第2章 おてんば姫の冒険


カルタス 捨身を以て恋路の聖道を見出しニーナを護り
 アリーナ 国情を識らず大いに恥じ、身を井蛙に擬すこと

「え、逃げた?」
「え、ええ……」
 怪訝な面持ちでアリーナは戸惑うクリフトを見る。
「クリフトよ、お主わしらの知らぬ間にこの地で何をしておったのじゃ?」
 ブライの言葉の意味を少しの間追っていたクリフトが、みるみるうちに顔を真っ赤にして反論する。
「ブ、ブ、ブ、ブ、ブライ様ッ! へ、へ、へ、変な冗談を言うのはおやめ下さいっ!」
「え、え? 何のことブライ、クリフト?」
 きょとんとするアリーナ。クリフトはアリーナと視線が合うと、ぶんぶんと首を横に振る。からかわれてひとり騒動と言ったところであろうか。
「しかしこの村……以前はもっと活気づいていたはずじゃ。それに、この真新しい墓標群。逃げていったという婦人……ただ事ではあるまい」
 首をひねるブライ。
「そ、そうだブライ様。村長のカラックさんを訪ね、事の子細を聞かれてはいかがですか」
 クリフトの提言に、ブライははっとなった。
「おお、カラック殿は確かお主の――――」
「はい……ですが、過去に諸々の事情がありまして――――はい……」
 言葉を詰まらすクリフト。
「判っておるわ。……姫、わしらはこの先、危殆を避けるために、王家の者という身分を隠すことが肝要かと思われるが、いかに」
「え? ……う、うん。そうね。その方がこれからも色々と動きやすいだろうし」
 かくしてアリーナたちは王家の身分を隠すことで旅を続けることにした。そして、クリフトの先導でテンペ村長・カラックの家に向かった。
 そのカラックについて『八勇士・闘姫傳』に若干記述がある。タダヒーサ・シマヅ王に随従した臣下のひとり、タダーモト・ニイロという人物がテンペ山砦の長に任命され、その子孫が代々村長を務めてきたと伝う。
 王家に連名さる朝臣の末裔にしては、性柔弱にして信望いささか難色有り。決断乏しきことであたら多くの子女喪わした。あまり芳しくない評価ではある。
 カラック村長の家が見えた途端、大きな怒声がそこから響いてきた。幽寂なたたずまいにあって、建物から漏れる声とはいえ、山間にこだまさんばかりである。
「何でしょうか、喧嘩をされているような……」
「とにかく行ってみましょう」
 入口の扉の前に立つ三人に、はっきりと怒声が聞こえてくる。
「俺はもう我慢できねえ! 奴らに鉄槌のひとつでも食らわせねえことには収まりがつかねえよ」
 若い男が声を割らしながら叫んでいる。
「お、落ち着くのだカルタス。そんなにいきり立っては物事を冷静に考えられぬぞ」
 かたや宥めるように頼りなげな初老の男性の声。
「これが落ち着いていられるかッ。村長、あんたは悔しくないのか。このまま黙って村が奴らに滅ぼされるのを見ていろって言うのか」
「そ、そんなことはない……ただ……ただ私たちには――――」
「もういい。あんたと話すだけで時間の無駄だ。止めても俺は行く。ニーナを死なせてなるものか」
 がたんという音がする。
「あ、待ちなさいカルタス、どこへ行くっ!」
 その言い争いに耳を傾けていたアリーナたちだったが、突然ドアが開き愕然となった。
「あっ――――」
 飛び出してきた青年と目が合うアリーナ。青年は突き刺すような視線をアリーナに向けると、すぐに身を翻すようにして去っていった。その様子に何故か気圧されるアリーナ。
「あ、あの……」
 開け放たれた扉の前で茫然とするアリーナ。
「ん――――あなた方は?」
 やがて初老の男性が、扉の前に立つ怪しげな風体の三人に声を掛ける。慌てて身をただす三人。
「あぁ、我らは通りすがりの旅の者。ご当地を訪ねたものの、人の気配なく不思議と思い、村長殿を訪ねようとしたところですのじゃが……どうやらお取り込み中のようでしたな」
 ブライが機転を利かす。
「おお、左様でしたか。それは大変お見苦しいところをお見せ申したな。ささ、何もお持てなしできませんが、どうぞ……」
 柔弱な性格は、またお人好しともいい、酷に言えば臆病とも言う。得体の知れない旅人に、いきなり持てなしをしようとするカラック村長という人物に危惧感を抱いたのは、老練なブライだけではなかった。
「失礼ですが、当地に何ら不測の事態でも」
 ご丁寧に振る舞われたハーブティーを嗜む間もなく、クリフトが代表してカラックに訊ねる。
「あ……いや――――その……」
 言葉に詰まるカラック。視線が宙を彷徨い、明らかに動揺している。
「どうしたの村長。……大丈夫よ、あたしたちに何でも言ってごらんなさい。こう見えてもあたし、武道に関しては――――」
 全てを言う前に、ブライがアリーナを窘めた。
「村長殿、我らは怪しき者ではありませぬ。この世界を気ままに旅をしながら、見聞録を記し、後世に伝えんと欲するトルバドゥールの者。危うきを助け、艱難を救うが役目なればどうか、差し支えのない範疇で、事情を伺えれば、何らかの力となりうるやも知れませぬ」
 カラックはブライの言葉に納得顔をする。アリーナはやや複雑な表情をしていた。
「実は……」
 カラックは恥を忍ぶかのように語り出した。
 ――――六,七年前から北の山砦跡に恐ろしい魔物が住み着くようになり、度々村を襲うようになりました。
 当初は村の若衆が敢然と奴らを退散させておりましたが、いつしか奴らの力が異様に強くなり、気がつけば若衆たちは一人、二人と奴らによって殺され……やがて村には奴らに立ち向かえる若衆の姿は消え失せ、年寄りや女子供のみが残されました。
 しかし、奴らは…………村が生き残るためならば、都度若い娘を牲として差し出し、鎮護に努めよ……と。 さもなくば有史以来の古村、魔王の招慰に甘んじられることになるであろう……と。
「何という事じゃ――――まさかこの村が魔物に魅入られていようとは……」
「して村長殿、このことを国王陛下にはご注進されたのですか」
 クリフトの質問にカラックは再び頭を垂れた。
「まさか陛下にご注進せず、魔物どもの言いなりとなっていたわけではありませんよね?」
 しかしカラックの反応は最悪のものだった。
「他言すれば、この村はいったいどうなってしまうのか……それを思えば、言うに言えません」
 その時だった。突然、アリーナが机をダンと叩いた。愕然となる周囲。
「ああっ、もう。黙って聞いていれば情けない。まがいなりにも人が大勢いるのに何も出来なかったって言うの? どんな魔物か知らないけど、6,7年も黙って魔物の言いなりになるなんて、信じられないを通り越してもう……呆れるわ」
「ひ、ひめ……じゃなくて、ア、アリーナさま……」
 気圧されるクリフト。
「村長、あなたがそうだから魔物たちがつけあがるのよ。いいわ。あたしがそいつをやっつけてあげる。案内しなさい」
「お待ちなされ、“お嬢様”」
 ブライが止める。
「いかなる場合においても短慮は禁物ですぞ。何事も血気に逸れば大勢を失する事に成りかねませぬ」
「え……は、はい」
 アリーナは素直に順う。
「村長殿、それなる魔物はいかなる奴らなのじゃ」
 カラックの話によると、魔物の首領は自らをカメレオンマンと称するカロン族で、凶悪な暴れ狛犬を従えているという。連中は極めて乱暴狼藉を好み、人肉を欲し続けているという。
「だからと言って若い娘たちを……」
 アリーナの声が悔しさに震え出す。
「判っているのです。しかし……むざむざと勝てぬ敵に挑み、村を滅ぼすようなことなど、村長として出来ませなんだ。……村民の心情、思えばこの身擲ちたいほどなのに」
 カラックは涙をよく怺えていた。がくがくと肩を震わせている。
「お嬢様、辛きは犠牲となる娘御だけではないという事じゃ。むしろ誰よりも辛きは村長殿」
 ブライは上に立つ者の厳しさと辛苦をアリーナに伝えようとしていたのかも知れない。そして本心はアリーナに旅を続けてゆくことを諦めさせて、このまま城に戻ってもらうこと。
 しかし、ブライやカラックの話を聞けば聞くほど、正義心の強いアリーナの胸に、闘争心が芽生え、村を脅かす魔物に対する憎悪が増してゆく。
「ブライ、クリフト」
 アリーナが立ち上がり、毅然たる様相で三人を見る。
「あたし、やっぱりそいつらをやっつけたい。このまま黙ってこの村の人たちを見殺しにするなんて、そんな……」
「な……、み、見殺しなどと人聞きの悪いことをっ。じ、じいはただ――――」
 半ば図星を当てられて狼狽するブライ。
「申し訳ございませんがブライ様、こたびは私、ブライ様に楯突き申します。神職に携わる者として村の窮状、放ってはおけません。アリーナさまと共に、穢土浄化に努めたいと」
 辿々しげに、クリフトは言った。ブライを師と仰ぐクリフトにとって、ささやかながらも面と向かってブライに反抗したのは、これが初めてであった。
「クリフト……」
 その傍らでアリーナが目を細める。正論を立てるブライだったが、さすがにこの時ばかりは分が悪かった。愛弟子であるはずのクリフトまで造反したとあっては、ソフィストの知者と化す。
「ああ、お嬢様の仰る通りじゃな。カメレオンマンなる賊魔を討ち取ることぞ天命と心得た。お嬢様なれば大丈夫じゃろう」
 すっかりと思惑を外されたブライ。年輪を刻み込んだ容貌を赤くして無言の悔しさを滲ませていた。

「さっき飛び出していった男の人……」
 アリーナは怒髪天を衝く勢いで声を張り上げていた青年が気になっていた。
「そうですね、あの方に事情を聞いてみましょう。何か有効な活路が見いだせるかも知れません」
 クリフトも同じ事を考えていた。そして、ブライには宿を確保してもらうために、そこでいったん別れ、アリーナとクリフトはカラック村長から聞き、その青年カルタスの家を訪れたのである。
 カルタスは二十二歳の若さで、村の青年団の領袖を担っているほどの剛毅な性格で、カメレオンマンらの賊魔が北の砦跡を占拠した際には、自警団を率いて討伐を計ったほどだと言う。
 しかし、結果的には犠牲を多く払い頓挫。カラック村長らの厳しい訓誡に伏してきたのだという。
「カルタスさん、お邪魔してもよろしいですか」
 クリフトがドアを叩く。しかし反応がない。
「もしかしなくても、留守?」
 アリーナがきょとんとした目で人気のなさそうな家を見る。
「まさか……たった一人で賊魔に立ち向かうつもりでは……」
 その時、不意に隣接している民家のドアが開き、主婦らしき女性が怪訝そうにアリーナたちを見た。
「あ、私たちは旅の者ですが、カルタスさんはご不在なのでしょうか――――」
 クリフトが訊ねると、主婦は一瞬不審そうに眉を顰めたが、やがて悲しげな口調で答えた。
「カルタスさんなら、きっとニーナちゃんのところさ。……可哀相にあの娘、明日の満月の夜、生贄にされちまうんだよ」
「!?」
 二人は愕然となった。
「ニーナちゃんはもうすぐ、カルタスさんと結婚するはずだったのに。……ささやかでもいい。自分たちが幸せになれば、この村もきっと昔のように明るくなるはずだって……それを信じて頑張ってきたはずだったのに……」
 言葉を失うアリーナたち。やがて主婦は訴えるような眼差しをアリーナたちに向けて声を上げた。
「あんたたち、何者か知らないけど、あの二人を助けてやっておくれよ。うっ……うっ……あたしらがいったい何したって言うのさ。なんであたしらの村がこんな目に遭わなきゃならないのさ――――」
 この主婦の一人娘も、以前賊魔の犠牲となったのだという……。
「許せない…………」
 アリーナは、声を静かに震わせていた。瞳の奥に、怒りの炎が燻り出す。
 主婦に教えられて、ニーナの住む家にたどり着いたアリーナとクリフトは、やはりカラック村長のところと同じように、外に漏れ響くほどの怒声を上げているカルタスの声を聞いた。
「やめてカルタス! あなたまで殺されてしまう。私が行けばこの村は助かるの。だから……」
 少女の悲痛な叫びに、カルタスが怒鳴り返した。
「君を守れずして何の平和か。そんなことで成り立つ平和と言うのならば、この俺が打ち砕いてやる。ああ、ニーナ、君を死なせるくらいならば、僕が死ぬさ」
「カルタスッ……お願いだから…………」
 ドアをノックするのを躊躇っていたアリーナだったが、少女がついに泣き出してしまったのを契機に、ノックもせず、いきなりドアを開けた。
「な、なんだお前たちはっ!」
 突然の乱入者に驚愕するカルタス。唖然となり、文字通り目の玉が飛び出るくらいに見開いた目でアリーナたちを見た。
「あなたがカルタスさん?」
 アリーナは眉を顰めてカルタスを睨み付ける。
「ああ、そうだけど……何なんだアンタたちは」
「あたしはただの旅の武闘家の――――」
 言いかけた時、クリフトがアリーナのマントを引っ張る。一瞬、クリフトに目配せするアリーナ。
(わかってるわよ。いいからクリフトは黙ってて)
「旅の武闘家よ。んん……そんなことはどうだっていいの。それよりもカルタスさんだっけ。女の子を泣かすなんて、あんた男の風上にも置けないわね」
「何だと――――!」
 その言葉にカチンと来たカルタス。アリーナを凝視する。
「話はおおむね村長さんから聞いたわ。……知らなかった、この村がそんな酷いことになっていたなんて……」
「あ?」
 後ろの言葉が良く聞こえなかったカルタスが顔をしかめる。
「ハッ。あの腰抜け村長め、昔からあんな調子でおどおどしてるのさ。北の砦跡に奴らが居座ってから……この村の若い女たちや、俺の仲間たちはみんな……みんなあいつらに…………」
 ぎりぎりと唇を噛むカルタス。
「奴ら……ついにニーナにまで手を出そうとしている……。ニーナは俺の恋人だ。季節が変わったら結婚する約束を交わしているんだ。そして……、そしてこの村に残された……最後の――――」
 カルタスは息を詰まらせた。
「だからって、あなたがニーナさんに代わって生命を落とそうって言うの?」
「ああその通りさ。みすみすニーナを見殺しにするくらいなら、俺が相討ちとなって奴らを殺す。そうすれば、ニーナは生きながらえることが出来るのさ」
 ニーナの悲痛な声もよそに、アリーナはじっとカルタスを見る
 やがて、呆れ気味に小さなため息をつくと、瞼を閉じ、力無く首を横に振った。
「ニーナさんだったっけ……? 悪いこと言わない。こんなヤツ忘れてしまいなさい」
 その言葉に、場は愕然となった。
「ひっ……じゃなくて……ア、アリーナさまっ! な、なんてことを」
 狼狽するクリフト。かたやカルタスとニーナは、アリーナが何を言ったのか判らず、唖然としていた。
「だから、こんな非情な男なんか、さっさと忘れてしまった方が、ニーナさんのためだって言ったの」
「な……何だとっ!!」
 さすがのカルタスも激昂する。
「アリーナさまッ、さすがに今の言葉は失言です。どうか……」
 クリフトの宥めにも応じようとしないアリーナ。
「どうして? どうして謝る必要なんかあるの? ひとりの女の子をろくに守ることも出来ずに、勝てない戦いに行って死のうとする。……こんな自分勝手で、非情なヤツいないでしょ」
「お……お前、この村のこと何にも判ってないくせに言いたい放題言いやがって」
「あら、判るわ。
 この村の男たちはみんなアンタのような連中だったのよね。
 後先を考えないでムダに命を捨てた。
 その結果はと言うと、何も変わらず……ううん、かえって魔物たちをつけ上がらせて、女の子たちが生け贄にさせられることになった。
 アンタたちの身勝手さが、殺されなくてもいいはずの多くの生命を奪った……」
「…………」
 必ずしも的外れではないアリーナの指摘に、カルタスは言葉が見つからない。
「違う? ……もしも違うって自信あるなら言ってみなさいよ。手をついて謝ってあげるわ」
 カルタスは負けを認めた。別に勝負をしているつもりはなかったのだが、アリーナに対して負けに似た感情が芽生えたのだった。
「ああ、そうだよ。結果見りゃ、アンタの言う通りだよな。俺たちはただ村のため、好きな女のために憎き敵を討つことを願っていた。だが、結局それは木に縁って魚を求むようなもんだったってわけさ」
「…………」
 カルタスは一呼吸置くと、悲しそうな眼差しを恋人に向け、やるせない思いで叫んだ。
「でもな、わかっていてもじっとしちゃいられねぇもんなんだよ、男ってのはっ!」
 
 ……この村の男たちはバカだから、好きな女を守る術はそれしか思いつかねえんだ。
 誰だって、死にたくはなかったさ。俺だってそうだ。
 出来ることなら……いや、絶対に死にたくなんかねえ。これからニーナと一緒にたくさんの思い出を作って行きてえ。子供も四人……五人は作って、家族でこの村、盛り上げてさ。
 春は梅林でピクニック、夏は山を下った海岸で遊び、秋は色づく山に駆け、冬は新雪に犬橇を滑らす……。
 男たちはみんな悔しがりながら死んでいったんだ。
 それを非情、身勝手、無責任などと、何も知らないアンタに俺はともかく、村の男たちが貶される筋合いはない。
 
 確かに、カルタスの言葉にも一理ある。
 だが、アリーナもひとりの女として、力説するカルタスの側ですすり泣くニーナの心情を慮ると、どうにもこうにもカルタスの言葉に納得できなかった。
「村長はお城に駆けつけなかったって言ってたわ。あなたもそうなの? 生命を擲つくらいの覚悟があるなら、まずお城に行っておと……王様に陳情すべきだったんじゃない……」
「お上は信用しない」
 カルタスは吐き捨てるように言った。愕然となるアリーナとクリフト。

 ……峡東押領使が来なくなって七、八年になる。
 聞けば何でも魔王復活の凶兆による軍備増強なんたらで、財政の逼迫と、お城の姫さまが素行不良とかで、任命できなくなったんだってことさ。
 金がないのは一概に納得できたとしても、お姫様が不良だからと言うのが理由で、領地視察の役人が来られないってのは随分滑稽じゃねえか。

 ぴくんと、アリーナのこめかみが痙攣した。
 『素行不良の姫』
 自分のことが国内でそう伝えられていると言うことに反応したのだ。
「あの腰抜け村長に構わず、俺たちは何度となく城下に足を運んださ。……だがな、お上も悠長なもんだよな。『検討する』の一点張りで仕舞にはしつこいという理由で門前払いさ。はははっ」
 怒りを押し怺えて失笑するカルタス。ニーナも肩を震わせて怒りをあらわにしていた。
(そんな……そのような訴状、受けたこと聞いたことありません……)
 クリフトがアリーナの耳に小声で囁く。
(本当?)
(ああ、疑うなんて酷いです姫さま。ブライさまにも聞いてみて下さい……)
(信じてるわよ。…………お父様……本当なの……?)
 テンペの村が被り続けている惨状を聞き届けようとしない、賢文王と廷臣の批判をするカルタス。しかし、どうも彼が嘘を述べている風には聞こえない、まして賢君と謳われる父がそのような対応をしているとは思えなかった。
「きっと……何かの事情があったのよ」
「ああ、そうだよな。お姫様の尻ぬぐいにネコの手も借りたい時に、この村の事まで手を伸ばす“ゆとり”はないよなぁ――――」
 カルタスはぐっと怺えるように唇を噛んだ。
「…………」
 アリーナは激しいショックを受けた。
 おてんば姫などと揶揄されてなお、武道に勤しむ日々にあって、カルタスほどに悔し涙すら枯れる思いを抱き、宮廷を恨む人々がいると言うことに。
 そして、彼の言葉はそのままアリーナに対する忿恨でもあったのだ。
「おてんば姫が代わりに生け贄になって欲しいぜ……そうすりゃ王様だっていくらかは俺たちの無念がわかるってもんだろ」
「カルタスッ! 言い過ぎよ」
 カルタスの暴言に思わず大声を上げるニーナ。
「言い過ぎなんかじゃねえよッ! お上にとっちゃ所詮俺たちのことなんてどうでもいいと思ってるのさ。自分たちが同じ目に遭わなけりゃ決してわからねえ。いや……わかろうとさえしねえんだからな」
 ここぞとばかりに、カルタスの口からは鬱積していた思いが飛び出してくる。
 カルタスたちは知らぬ事とは言え、面前のアリーナとクリフトは彼の言葉に、ただ恥じ入るばかりであった。
 
 ……ま、アンタたちにこんな事言っても仕方ねえがな。
 ……でも、アンタの言うことも一理あると思うぜ。
 いや、一理どころか、アンタの言う通りかも知れねえ。
 でもな――――こればかりはどうしようもねえんだよ。
 
 逃げても賊魔は追いかけ、生贄を殺し喰らった。
 何人もの男女が村を捨て逃げ延びようと懸命になり、死んでいったのか、思うだけで血を吐くほどの無念さが沸き立つという。
 アリーナがいくら言ったところで、若者たちに選択肢はないに等しかった。
 
 呪われし村――――。
 
 カルタスがそう呟いた途端、ニーナはわっと泣き出す。
 アリーナは居たたまれなかった。安直に城を飛び出し、わずかの時間でも、鼻歌交じりに力試しの旅などと託けていた自分自身を恥じた。
 そして同時に、ここまで村を苦しめている、カメレオンマンという賊魔を思い、身体中にぞくりと寒気が奔った。アリーナ、生まれて初めての戦慄だった。