き上げてきた貴族の御曹司はずいぶんと情けない。ましてや先行きなど考えてはいない。窮地に立たされ、最後は己の保身に奔った愚昧なる男。その態度はアンソニーとホップスによって城門の外につまみ出されるまで、とうとう変わることはなかった。
「兄貴ィ。本当に処刑しなくてよかったんすか?」
ホップスの疑問に、エアドリックはふっと笑う。
「あんなクズ野郎でもひとつの命だ。俺は基本的に殺生は好かねえ。俺が殺さねえでも、奴に生きる気概がなきゃ勝手に死ぬさ。図太さがありゃ、いずれはい上がってくるだろうよ。ま、どっちにしても、もう俺にとってはどうでもいい奴だ。」
「でも…あの野郎は、イザークのおやじさんの仇っすよ?俺だったら八つ裂きにします」
アンソニーがしかめっ面をして言う。その言葉にもなおエアドリックは余裕に似た微笑みを浮かべている。
「奴を殺してもイザークが生き返ってくるわけじゃねえ。言いかえりゃ、あんな野郎に捕まって殺されたイザークも情けねえ。…それに、いつまでも昔のしがらみにこだわるような奴じゃねえんだよ、俺は。だから、こうしてフェリアスを倒し、テュードリアを興した。すべては明日のためにだ。おめえらもいつまでも昔にこだわんな。テュードリアの一員として、イシュメリア制覇の夢に向かうんだ。それがシルフロマンのおやじ殿やイザーク、エイセスたちの夢でもある。それをしっかりと胸に叩き込んでおけ。わかったな。」
エアドリックの叱咤に、二人の舎弟は大きな声で「へいっ!」と返した。エアドリックは屈託のない笑顔をこの同志に向け、両腕で二人の肩を引き寄せた。