大陸北辺の山間にある王国バトランドは、優駿・勇猛な戦士の産地としてその名をあまねく知られる。商におけるエンドールの繁栄、文化におけるブランカの歴史、どれも遠く及ばない田舎の国とは言われるが、人それぞれに英知に優れており、封建社会の枠を越え、国王から平民の子供に至るまで平等な意識を持ち、人におけるバトランドの和としてぬきんでている。
大陸歴八一一年春――――穏やかな山を初々しい新緑が芽生え、草息吹き、長い冬の名残を見せる残雪の白。中央を流れるガーデンブルグ河に稚魚躍る季節。穏やかで平和な一年の始まりを全員が実感する。創世の逸話伝えられ、森羅万象の凡神・竜帝(マスタードラゴン)の英伝が童謡となりて子供の清らかな唄の音が天空を奏でる。
十八の年から王宮戦士として仕官してより十年。ライアンは着実に出世する同期の仲間たちに取り残され、未だ初級官の地位に甘んじている。決して無能で体裁のあがらない盆暗などではなかったが、要領が悪いというのか、無愛想とでも言うのか、戦士仲間たちからは『朴念仁』などと蔭口を叩かれ、功を立ててもその都度同僚たちにいいところをもって行かれて損をしている。なまじ人がいいのが仇となって、彼を知る人たちをやきもきさせることはもはや日常茶飯事だ。
バトランド城下の酒場『ルスィーダ』の看板娘であるマチルダ。一日の奉仕を終え、平和そうに酒臭い息を吐くライアンにいつもながらあきれ果てたように話しかける。
「また持っていかれちゃったんだ――――ホント、いつになったら『上級士官』になれるのかしらねー」
皮肉たらたらな言葉にも、ライアンは無表情にロックを呷っている。
「そうやっていっつも何もしゃべらないからだめなのよぅ。男なんだからもっとしっかりしたらどうなの?そんなんじゃあ上級士官どころか、伍士(初級士の次)にもなれっこないわよ? ホントに、アルタイの山賊の首領って言ったら、バトランドどころか、ブランカでも2万ゴールドの賞金首がかけられているって言うほどなのよ・・・。せっかくあなたが捕まえたのに、みすみすお仲間に手柄譲るなんて・・・もう、信じられない」
本気で失望のため息をつくマチルダ。二十三歳とは思えないほど、しっかりしている。まるでライアンの姉のような雰囲気でライアンを説教している。
「あなたはばかがつくほど正直よ。・・・まあ、前々からわかっていたことだけどね。・・・でも、もう少し自分のことを考えてよ。このままじゃあ一生、風采が上がらないまま終わってしまうわよ。あなたは初級士どころか上級士官・・・いいえ、ともすれば『将軍』にもなれるくらいの素質があると思うわ。ううん、絶対そうよ」
とぼけた感じの表情をしているライアンに激励の言葉をかけるマチルダ。聞いているのかいないのか。返事の代わりに『はぁ~』とため息をついている
「ちょっとォ、真面目に話してんだからね。聞いてるの?」
カウンターに肘をつき、手のひらに顎を乗せてライアンの顔をのぞき込む。化粧の匂いがふわりとライアンの鼻をくすぐる。そのとき、ライアンはむくりと顔を上げて突然陽気に笑い出した。
「まあ――――いいじゃあないか。この平和な世の中、いたずらに出世して何の意味がある?私は今のままで十分満足しているよ。将軍? はははは・・・そのような高望みは持たぬ。私は私のやりたいように務めに励むだけだ。何事もマイペースが一番、マイペースだっ、あははははは」
普段はこのような笑顔など見せることはないのに、酒が入ると時々たがが外れたように笑い出すときがある。全く、つかみようのない男だ。
「マイペースってのにもね、ほどがあるわよ。あなたはマイペースを通り越して要領が悪いただのお人好し。いつも損ばかりしてるんだから。そんなんじゃ、この先もいいことなんてないわよ。出世するもしないにしても、もちょっと欲を持ったら? 自分のために」
ライアンは忠告のたびにいちいち頷いているようだが、少しも変わらない。本当に脳天気である。
不満たらたらなマチルダをよそに、ライアンは金を払うと酒場を出た。媚びやツケは絶対にしない。物を買うときも値切るなんてことをしない、マチルダが言うように馬鹿がつくほど正直。まあ、そんな裏のない彼は仏頂面をしていても庶民からの人気はすこぶる高い。マチルダもなんだかんだと言いながらもライアンのことが好きなのである。当の本人が彼女の気持ちを知っているかどうかは知る由もないが。
中流官吏の家に生まれ、父を早くになくし、母も数年前に病死。それ以外はこれと言って特筆すべきことはなく、平凡な生活を送ってきた。ただ一つ言えることは、未だ独身ということ。それも本人、全く気にしてはいない。いつものように帰寮し、疲れを癒して寝る。今日も平和な夢を見るのだ。
翌日早朝、ライアンは召集の鐘で起こされた。ようやく外が白みかけてきた時。出仕の時間どころか、路上に人の姿さえも見えない。眠い目をこすりながらも何気なしに外を見ていたら、扉を強く叩く音。
「おいライアンッ。お上からの召集令が下った。緊急事態だ。急げよっ!」
そう言えば妙に廊下が騒がしいな。そんなことを思いながらいつものペースで軍服に着替える。しかし、緊急の召集令となると、食事などは摂れるわけがない。ライアンが廊下に出ると、すでに他の士官たちの姿はなく、しんとなっていた。ライアンはそこでようやく事態に気づき、大急ぎで謁見の間へと向かった。
士官が居並ぶ謁見の間に一番後に駆け込んできたライアンを見る皆の視線は冷たかった。いつものことだが、今日は特に険しい視線を感じる。何やらただならぬ雰囲気にさすがのライアンも思わず身を引く思いがする。
「揃ったか」
ライアンが最後列に並ぶのを確認したケラード主席大臣は、ひとつ咳払いをすると玉座を一瞥して拝礼する。
「このような早朝に呼び立て、諸君には大変申し訳ないと思っている。しかし、緊急事態が発生し、陛下直々のご命令によって招集をかけた。各々、謹んで陛下のお言葉を聞くように」
王宮士官たちは一斉に跪いて拝礼する。暫時の間の後、バトランド国主・フェイル=ヴァトゥ2世がおもむろにお言葉を述べる。
「事は急を要するゆえ、単刀直入に言う」
――――五日ほど前から北バトランドのイムルを中心に、年頃十前後の少年たちが次々と神隠しにあっているという訴えが、子供の両親から立てつづけに知府にもたらされている。
報告によるとこの三日間だけで三十余名の少年たちが失踪しているとのことである。
知府は先頃討滅せしめたアルタイ山賊の残党による犯行とにらみ、衛士二百名を探索に当たらせているが、いずれもいまだ有力な手がかりを得られておらず、急使により国軍近衛隊士の出馬を要請してきた。
余はこの異常事態を重く見、これを独断で受諾した。あらかじめ諸君に相談もなく、突然の話に大いに戸惑っているだろうが、何とかこの不可解な事件を諸君の優秀な力をもって解決して欲しい。
国主のお言葉の後、毅然と名乗りを上げる王宮戦士。
護衛大佐シオン「そのような事態が起こっていたとは存じ上げませんでした。かような事件が真ならば国家の威信、お上のご威光にも関わりかねない重大事でございます。お上のお言葉なくても我々は独断で行動しておりました」
近衛第二隊長レイス「安寧を蝕む不埒な賊ども許すまじっ! 必ずや賊を捕らえ、ご宸襟と人民の不安を払拭する覚悟はとうに出来ております」
近衛隊士リジョ「早速にご命令をお下し下さい。一番手柄、このリジョが得てご覧にいれます」
それにつづいて諸隊士たちの間から次々に喚声が上がる。ライアンだけがじっとしている。何も喋らない。陛下は右手を挙げて喚声を制すと、さらに述べられた。
「皆の思い、予は改めて感服するものである。ならばこれより直ちに探索に乗り出し、蒼氓を安んじよ。部隊編成は行わずにそれぞれの独断で探索し、賊を討て。功を成した者には特に褒賞を取らす」
その綸言に隊士たちは嬉々とし、一層力強く鬨の声をあげた。そして、我先にと謁見の間を退出して行くときに、ライアンはしばらくその場に突っ立っていた。最後の隊士が謁見の間を出て行くのを見て、ようやく踵を返したとき、突然、陛下がライアンを呼び止めた。ライアンはすぐに振り向き、跪く。陛下はひとつ軽い咳払いをすると、ゆっくりとした口調で述べる。
陛下「ライアン。そなたにひとつ尋ねたきことある」
ライアン「ははっ…」
陛下「そなた、こたびの事件をどう思っている」
ライアン「山賊の残党による犯行に間違いはないものと、推察つかまつりまする」
陛下「しかし…烏合の衆たる山賊の残党ごときに我が国手練れの衛士が手をこまねくとは考えられぬのだ。…何かいやな予感がしてのう」
ライアン「それは考え過ぎかと存じます。アルタイ山賊は討伐するのに五ヶ月…でしたか…、かかったほどの手練れ揃いでございます。並の盗賊集団ではなく、おそらく残党はその中でも極めて優秀な者たち。衛士たちが手をこまねくのも無理はないでしょう」
陛下「…ならば、そなたならばどうか」
ライアン「それがしならば、ゆうに一年はかかりましょう」
そうあっさりと答えるライアン。陛下は一瞬、驚いたような表情をされ、次ににやりと笑った。
「それはまた随分と悠長なことよの……まあ、そなたらしいと言えば、そなたらしい」
「恐れ入りまする…」
「ライアン、そなたには特に全権を委任し、単独で行動してもらうことにする。他部隊に構わず、自由に捜索に当たってくれ」
陛下のお言葉に、ライアンは特に驚きもせず、拝礼する。それはライアンのように泰然自若とした士こそ、有事に対し冷静に対処できると睨んだのだ。陛下の先見の明が的を射ることになろうとは、この時は誰も予想だにしなかったのである。