第1章 王宮の戦士たち

歴戦の雄も凶事の魁帥を討つこと能わず先陣に斃れ
終末の四海に光明齎す勇者ありきを武公に言伝る事

 イムルの村に戻ったライアンたちを見る村人たちは恐怖と不安に震えていた。
 王宮戦士が魔物を従えていることに奇異と失望を感じ得ざること。
「ひぇっ! ま、魔物を泊めるわけにはいきませんっ……ど、どうかお許しを」
 世話になっている宿屋の主人さえも顔を真っ青にする。
「何を申すか。このホイミンは長にわたって古井戸にあり、子供らの身の安全を陰ながら見守ってきたのだ。人間にも悪しき者あるように、魔物にも善良なる者あり。それが解らぬか」
 英武公真記に、ホイミンは次のように追懐している。

       啓蟄の市井未だ情(こころ)、隔たりて
       異種の躬(み)なれば大いに哀しきことなり
       武公有難くも卑賤の躬善く護り賜り
       民情悉(ことごと)く安んじる
       懐(おも)わば吾よろしく蒼生の末端にあり得たるは
       実に武公を以てしかるべきことなり

「そう言えば、うちの息子は突然目の前から消えるようにいなくなったんです」
「ああ、そう言えばそんな感じの靴を息子は持っていたな。どこから拾ってきたんだか……」
「うちのガキも持ってやがった。とーちゃんどうだ、きれいな靴だろーとかはしゃいでたぜ」
 知府館前に集まっていた子供の親たちの前で、ライアンはホイミンと共にその靴についての手がかりを訊ねていた。親たちは一様に見覚えがあるという。どうやら一足ばかりではなく子供達に行き渡っている節があった。
「これが賊の仕業とすると実に手の込んだ真似をするものだな」
「ライアンさま……」
 人波に慣れていないホイミンはしっかりとライアンに掴まっている。
「しかしこの靴は私には小さすぎる……さて……」
 不意にホイミンを見るライアン。瞬時に閃いた。
「ワルツ知府事、後はよしなに」
 首を傾げる知府事と親たち。ライアンはホイミンの頭を二、三度撫でると、その靴を差し出した。
「そなたならば履けるであろう。賊を討つためだ。良いな」
「ライアンさま……はい」
 ホイミンはその靴を余っている自由な足にはめてゆく。淡い青白い輝きが、徐々に強くなって行く。
 そして、はきおえた瞬間、それは起こった。
「うわっ!」
「きゃっ!」
 一瞬の出来事だったと、人々は言う。屈強な王宮戦士と、見目奇怪な多足の魔物の姿が、光芒にかき消されるようにいなくなってしまったと。光跡は弧を描きながら西方へ伸びていった。

 すう――――と、ライアンとホイミンはそこに降り立った。
 古いというか、実に年季の入った建造物の中だった。風が強いのか、ごうごうという唸りが時折響き、心なしか頑丈な石床が揺れる感じがする。
「ここは――――」
 ライアンはゆっくりと歩を進め、光が差す方へと歩く。石壁の窓から見下ろす風景は、さも風光明媚とばかりの美しい湖畔の景色だった。遠くにアルタイ山嶺を望み、遠くバトランドの城下を霞の中に見て取れる。
「もしや……湖の塔か」
 世戦時代に砦として築かれたというこの塔も、近代はバトランド王国きっての観光名所となっていた。しかし近年、魔物たちが凶悪化してからというもの、寄る者もなく、荒廃の一途をたどっているという。
「なるほど。確かにここならば、賊の格好の拠点となるな」
「ライアンさまっ、誰かが来ます」
 ホイミンが声を上げた。階下から下卑な笑い声がする。
「またどこかのガキが網にかかったぜ」
「珍しい光り物に弱いのは女とガキか。アシペンサさまも悪知恵が働くぜ全く」
「さぁてと、さっそく獲物拝見かな」
 そしてライアンたちの前に姿を現したのは、弓を操るリリパットと、ベビーマジシャンの魔物たちであった。二体の魔物は、眼前に立つ屈強な戦士と、同類の姿に驚いた様子だった。
「な、何だオマエはっ! ん――――その格好、ははぁん、さてはオマエ、バトランドの王宮戦士だな」
 リリパットがにやりと嗤う。
「こいつ、どこから入ってきたんだ? まさかあの空飛ぶ靴使った訳じゃないだろ」
 ベビーマジシャンが怪訝な表情をする。
「んなことどうだっていいさ。……おい、そこのホイミスライム。ちょうどいいぜ。これからこのへっぽこ戦士片づけるから援護してくれや」
 リリパットがホイミンに向かってそんなことを言う。
「ほんじゃ、ま、ぱぱっとな」
 リリパットが矢をつがえる。ベビーマジシャンもライアンを取り囲むようにふわふわと移動した。
「…………」
「…………」
 無言のライアンとホイミン。視線を数度重ねて身構える。
「ヒャド――――!」
 ベビーマジシャンが呪文を唱えた。小さな杖の先から、氷の刃がライアンめがけて襲いかかる。
「くっ――――」
 直撃を避けたが頬をかすめた。赤い筋が走る。しかし、間を置かずにリリパットが不敵に嗤い、つがえた弓矢を放ったのだ。
「死ねっ、くそ戦士」

 ぐさ――――

 弓矢はライアンの左臂に命中した。鉄の盾を落とし片膝を突くライアン。
「くはははっ! 他愛もねえやこいつ。この前片づけた王宮戦士の方がまだ手応えあったよな」
 リリパットが得意げにライアンに近づく。
「さぁ、死んでちょーだい」
 ベビーマジシャンが再び呪文を唱えようとしたそのときだった。
「ホイミ――――ッ!」
 甲高い声と共に、ホイミンが呪文を唱えた。驚いたのはライアンを倒したはずの二体の魔物。
「お、おいオマエ、何を――――ぐわっ!」
 問い詰める暇もなく、リリパットはライアンの剣によって両断されてしまっていた。
「わわっ、ほ……ホイミスライムが裏切ったっ―――――わぁぁぁぁ!」
 逃走を図ったベビーマジシャン哀れ、背後から胸を貫かれて瞬殺されたのである。
「よもやホイミンが私の仲間とは露程にも思うまい」
 暗黙の作戦は見事功を奏した。だが、ホイミンは哀しそうにつぶらな瞳を伏せる。
「僕は……僕は裏切り者なんかじゃない……。おまえたちが……おまえたちが人間にこんな事するから……だから僕たちは…………それに……」
 ぷるぷると頭をふるわせるホイミンを、ライアンはそっと撫でた。
「ライアンさま……」
「ホイミン。私はそなたは間違っていないと思う。たとえこたびの事件の首謀が魔物だろうと、人間であったとしても、私は同じく成敗するであろう。それに、もしもこのリリパットやベビーマジシャンが、そなたと同じ志を抱いているとするならば、私はそなたと同じように迎えたはずだろう」
 ライアンの気遣いが、ホイミンにとって何よりも心の癒しとなった。
 気が張る探索下にあって、ライアン自身もホイミンという風変わりな魔物の存在が、自然な心の癒しとなっていた。戦士の礼節も、堅苦しい見栄も、ホイミンを見ると不思議に忘れてしまうときがある。
 ホイミンはふざけて多足をライアンに絡め、ライアンは大笑しながらホイミンの無邪気さに惹かれてゆく。

       冀望叶いて蒼生たらん時は
       女性の躬と成し武公に遇わんと欲す

 もしも願いが叶って人間になれるとするならば、どうか女性となっていつかライアンに巡り逢いたい。
 真記にホイミンは、心優しいライアンに恋に似た感情を抱いていたことを述懐している。

 塔の中は今までに遭ったことのない魔物の坩堝だった。リリパット・ベビーマジシャンを始め、おおにわとり、ピクシー、ダックスビルなど、さすがに手こずる相手が手ぐすねを引いて待ち受けていたのだ。
 ライアンも汗を弾かせながら階下へと突き進む。援護するホイミンも魔物たちの攻撃をよくかわしながら、呪文の唱える頻度も高くなる。
 やがて塔の1階へたどり着いたとき、ライアンとホイミンは、剣戈喊声合い交える音響に愕然となった。
「この喊声は――――!」
 ライアンは瞬間、駆け出していた。
「あっ、ライアンさまっ!」
 通路をよく駆け抜けること数分。閉鎖された空間にあって、大声は遠くからでもはっきりと聞こえた。魔物の斃れる、断末魔の叫び。そして、人間の斃れる悲鳴も……。
 一体、二体と、魔物は倒れてゆく。しかし、人間の方もまた、同じ数だけ倒されていた。
「バトランド王宮戦士、ライアンであるッ!」
 最後の曲路を抜けた瞬間、ライアンは声を張り上げてそう名乗った。
 そして眼前に立つ、見慣れた戦士の姿が、はっきりとライアンを捉えたのである。
「リウラル将軍ッ」
「おお、ライアン来たか――――」
 バトランド王宮近衛隊上将軍・リウラル――――。
 子供達から英雄視され、理想の職業とされている、バトランド王宮戦士の事実上の総隊長の地位にある近衛上将軍。
 リウラルは三十三歳という若さにしてその地位に昇進した文武両道のエリート戦士ながら、四年たった今でも、最下級の戦士たちに及ぶまで気遣いを忘れず、気さくで明るい人柄、若い者たちからは何でも相談できる兄貴的存在として絶大な支持を受けている、まさに王宮戦士の鑑たる大人であった。
「遅かったなライアン……おまえが真っ先にここにたどり着くだろうと思っていたのに……」
 にやりと笑いながら、リウラルは最後に残ったピクシーを斬り捨て、自身もゆっくりと、討ち死にした同朋たちの上に重なるように崩れ落ちた。
「リウラル将軍――――!」
 ライアンは剣を放り投げる勢いでリウラルを抱き起こす。
 すでに生気を失いつつあるリウラル。ホイミンの呪文でもおそらく助かるまい。
「アルタイ山賊を平定し、歴戦の雄と評された“バトランド随一の戦士”の末期だ。ライアン、看取ってくれるのがお前で……リウラル最後に運を拾ったな」
「何を弱気なことをっ。将軍はこのようなところで終わるお方ではございません」
「くっ――――ライアン。よく聞け……。近頃、外界を彷徨う魔物どもが……異常に活発となり、力をつけてきている気がするのだ」
 それは、ライアン自身も気がついていた。本来大人しいはずのスライムや大みみずなどが凶暴化し、人間族をはばかるはずのひとつ目族の魔物も、攻撃してくるようになった。
 何かが、おかしくなってきている。旅をしていて、漠然とそう思うようになっていたことが、皆にも知りうることとなってきていると言うことなのだろうか。
「魔物どもの真の狙いは解らぬ……。ただ……」
「ただ――――ただ、何です」
「魔物どもは――――」
 しかし、将軍の生命は確実に終わりの時を迎えようとしていた。息も絶え絶えに、力を振りしぼり伝える。
「この四海の何処かに――――闇を討つ勇者、生まれつつありと。子供達の罹災は……勇者を抹殺せんがための、魔族の手段――――」
「ゆ……勇者――――闇を討つ、勇者…………」
 将軍はがしとライアンの胸座をつかみ、力強く言った。
「私に代わりて賊を斬れライアン。……そして、願わくばその勇者を魔族の凶刃に掛けてはならぬ……」
「将軍…………」
 ライアンはしっかりとリウラルの手を握りしめる。
「何と思われようが、お前はこのリウラルの生涯において最高の部下であったぞ――――」
 その言葉と、微笑みを最後にバトランドの勇将は息を引き取った。
 ライアンは将軍の躯をそっと横たえ、羽織っていたマントを外し、掛けた。そして、近衛兵最高の儀礼をもってその魂を見送った。
「リウラル将軍、共に賊を討ち果たしましょうぞ」
 ライアンは将軍が握りしめていた、一振りの剣を手に取った。それは、『破邪の剣』と呼ばれる、魔力を秘めし名うての名剣であった。
「ホイミン、敵はそこにある。行くぞ」
「は……はいっ、ライアンさまっ!」
 戸惑いが気味に、ホイミンはライアンの後に従った。