第2章 おてんば姫の冒険


峡東の古都に見違いし贋者、闘姫悉く混迷の事
軽佻浮薄の主従、神官の諭し大いに怯臆のこと

峡東・フレノール

 魔物に散々打ちのめされたのか、果てさてただの金欠のために宿場に留まることすら出来なかったのか。衣服が所々すり切れ、足元すら覚束ぬ三人連れが、海を見下ろす町の影を彼方に見つけると、途端に気勢が上がる。
「街だ……街が見えますよ」
 第一印象が沈着冷静で頭脳明晰とばかりの若い男の方が、それまでの鬱々とした表情を一転させる。
「まさしく。ワリフト、早く宿の手配を」
 第一印象がいささか狡猾な風のお調子者と言った感じ。短髪の壮年の男が得意気にワリフトと呼ばれたその若い男に命ずる。
「あんたに言われたくはないです」
 即座にそう切り返し、憤慨するワリフト。すると、息を切らしていたもう一人がぬっと顔を上げる。
「プライ、ワリフト。ケンカは後にして、さっさと宿なり食べ物なり調達してきてよっ。あたし……お腹が空いてもう――――」
 語尾が消滅してしまう。亜麻色のショートヘアを僅かに乱しながら、少女は顔面蒼白、今にも崩れそうなほどふらついている。
「わかっています。もう少しの辛抱ですから、ここで倒れないで下さいよ。プライさん、メイのこと頼みます。くれぐれも、です」
 ワリフトの念押しに、プライは乾いた笑みを見せる。
「任せておきなさい。御事が無事、宿の手配を遂げた頃には到着するからな」
「はぁ――――――――」
 半ば失望のため息まじりに、ワリフトは踵を返し、一人、遠方の街へ向けて小走りに駆けていった。

 サントハイム王室開闢の祖タダヒーサ・シマヅ王による、峡東地方統合の拠点となったフレノールは、王家シマヅ氏の一族、イジュイン氏の統治の下で繁栄してきた。
 『尊卑正譜』には、世戦時代終息の余波を受けて、当時のフレノール領主、タダームネ・イジュインが、王家反逆の意図有りとされて追罰、タダームネは処刑され、イジュイン家は滅亡したと伝えられる。
 しかし、なおも軍備の増強を怖れた王家は峡東追領使を新設、フレノールの蓄財を抑制せざるを得なかった。
 今でこそ安定し、陽光と潮風に満ちた平穏な佇まいを連ねるこの街だが、最大経済大国エンドールに近く、バトランドとサントハイム王国との要衝に当たる地が、否応なしに戦禍に巻き込まれ、繁栄と衰退の歴史をその土壌に刻むのは運命の皮肉なところであろう。
 フレノール青果市場。新鮮な野菜や果物、魚介類などが溢れ、笑い、雑談、競りの掛け声が交錯するなど賑わいは絶えず人も多い。さすがに峡東最大の街だけある。
「おい、聞いたかよ」
「何が」
「なんでも、サントハイムの御姫さんがお城を脱走したとかってよ」
「ああ、おてんば姫とか言われている姫さまだろ。知ってるよ」
「テンペの村を牛耳っていた魔物共を一蹴したって話だぜ」
「さすがだな。困っている国民を救う程の勇敢なお姫様で、国王陛下も鼻が高いってか」
「おてんば姫の面目躍如と言ったところなんだろうがな。……何でも、表向きお忍びの旅と言うことらしい」
「んー、ってことは、もしかしなくても孰れこの街に――――?」
「可能性は無くないな」
「本当かいな。だとしたら、一度お目に掛かりたいもんだ」
「話によると、お姫様は二人の従者を引き連れているらしい――――」
 男たちの会話は続く。興味本位で男たちの話が、水の波紋か、伝言遊戯のように広がってゆく。
 それが噂話となって街中に広がるのにはそうそう時間は掛からない。
「ふぅ……やっと到着とは――――」
 あの距離から街まで意外に遠い。ワリフトは街の入口に辿り着くと、遂にへろへろになってしゃがみ込んでしまった。
「全く――――黙ってエンドールかブランカにいれば良かったんです」
 ぶつぶつと愚痴をこぼすが、悪戯に時を費やす。空腹が襲う。
「取りあえず、手頃な宿を探しましょう」
 まるで老人のような重い動作で立ち上がると、ワリフトは気を取り直して宿を探索する。
 混在する石壁や木造の建造物。店屋などの看板なども比較的大きくて見やすい造りなのは、さすが交易も兼ねた、旅人や商人への気配りを感じさせる。
「近くで人に聞いた方が手っ取り早いか」
 時機の空白か、不思議なもので、街に入ってから、一人の住民とも出会わない。ワリフトは取りあえず近場の道具屋の扉をくぐった。
「あの……お訊ねしますが――――」
 すると、店内で会話をしていた複数の住民が、一斉にワリフトを振り向く。
「――――そうそう、ちょうど男の一人の方は、あんな感じで――――」
「――――え?」
「は――――?」
「………………」
「………………」
 店内の空気は、一瞬、止まった。

数日後

「それでは、私が先駆けて参りましょう」
 フレノールの街影を確認したクリフトが、歩を進めて振り返る。
「大丈夫?」
 心配そうな様子のアリーナに、クリフトは微笑む。
「取りあえず、宿の手配を済ませて、為替の交換もついでに……。ブライさま、よろしいでしょうか」
 自らの腰を気遣うブライに振ると、ブライは顔を赤くして怒鳴る。
「長の緩き下り坂、骨身に染みるわ。ええいクリフト、さっさと駆けて休ませんか」
「私もそろそろ、お風呂に入りたいなあって。……手数かけちゃうね、ゴメンね、クリフト」
 片目をつむって謝る美少女に、クリフトは赤面し、動揺する。
「何のこれしき。アリーナさま、今しばらくのご辛抱を」
 ぺこりと頭を垂れると、クリフトは小走りに街へと向かった。
 テンペの村を出て五日。旅のネックには大分慣れてきたアリーナだったが、さすがに先日の暴れ牛鳥との激闘で砂埃をまともに被ってからは、身体中どこかざらざらして落ち着かず、寝付きも悪すぎた。
 河原での行水としようにも、この附近には小川どころか、沢すら流れていない。海は近かったが、どうも岩壁が連なり、かつ海上の魔物が獰猛な動きを見せているという話から海水浴などという洒落込みとはほど遠い状況。
 『旅とはこういうものだ』とブライは突き放すが、クリフトはアリーナを常に気遣い、フレノールへの道を駆けたのだった。

 先駆けて数時ほどが経ち、陽光が中天に差し掛かる頃、クリフトはフレノールの街に到着した。
「…………」
 街への入口に立つ、守衛の民兵が訝しげにクリフトを見遣る。
「う――――ん……」
 民兵に代表されるように、クリフトは街のどこかしか張りつめた緊迫感を感じ、唸った。
「もし。何か大事でも起こりましたか」
 通りすがりの壮年の男性に尋ねると、男性は口をへの字にして苦笑した。
「大事も何も、一大事さ。何と言っても、サントハイムの王女様がご訪問されてるって話だからな」
「え――――――――?」
 愕然となるクリフト、男性は何とも取れない表情で、そそくさと去ってゆく。
(どういうことだ……)
 しかし、立ち寄る場所の悉くが『サントハイムの王女ご一行』の話で持ち切りである。
(私たちの事が露見した……?)
 クリフトは兢々となった。しかし、誰一人として、クリフトを『従者の一人』として疑う者はいない。それどころか、全くの素通りである。
 いささか拍子抜けしたクリフトは、どことない居心地の悪さを感じつつ、宿へと向かった。

旅の宿『臨海亭』

 メイ・ワリフト・プライと名乗る三人組は、目の前のテーブルに陳列された豪奢な料理に、しばらくの間、目が点になって固まっていた。
「良いのかな……」
 メイが呟く。
「バレたら、ただではすまないぞ、ワリフト」
 プライが飄然とそれに与りながら言う。
「まあ、せっかくだから頂いちゃうけどね☆」
 至福の表情でメイもまた芳ばしい香りを放つステーキにナイフを突き刺す。方やワリフトは、過度とも言える宿やフレノールの住民たちの持て成しに、なおも戸惑いを隠せず、なかなか食が進まない。
「何迷ってんのよ、アンタ。あたしたちは、この街の人たちの期待に応えてるだけなのよ?」
 メイが言う。プライもまた、迷うワリフトを言い諭す。
「勘違いもまた、運命というものだな。時機が来れば、ずらかればいい」
「簡単に言いますね。私は少なくとも、あなたみたいな、いい加減な性格じゃないですから」
 憤慨するワリフト。メイはにこりと笑いながら、生真面目そうな青年を見る。
「いちいち考えてたってどーしようもないでしょ? 今はただ食べるのみ。食べるのみよ。うん、美味しいっ!」
 ワリフトがサントハイム王女一行の従者の一人と勘違いされてから数日。メイたちがフレノールに到着した瞬間、嵐のような歓迎・歓待が彼女たちを待っていた。
 初めは戸惑いを隠しきれなかったメイだったが、ワリフトから事情を聞くと、急に乗り気になってしまった。
(だったら、王女様になればいいじゃない)
 プライも煽った。
(旅芸人としての腕の見せどころですな)
 かくして、メイは隠密で巡察の旅をしている、サントハイムの王女とし、プライはその従者で傅役とし、ワリフトはプライの弟子の神官という役を演じる事となった。
 メイたちの演技力は図り知ることは出来ないが、少なくとも素性に綻びを発しないところを見ると、それなりの役者であることを伺わせる。
 先日、メイたちの元に、フレノールの商家の主と言う老人が、献金を申し入れてきた。
 貝から採れる宝石の生産を主に交易を重ねてきた交易商とされ、何と二万ゴールドに上る額を提示してきた。メイたちはさすがに腰を抜かしたが、金銭欲のあるプライはそれを受け容れようとした。
(くれるというものを断ることはない)
 しかし、ワリフトが率先しそれを拒否し、メイもまた、あまりの高額に躊躇いを打ち消せない。
(悪銭身につかずという言葉、知ってるか)
(だめ。何か、それってまずいかも)
 旅芸人風情が一生かかっても稼ぐことが出来るかどうか解らない金額に、兢々とするメイたち。
 結局、献金は断ることにしたが、それがかえってサントハイム王女一行の清廉潔白ぶりを広め、名声は高まってしまった。正体を打ち明けるきっかけが、ますます遠退いてしまう結果となってしまったのだ。

「……と言うわけでして、お一人様用となってしまいますが、構いませんか」
「あ、はい。部屋の方はどこでも構いません」
「では、そう言うことで」
「前金をお支払いいたします」
 『王女一行』の逗留宿として、一般旅客の宿泊は規制しているという。申し訳ないという宿の主人の顔はそれでも喜びを隠しきれない。王女逗留の宿という肩書きはやはり大きいのだろう。
「ひとつお伺いしても、よろしいですか」
「ええ、何でございましょう」
「サントハイムの王女様とは、どう言った方々なのでしょうか」
 クリフトの質問に、宿の主人の顔はなおも綻ぶ。
「それはもう、さすがは名だたるシマヅ王家の姫君でございますなあ。物腰特に柔らかく、清楚で、上品で。お付きの方々もさすがはお上の気品に満ちた方々でございますよ。人伝の噂とは、アテになるものではありませんなあ」
「清楚で、上品…………」
 クリフトは心の中でこぼれる笑みを隠した。
(姫さまは、御心がそうなのだ。しかし……)
「同じ、旅の神官として、ぜひご尊顔を拝したいものです」
「おお、あなたも王女様に――――。わかりました。せっかく当宿にご逗留頂けるのです。私から、奏上してみましょう」
 宿の主人は上機嫌なのか、逡巡することなく、クリフトを王女が居るという部屋へと案内する。
「王女様、大変失礼いたしますが」
 扉越しに声が返ってくる。
「どうかなさいましたか」
「旅の神官殿が、ご尊顔を拝したいと」
「…………」
「王女様?」
 しばらく沈黙が続いたと思うと、徐に言葉が返ってくる。
「良い心がけです。お通し下さいな」
「ははっ」
 宿の主人が手招き、クリフトはその部屋へと足を踏み入れた。
 クリフトが宛がわれた部屋とは格段に違う、広くて豪華な、いわゆるスイートルーム。フレノールに訪問する各国の政府高官や、上級官僚のためのビップルームであり、規模は違うが、サランの宿にもある。
 その豪華な部屋に備え付けられたソファに、らしいドレスを纏い、金冠を被った少女が、得意気に腰掛け、クリフトを見下ろしていた。傍らに、話に聞いた従者らしい二人の男性が立っている。
(この三人が……姫を騙っていると言うのか――――)
 クリフトから見れば、アリーナを装う少女は、格好こそ貴族の令嬢さながらのものであったが、漂う気品は無く、一瞥しただけだが顔立ちも、それほど惹きつけるほど美しい訳ではない。
 従者の二人もまた、どこぞの者とも知れぬ不逞の輩に格好だけを付け合わせたようなものであった。
(サントハイム王女一行とは――――)
 騙されているフレノールの人々の見識はともかくとして、今ここでこの贋者たちの素性を暴き、警吏の手に委ねることは簡単だった。
 しかし、クリフトは何となく今すぐにそれに及ぶことはないだろうと思った。
「ご尊顔を拝し、恐悦至極に存じます」
 恭しくそう、挨拶した。
「ほほほほ。わざわざ目通りを願うとは殊勝な心がけですね」
「サントハイム王女・アリーナさまであらせられる」
 少女が高笑いをした後、壮年の男がそう言う。
「旅の神官にて、クリフトと申します。以後、お見知りおきを」
「な、なにっ……クリフト……?」
 青年のほうが驚いたように目を剥く。
「いかが、なさいましたか」
「……い、いや。何でもない。気になさらぬように」
「……ところで姫さま。フレノールにはどの様な君恵を」
「く、くんけい……とな?」
 少女があからさまに兢々としながら、目で従者に合図を送る。
「姫は近年の悪しき風説に惑う国内の事情を慮られ、去る日特に陛下に願い巡察の旅にお出になられた。君臣蒼氓、心を一にして国難に立ち向かうことを目下の冀望とされる」
 壮年の男が流暢に論ず。
「寛大なご配慮だとお見受けいたします」
 クリフトは思った。
(なるほど。理は通っているか)
「国領は往々にして魔帝の威に恐悸冷めやらず、姫の心中、量るに余りある」
「ごもっとも」
「ゆえに、神官殿もよく四海を巡り、人心を導き、よく安寧たらしめることを望むものである」
「はっ――――恐れ多きお言葉でございます。このクリフト、しかとこの胸に」
 感心するクリフト。一方、論ずる壮年の男を、半ば呆けた表情で見ている、少女と青年。
「しかし、さすがは勇名高きアリーナ姫さま。目下、その高徳をして山村の窮地をも救われたのでしょう」
「む……?」
 一瞬、口籠もる男。
「伝え聞けば、何でも数年に及び、賊魔の手に罹っていた悪しき風習を見事に打破され、素性も告げずに立ち去ったとか」
「そ、そ……そうなのだよ、はっはっは」
「ご当地では心ならずご身分があからさまとなり、歓待をお受けに――――」
 クリフトの言葉に、やや顔色が青くなって行く感じの少女と、男たち。
「ま、まあ良いではないか。これも民の厚意なれば、それを受けるのは当然のこと」
「さすがは姫さまです」
 微笑むクリフト。しかし、急に居心地の悪さを感じた青年が、声を尖らせて言った。
「姫は巡察にてお疲れでございます。神官殿、今日のところは、これにてお引き取りを」
「これは……つい長居をしてしまいました。はい。では姫さま、良き旅を――――」
「う、うむ。ご苦労でした――――」
 苦笑する少女。クリフトは恭しく拝礼すると、宿の主人に導かれるように退出していった。

「……たあぁぁぁっ!」
 しばらくして、声を上げてソファに倒れ込むメイ。
「疲れた――――!」
 プライもまた、がくりと卓に伏す。
「何、あの男。いちいちうるさいのね」
「…………」
「それにしてもプライ、あんたってすごいのね。何を言ってるのか、解らなかったわよ」
 するとプライ、徐に懐から本を取り出す。
「今はどこの宿にも、それなりの史書は置かれている」
「なーるほど。受け売りとかってやつ?」
「役者たるもの、台詞憶えることが命」
 ため息をつくメイ。
「むう……」
 メイのため息と同時に、扉をまっすぐに見据えていたワリフトが、唸る。
「どうしたのワリフト」
「あの神官、まさか――――」
 ワリフトの声は、そこはかとない不安に満ちていた。

 陽光が橙色に変わる頃、ようやくクリフトが引き返してきた時、アリーナは街を目前にして木陰にて微睡みの境地にあり、ブライもまたクリフトを待ちくたびれたのか、書物を開いたままうつらうつらとしていた。
「遅くなりました……」
 クリフトがか細い声で声を掛けると、ブライはくわっと瞠目し、雷霆の如き大喝を発する。
「遅いッ!」
「うー……ん……むにゃ……」
 長の旅の途、羽を休める渡り鳥すら一斉に飛散せんばかりの老師の大喝にも微睡みが吹き飛ばぬアリーナは大したものであろう。慣れとは実に怖ろしいものである。
「宿を取るのにここまでかかるかのう。どこぞで油でも売っておったか、このたわけ者めが」
 戦々兢々とするクリフト。
「ブライ様、それが――――」
 クリフトは端的に事の経緯を話すと、老師の表情はますます歪む。
「涯分を辨えぬ不逞の輩め。よりにもよって我らを騙るとは天をも恐れぬ所業よ。……良い。クリフトよ、そ奴らのところへ案内せい。このブライが叩きのめしてくれるわ」
「お待ちくださいブライさま。確か私たちは一応、隠密の――――」
 老翁は短気とばかりにクリフトに宥められる。
「むう……しかし、そ奴ら何者じゃ。仮にも我らを騙るにしてはすぐにでも綻びが出そうなものじゃが……」
「名うての俳倡なのでしょうか」
「まあ、孰れにせよ贋者は所詮、贋者よ。いずれ襤褸が出て自業自得の監獄行きとなれば、放っておいても差し障りはあるまい」
「そう……なのですが――――」
「む? 何か気になることでもあるのか、クリフト」
「い、いえ……」
 クリフトは微睡むアリーナを一瞥し、慌てて首を振る。
「まあ、良いわ。それよりも姫を起こそうにもこれでは埒があかぬ。そなたが背負って宿までお運び申すのじゃ」
「え……、わ、私がですか」
 途端に赤面するクリフト。
「そなた以外に誰がおる。まさか、姫をここに残しておくわけにはゆかんじゃろうが」
「そ、それはわかっておりますが……」
「何を今更照れておるか馬鹿者が。テンペの村で、肌襦袢の姫を堂々と背負っておったくせに……」
「あっ、あれは……その――――」
 ブライに言われ、急に思い出す背中越しのアリーナの身体の感触。柔らかい胸、弾けそうなほどの太股。
 急に身を屈め、顔を覆うクリフト。
「ええい、良いから早く背負うのじゃ。陽が暮れてしまうわ」
「は、はいぃ……」
 クリフトは強く催促され、アリーナの前に背中を向ける。
「あ、アリーナさま。私めの背中に……」
「むにゃ……すぅ……」
 微かに身じろぐアリーナ。
「あの……アリー……ナさま?」
 逡巡する若い神官に、ブライの苛立ちは募る一方だ。
「ええい、まだるっこいのう」
 見かねたブライがつかつかと歩み寄り、アリーナの腕を引っ張り、クリフトの肩に廻す。
「あ、ブ、ブライさま……」
「う、う~ん……」
 すると、アリーナは無意識にクリフトの服をぎゅっと握った。
「…………」
 ブライは何も言わずに先に立って歩いてゆく。
「ア……アリーナさま……参りますよ」
 小さくそう呟くと、クリフトは立ち上がった。本当に、アリーナは軽い女の子だ。
 よくこんな華奢な身体から、あのような強靱な破壊力を出す闘技を繰り出せるのか、いまだにクリフトには理解できないものがあった。
「すぅ……すぅ……」
 肩越しに感じるアリーナの寝息、少し顔を横にずらすと、少女の無邪気さに満ちた、愛らしい容がそこにあり、はずみがかかると思わず唇同士が触れてしまいそうなほどだった。
 近すぎて、遠い存在。
 クリフトの切なき苦悩を後目に、またひとつ、三人を巡る運命はゆっくりと、確実に動いてゆくのであった。