第1章 王宮の戦士たち

ライアン 旅帥の昇進を拝辞し朋友を悼み
天運大いに北星を導き武公故国を発つこと

 子供たちはリウラル将軍が派遣していた後続部隊によって無事イムルに帰り、両親との再会を果たした。
 誰もが王宮戦士ライアンの功業を賞讃して止まず、ワルツ知府事も自ら出府してライアンの功を上奏せんと欲した。
 リウラル将軍の後任となったラファエル将軍が部隊を率い、湖の塔に乗り込んで匪賊の残党を征伐した。
 ライアンが賊徒を討って十日余りが過ぎた。
 時の英雄・ライアンは未だイムルの村にあった。後処理を同胞に任せ、半ば引きこもるように、グプタの宿で無為に過ごしている。
「ライアン様、よろしいですか」
 グプタの父テイルが部屋をノックする。気のない返事を返すライアン。良し悪しを答える前に、ドアががちゃりと開いた。
「ライアン殿」
 アウルであった。怒りの形相でベッドに臥しているライアンへ詰め寄る。
「このようなところで何をなされておられますかライアン殿。陛下に戦果をご報告奉られよ」
「良い…………アウル大佐、そなたの手柄とされよ。私は思うところ有り、出府に及ばざること、重ねてご奏上してくれ」
 アウルの顔も見ずに、ライアンは言った。するとアウルはあからさまに大きなため息をつき、失望まじりに返した。
「お断り申し上げます。此度の戦果、拉致された少年たちは無事なれど、近衛隊はリウラル将軍を失い、多くの負傷者を出し申した。その賊を討ったのはライアン殿であること、すでに周知の大功であるからには、これすなわち他人に譲ること陛下がお許しになることあらず、また近衛隊諸将も同様と聞き及びます」
「そなたの言いたきことは重々承知している。しかし、此度のこと、私ひとりの功にあらず。飄々として陛下の報恩に預かることは出来ぬ」
「何と言われるか」
 驚くアウル。ライアンは寂しそうに長いため息をつくと、ゆっくりと顔を上げ、アウルを見た。
「そなた、我が想いを慮る事が出来るか」
「想い……ですか」
「先例や偏見にとらわれた者の耳には聞き届かぬことだ。若きそなたならばと思ったのだが……」
 アウルは一瞬考え込むようにうつむき、やがて毅然とライアンを見る。
「わかりました。このアウル、ライアン殿を敬慕し近衛の一員となった者。少しでもライアン殿の大志に近づけるのならば……」
「その言葉に、偽りはないな」
 士に二言はないと語気を強くするアウル。その言葉を信じて、ライアンは語った。

 村外れの古井戸に潜めていた一匹の魔物。一見愛らしく、そして見様禍々しきその姿。子供のように純粋な双眸に、古の英雄さえも懐かなかった大志。
 ライアンがもしも功に焦る将士であったとするならば、きっと巡り会えず、そして偏見の下に斬り捨てていただろう。
 バトランド王祖が創設された孤高の王宮戦士千余年の歴史において、戦傷の治癒がウィークポイントだった。
 だが、たった一匹の魔物の存在が、それを簡単に補い、ライアンを大功に導いたのだ。
 浮かなかった。決して望まぬ事とは言え結果的に、ライアンは朋友を犠牲にして得た功だった。

「そのホイミンという者、ライアン殿に巡り会えて幸せであったでしょう」
「そうであろうか――――」
 なおも肩を落とすライアン。アウルは小さく微笑むと、言った。
「私にはわかりますよ。ライアン殿だからこそ――――です」
「……アウル大佐?」
 言って照れたのか、アウルはわずかに顔を赤くして頭を掻いた。
「ははははっ。それよりもライアン殿、陛下に奏上致しましょう。もちろん、ホイミンという者の功も重ねてです」
「アウル大佐、それで良いのだろうか」
「不肖、アウルも非力ながらお力添え致しますゆえ」
 するとライアンは感極まって涙に噎んだ。
「すまぬ…………迷惑を掛ける……」
「ライアン殿っ、大功を挙げられた方が泣かれてはいけませぬぞ」

 バトランド城下は、もっぱら英雄の帰還に沸き立っていた。
 ライアンを知る者は、誰もが意外な人物が武功を挙げたことに驚き、そして敬拝する。
「ライアンさんッ、やったじゃないっ」
 マチルダだった。彼女は親しげにライアンに駆け寄り、腕に手を回し、その目を見つめる。
「びっくりしたわよ。まさか――――ううん、やっぱりあなたはただの人じゃなかったのね――――きっと、きっといつかは誰もがびっくりしちゃうような大きな事成し遂げてしまう気がしたもの……」
 マチルダの瞳は潤んでいた。
「ねえライアンさん…………あたしね……」
 すっと、ライアンがマチルダの手に手を重ねて、そっと離した。
「ライアン…………」
「まだだよ――――マチルダ。私は……まだ――――」
 ライアンはそう囁くと、小さく微笑み、歩き出した。
「ライアン――――…………」
 後ろ姿を見つめ続けるマチルダ。ライアンはすっと右手を掲げて、無言で彼女に何かを伝えた。

 バトランド清武王・ヴァトゥ2世、ケラード主席大臣以下文武諸官が、ライアンを迎えた。
 宮廷としてはアルタイ山賊の起こした事件から、幼児連続失踪の凶悪事件へと発展し、さらに匪賊討伐隊を指揮していたリウラル将軍を失ったことから、強兵王国の権威存亡を懸けた戦いだったので、ライアンの挙げた功績は、言わずもがな国家第一等の大勲と言えた。
「ライアン。そなたを信じた余の目は節穴ではなかったようじゃ。人臣を代表して礼を申すぞ」
 陛下が玉座を立ち、拝礼した。王が玉座を立って戦士に拝礼するのは極めて異例なことである。
「もったいなき仰せにございます陛下。このたびのこと、我がバトランドと陛下のご威光によって賊を討つことが適いました。志半ばで仆れられたリウラル前将軍以下勇士諸君も、必ずや満足されていることと思いまする」
「リウラルは良将であった。喪ったのは残念じゃが、将軍も武人としての生涯に悔いは無かろう。妻子には大いなる酬いをもってしかるべし」
 陛下の御裁量によって、リウラル将軍の家族には大いに恩情が与えられ、遺児に近衛士官の道が開かれることとなった。
 また、同じく散っていった士官たちにも、格別なる恩情が与えられたのである。
「……さて、最後にライアン、そなたじゃ」
 陛下がライアンを見る。ライアンはじっと跪き、陛下のお言葉を受けている。ケラード大臣が、ゆっくりと詔書を読み上げた。
「何はともあれ、こたびの大功、そなたをもって第一と成し、然るべき官職をして忠に報いること。よって、ライアンを中師衛団少将軍となし、俸禄を三〇〇〇ゴールドに昇格すべきこと――――」
 中師衛団・少将軍――――。王宮近衛隊の中でも、もっとも格式の高い部隊として、諸外国にも知られている師団であり、武勇はもとより、礼節においても高評に値され、名実共にバトランド王宮戦士のエリート部隊と言える。
 少将軍といえば一〇〇余名の兵を指揮できる部隊長。リウラルが就いていた近衛上将軍と肩を並べる地位。
 一介の並戦士だったライアンにとって、それは有史以来始まっての大出世と言えた。そして、今まで一五〇ゴールドの俸禄だったのが一挙に二〇倍に膨れあがれば、もはや言葉にするまでもなかった。
「陛下――――」
 言葉をじっと受けていたライアンが、不意に口を開く。ひどく冷静に、真っ直ぐとした眼差しを陛下に向ける。
「いかがしたライアン。不服か」
「いえ――――身に余りすぎるほどの光栄なるご処遇、このライアン、実に、実に恐れ入りたてまつりまする。……されど――――」
「…………」
 陛下はライアンの様子にただならぬ事を察知られていた。
「不肖ライアン。最後の御願いに参上つかまつりまする」
「何と、ライアン。そなたまた他の者に手柄を譲ると申すのか」
 ケラード大臣が呆れたように言う。
「左様です大臣殿。……陛下、こたびの功、このライアンひとりの力では如何ともしがたきものでございました――――」
 ライアンは包み隠すことなく、ホイミンという魔物の存在を奏上した。
 そして、武功はすべてホイミンにあることを申し述べた上で、こう申し上げた。

 ――――魔物も人間も、悪しき者あれば、善なる者あり。
 願わくば、陛下御自らが魔物を悪しき者と言う概念を捨て去り賜いて、理解を求めたい。
 時はかかれども、後世、人間と魔物の間に刻まれし溝、埋まること期待すること甚だし

「わかった。……ライアン――――そなたの言葉、余は心深く刻みおこう。そしてホイミンの名、決して忘れることはないであろう」
「ははっ――――」
 陛下のお言葉に、ライアンは深く胸打たれる思いであったという。
「重ねて陛下――――、願わくば今ひとつ、ライアンの願い、お聞き届け頂きとうございます」
「おお、何なりと申せ」
「はっ――――――――」

 …………
 …………

「行かれますか、ライアン殿」
「ああ、世話になったなアレクス」
 早朝、バトランド城下の街道に、ライアンは旅装で立っていた。文官服を纏ったアレクスが、寂しそうにライアンを見送るために立っていた。
「聞きましたよ。こたびの大功も、他人に譲られたとか――――」
「はははっ、もう伝わっていたのか。噂とはげに恐ろしきものだな」
 ライアンが照れ笑いを浮かべる。
「だが、こたびは心の底から譲れる功――――いや、元々私ではなく、その者が成した功だったからかな」
「…………」
「ははははっ。多くは語るまい。――――ん、そろそろ行くか。城下の者たちが目覚める前に発ちたいゆえ」
 荷物を持ち直すライアン。ゆっくりと一歩を踏み出すライアンを思わずアレクスが呼び止めた。
「ライアン殿――――お帰りは……何時に……」
 ライアンは小さく微笑みを浮かべると、一度暁に染まるアルタイの山裾を見上げて、言った。
「そうだな。我が天命――――果たし得たとき――――か、も知れぬな」
 ライアンは笑った。そして
「フレア殿を泣かせるなよ、アレクス」
 その言葉を残して、ライアンは歩き出した。やがてはっと見上げたアレクス。
「ライアン殿――――フレアが――――…………」
 しかし、その言葉は、遠ざかったライアンに届くことはなかった。

 アルタイの山麓。
 険難たる山嶺を越えるライアンにとって、その道はこれから待ち受ける過酷な旅路を象徴するかのようであった。
「さあ――――――――て。行くか」

 その時だった。
 獣道を囲む大木の陰から、ひょこりと覗かせる青い影。
 それは奥に連なる木陰から、数え切れない程にあった。
 ライアンは驚かなかった。むしろ、嬉しさに目蓋の奥がじわりと熱くなるのを感じた。
「ホイミン――――」

 ――――ありがとう
     ありがとう戦士ライアンさま
     ホイミンを助けてくれて
     ありがとう
     ホイミンの受けた恩はぼく達の恩
     ライアンさまをたすけて
     ライアンさまをまもって
     ホイミンの願い
     ぼくたちの願い
     ありがとう
     ありがとう戦士ライアンさま――――

 歌はライアンを包むように、いつまでも続いてゆく。
 そして旅だった王宮戦士の足跡と共に、涙の跡が、すうっと消えていった。

第1章 王宮の戦士たち