地下室へ下る階段からは、すでに不敵な笑い声が響き渡っていた。今回の事件の首魁は、リウラル将軍の言葉通り、そこにあった。
大目玉という魔物を付き従えたその者は、幼児誘拐という大それた犯罪グループの長とはイメージが異なるほどの小男であった。
「このやろうっ、ここから出せ、出しやがれっ」
元気の良い少年の怒号が響き渡る。
「やかましい子供もいたものですね。久しぶりですよ、お前のような生きのいい子供は」
小男がにやにやしながら怒声を絶え間なく張り上げる少年が収監されているであろう鉄格子に近づく。
「おいらはイムルの宿屋テイルの息子グプタだッ! 勇者なわけないだろっ、出せ、出しやがれ魔物めっ!」
小男は格子越しに少年の瞳をじっと見ると、卑猥に笑い、そっぽを向いた。そして、大目玉たちに向かって言う。
「このガキがピサロ様が案じられる勇者かも知れないねえ。ふふふっ、後で料理しましょう。生きのいい人間の子供の肉なんて久しぶり。しかも勇者と来れば、魔界垂涎の上肉だよ」
卑劣な笑いに、大目玉たちも文字通り目の色を変えて嗤っている。
「時は来た。……ホイミン、覚悟はいいか」
破邪の剣を構えるライアン。その背中に身を寄せていたホイミンが、大きな瞳をぴょこりと覗かせ前を窺う。
「はいライアンさま」
「よし――――」
間合いを計っていたライアンが息を整えると、気合いを込めて颯然と飛び出し、間髪入れずに破邪の剣をを薙ぎ払った。
大目玉たちは、その驚異的な切れ味の下、驚く暇もなく胴から真っ二つにされてしまった。
「な、何やつっ」
小男は愕然として振り返る。大目玉の死骸を踏みしめて、ライアンが強い視線で睨み付けていた。
「お、王宮戦士ですか。さ、先ほどの戦士の仲間ですね……」
小男はわずかに兢々としながらも、安心したかのように不敵な嗤いを浮かべてライアンを見る。
「貴様が子供たちを攫い続けている賊の首魁か」
「ピサロ様第一の腹心、アシペンサ様とは私のこと。この名、そなた地獄に響かせてくださいな。あの愚かな戦士と共に」
アシペンサは嗤っていた。
「どうやら、貴様だけはイムルの広場に続いて、バトランドの城門に梟首しなけばならないようだ」
「さて――――そううまく行きますかね」
鉄格子からゆっくり離れたアシペンサは、魔樫樹の杖を手に、ゆっくりとライアンに対峙した。その余裕さが逆に不気味である。
しかし、アシペンサは隙だらけであった。ライアンは喚声を上げると破邪の剣を振りかざして斬りつける。
ザクッ……
肉を断つ鈍い音とともに、確かな手応えを感じたライアン。牢に閉じこめられている子供たちから歓声が上がる。
「やったか――――」
しかし、一瞬の静寂の後、再び不気味な嗤いが聞こえてきた。
「なるほど……あの戦士よりは多少やるようですね」
「な……なにッ!」
傷つけたはずのアシペンサが平然とそこに立っている。
「しかし、それではこのアシペンサ様を殺すどころか、捕らえることすら出来ませんね」
そう言うと、アシペンサはゆっくりと魔樫樹の杖を天に掲げた。
「メラ―――――ッ」
呪文を唱えると、杖の先がぽうと赤くなり、小さな火の玉となってライアンを襲った。
「くぁっ……呪文か――――」
メラの呪文は鉄の鎧を直撃した。弱い呪文だとは言え、あまり魔法戦に慣れていないバトランド王宮戦士にとっては痛手である。衝撃に一瞬怯むライアン。
「このアシペンサ様は魔族の中でも極めて優しいことで知られているのです。ここでそなた大人しく引き下がれば命だけは助けてあげましょう」
「ほう――――ならば私も忠告しよう。そこに閉じこめられているイムルの子供たちをすべて解き放ち、この地より去るというのならば、武人の名にかけてそなたを見逃そう」
ライアンの言葉に、アシペンサは肩を震わせて大笑する。
「そなたに選択の余地はないぞ。このアシペンサ様の言葉に従うか、あの戦士のようにこの場所で死ぬるか」
「貴様ら……何が目的か」
「そなたのような者には関係のないこと」
高慢な態度を取りつづけるアシペンサ。ライアンはゆっくりと剣を構え直し、ひと呼吸を置いてから呟いた。
「勇者なら私が知りうる」
「ん――――?」
アシペンサの眦がぴくりと揺れた。その瞬間をライアンは見逃さなかった。
「やああぁぁぁぁ――――――――ッ!」
跳躍一閃、破邪の剣は見事な弧を描き、アシペンサの左腕を断ち切った。どさりと腕が落ち、魔樫樹の杖が転がる。
「ぎゃああぁぁぁぁっっっ――――――!」
身の毛もよだつ叫喚が塔内に響いてゆく。子供たちは恐怖におののき、身を竦めている。
「凶賊め、王宮戦士を甘く見たようだな」
ライアンがすくと破邪の剣をアシペンサに突きつける。
「ぐぐっ……おのれ――――」
アシペンサは身をねじりうつ伏せになった。
しばらく様子を見ていたライアン。片腕を落とされ反撃する気力を失ったかのように、アシペンサはじっとしている。
「観念したか。大人しくしておれば――――」
剣先を突きつけたままアシペンサに近づくライアン。
しかし…………。
ぼうっ―――――!
ライアンの視界が一瞬、激しい黄色の閃光に包まれた。そして、直後皮膚の焼ける嫌な臭いが立ちこめた。
「ふははははっ、かかりましたね」
アシペンサは振り向きざまにライアンの顔めがけて火の玉を吐いたのだ。直撃は免れたものの、顔の左側を火傷してしまった。痛みのため左目が開かない。衝撃のために右目もぼやけてしまう。
何とか視界の焦点が定まり、敵の姿を追う。
「よくもこのアシペンサ様の腕を――――。許せません。この代償は高くつきますよ――――」
アシペンサは鉄格子の前に立っていた。
「き、貴様何を――――」
「この人間のガキどもにはすべて死んでもらいます。私の火の玉を浴びて、苦しみながらね」
泣き叫ぶ子供たち。
「ははははっ、恨むならばこの戦士を恨みなさい。私をこんな目に遭わせたこの男をね」
アシペンサはゆっくりと息を吸った。炎を体内にためる。
「やっ……やめろ――――――――っ」
その時だった。
ライアンの横を青い物体が颯然と通り過ぎ、次の瞬間、アシペンサの吐きだした火の玉は、鉄格子とは正反対の石壁に飛び、霧散していた。
「ライアンさまっ――――ホイミ――――ッ!」
何とホイミンはアシペンサの背後から抱きつくようにその足を絡めていた。自由を失ったアシペンサは転倒し、運良く吐きだした火の玉が安全な方へと飛び散っていったのだった。そして同時に唱えた回復呪文は、ライアンの火傷を癒し、自然の気を受け疲労を癒した。
「ライアンさま――――!」
ホイミンの叫びと同時に、ライアンは間髪入れずにアシペンサに飛び掛かり、破邪の剣をその胸部に深々と突き刺したのである。
「ぐぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ―――――!」
さしものアシペンサも、急所を貫かれては一巻の終わり。言葉を残す暇もなく動かなくなってしまった。
「ホイミン、よくやってくれた」
ライアンがホイミンの頭を撫でる。
「えへへ、ほめられました。ライアンさまにほめられたの、何度めかな」
ホイミンは足の一本で頭を掻きながら照れている。助けられた子供たちが、珍しそうにホイミンを取り囲んでいる。
「ホイミンがいなかったら、私はもちろん、君たちは悪い魔物たちに食べられてしまっていたかも知れないんだ。みんな、ホイミンに感謝するんだぞ」
ライアンは自ら進んでホイミンの功績を称えた。純粋な子供たちは、ライアンの言葉の持つ意味も受け入れることが出来た。
アシペンサ・大目玉を首魁とする一連の魔物たちの起こした事件を別にして、人間に協力した魔物の存在が、子供たちにとっては大きな意味を持っている。『魔物はすべて悪』と言われ続けてきた彼らにとっては……。
だからこそホイミンも、その子供たちとすぐに打ち解けられたことは言うまでもない。
「さ――――子供たちはすぐに塔を出るんだ。バトランドの近衛隊が駆けつけてくれるはず」
宿屋の息子グプタという少年はいわばガキ大将のような存在だったのだろう。匪賊の首魁に完全と反抗したその胆力は伊達ではなかった。四十名弱の子供たちを統率してライアンの言う通りにしてくれた。
「さ――――ホイミン、行くか」
「はい、ライアンさま」
真記にライアンが痛悔の念に囚われた場面。
階段を上ろうとしたときだった。残存の邪気にライアン自身が気づいたときはすでに時、遅し。
――――ギラ――――
死骸――――いや、正確には虫の息を残していたアシペンサが、最期の力で放った呪文だった。それは、メラなどよりも強力な炎。完全に背を向けていたライアンが直撃すれば、どうなるかわからない。
だが、その炎がライアンを撃つことはなかった。
振り返ったとき、そこには焼け焦げたホイミスライムが一匹、倒れていたからだった。
ただ偏に武公を護り通ずことなれば
吾天啓に従いまた四精霊の導きを乞い
生残如何にして拘ることあろうや
ただ不忌に臨みて竜主大賢に願賜うは
武公大いに天孫を佐けて
魔王を地に封ず事のみなり
アシペンサはライアンが振りかざした破邪の剣の魔力によって、塵芥と化していたという。