三国志/登場新武将100人紹介

西菁

(一)


【蔡 夏】 字:安雄 (さいか あんゆう)
武力84 知力82 政治76 魅力83 
応射 収拾 無双 一騎 火矢 扇動 鼓舞 罵声 聖痕 鍛錬
相性75 寿命1 野望14 義理14 勇猛6 冷静5

852 ~ 888

西方異民族・西菁の王。聖大聖羅の武帝・聖羅光仁に征伐されてから五〇〇年間、圧力を余儀なくされていたが、摂政・癸延の専横によって衰退し始めた中原に乗じて西部諸地域を侵食。黒馬を揃えた西菁騎馬軍団は官軍を震撼させた。連戦連勝を重ね、一時期は国都掌握の期を手にしたが、奉帥河にて北方異民族・朔乎の英雄胡容贇と会戦。勝利一歩寸前で負傷し、逆転敗北を喫す。その傷が元で死去。享年37。西菁を中心とした万民平穏を幟旗を掲げ、天下統一の最先端に斃れた蔡夏の意思は、嫡男蔡理・娘蔡叡へと受け継がれる。

【蔡 理】 字:琳燭 (さいり りんしょく)
武力83 知力72 政治71 魅力88
調教 応射 無双 突撃 一騎 修復 火矢 鼓舞 罵声 聖痕 鍛錬
相性75 寿命5 野望15 義理14 勇猛7 冷静5

870 ~ 904

蔡夏の息子、西菁の皇子。生まれつき聡明で勇猛な性格だった。11才で朝覲し、西菁の金吾少校尉となる。16才で中原を支配していた聖大聖羅王朝の混乱に乗じて父蔡夏、妹蔡叡とともに西部地域を侵食。西菁軍が通った地域での略奪行為を厳しく禁止布告するなど、人道に優れた将軍として、地域を越えて人々に慕われる。聖大聖羅の奸臣駆逐を別に、奉帥河の会戦で北方異民族の朔乎の王・胡容一族と戦う。そこで胡容贇の娘・胡容蘭と宿命の出会いをする。敵味方を越えた尊敬心と情、そして天下一統の意思を託された両雄の関係は大陸を巻き込んだ一大戦国ロマンとなって行く。889年、聖大聖羅王朝との講和として王女瓊雲と結婚。一子・蔡嶐を儲ける。904年、朔胡王・胡容蘭と晴夏公女・裴宣芳連合軍と会した火秋山の戦いで流れ矢に当たって陣没。享年35。

【蔡 叡】 字:美瑛 (さいえい びえい)
武力46 知力95 政治81 魅力94
諜報 収拾 偵察 虚報 水攻 鼓舞 鬼謀
相性75 寿命2 野望6 義理12 勇猛3 冷静6

873 ~ 900

蔡夏の娘で、蔡理の妹。生来、身体は弱かったが、古典兵書を熟読、7才にして暗唱するほどの鬼才を見せる。西菁の都で安穏に暮らすはずだったのだが、外界に出てみたいという強い好奇心に押されて家出同然に飛び出し、父や兄を困らせたことが幾度もある。聖大聖羅王朝の衰退に伴う西菁軍の西部地域侵攻に際し、父と兄は蔡叡の同行を強く拒否したが、その熱意に、蔡叡の母の助力もあって同行を許され、副軍師後軍校尉に任じられる。父や兄の考えをはるかに超え、蔡叡の提言する策は的中を重ね、西菁の中原制圧に大きな布石を残す大功績を残した。19才の時に蔡理の片腕・鍾岱と結婚。翌年、一子・蔡瑛を産み、家庭的にも幸せを得たが、28才にして病死した。蔡理は「この世に二つとない我が頭脳を失った」と一月の絶食をして悲しんだ。

【蔡 嶐】 字:峻達(さいりゅう しゅんたつ)
武力80 知力87 政治85 魅力94
調教 応射 収拾 無双 突撃 一騎 火矢 扇動 鼓舞 罵声 聖痕
相性75 寿命5 野望15 義理13 勇猛6 冷静5

890 ~ 948

蔡理の嫡男。母は聖大聖羅朝の王女・瓊雲。祖父蔡夏、父蔡理の血を色濃く受け継ぎ、「聖大聖羅の峻帝(初代皇帝)たらん」と評される神童と言われた。蔡嶐自身も幼い頃からその期待に反しない活躍と成長の片鱗を見せる。13歳のときに父が火秋山の戦いで戦死すると、気丈にも混乱する全軍を一喝し、隊列乱すことなくその名の通り、名誉ある撤退を敢行させ、早くも大王としての片鱗を見せつけた。
父と同じく、朔胡の女王となった胡容瓊と因縁の対戦をするも、内心、戦乱を長引かせることを忌み嫌っていた平和主義者でもあった。長年の戦乱を終息させる天命を背負うように、その英才を924年、33才にして宿敵・胡容瓊を王妃として迎えることを決断。ここに60年以上に及ぶ大陸の戦乱を終結。天下を統一した。

【蔡 瑛】 字:瓊華(さいえい けいか)
武力29 知力93 政治79 魅力95
諜報 偵察 虚報 穴攻 鬼謀
相性75 寿命0 野望10 義理14 勇猛3 冷静6

893 ~ 915

蔡叡と鍾岱の間に生まれた娘。蔡嶐の従妹。母の薫陶を受けて幼い頃から知謀に秀でる。気の強い、負けず嫌いの性格は父鍾岱譲りと言われた。13才にして早くも母以上の才略と評され、軍議に参加、蔡嶐の隣にちょこんと佇む蔡瑛の姿に、群臣は否応なく和んだと言われる。その献策は前後の損益を的確に示したわかりやすさで、末端の兵卒に及び支持され、慕われた。蔡嶐を密かに慕いつづけていたが、奥手な蔡嶐は遂に蔡瑛の気持ちに気づくことはなかった。失意の蔡瑛だったがそれでも西菁のために尽力。身体の弱さまで母譲りだったか、朔胡との戦に従軍し、埃を吸い続けていたのがたたったか、915年、23才にして蔡嶐に思いを告げることなく病死。後に蔡嶐が彼女の思いを知った時、激しく泣き崩れたという。

【鍾 岱】 字:玄高(しょうたい げんこう)
武力94 知力51 政治32 魅力79
無双 突撃 一騎 強行 火矢 罵声 鍛錬
相性80 寿命3 野望8 義理12 勇猛7 冷静4

863 ~ 901

西菁の武将。白熊を素手で打ち殺すほどの剛腕の士で、強弓が得意。蔡夏の家臣として西菁初期の国力増強に多大な功労を重ねた。蔡理の武芸の師範でもあり、蔡理からは兄のように慕われていたという。
蔡夏指揮する西菁軍の西部地域侵攻では先鋒として出陣。聖大聖羅軍の勇卒五十余名を討ち取るほどの功績を挙げ、「白戎(=西菁)に神弓・鍾玄高あり」と勇名を轟かせる。
蔡夏が没し、蔡理が新王となると名実ともに大将軍・総軍元帥となり、国軍の指揮をゆだねられるまでになった。蔡理の妹・蔡叡を妻に迎えて、一人娘・蔡瑛を儲ける。901年、朔胡軍と会した渓蛮嶺の戦いで、胡容蘭の謀臣班紗の密計にはまり、峡谷に誘い込まれたところを乱箭を浴びて戦死した。享年、39才。

【鍾 華】 字:貴蘭(しょうか きらん)
武力25 知力91 政治84 魅力93
反計 収拾 偵察 修復 虚報 鼓舞
相性80 寿命3 野望4 義理13 勇猛2 冷静7

867 ~ 919

鍾岱の妹。西菁随一の才色兼備と言われた。幼少の頃は兄とともに行動し活発的な少女だったが、そのお転婆ぶりを揶揄されて憤慨し、兵書に親しむようになり蔡夏王にその才を認められるまでに成長した。その才能は、軍師として戦場を指揮するのではなく、女性らしい繊細な面を活かした気配りと目配りで、軍師の不足分を十分に補うというものだった。蔡理の姉貴分的存在でもあったため、特に信任が厚かった。奉帥河の戦いでは本国に在していたため、蔡夏の命を縮めたとも言われる。因果は巡るというのか、904年の火秋山の戦いでも、鍾華は胡紅蘭と共に趙遐軍と戦っていたため、蔡理が陣没した。このことがあったのか、新王蔡嶐は、鍾華を太母勲に任じ、側から離さなかったという。919年、病没。

【胡 紅蘭】 字:華凛(ここうらん かりん)
武力95 知力61 政治57 魅力90
応射 無双 突撃 一騎 火矢 罵声 鍛錬
相性62 寿命5 野望10 義理12 勇猛6 冷静3

873 ~ 904

流浪の女剣士。両親が聖大聖羅の憲兵に殺害されたことから聖大聖羅への憎悪を深める。独自流に剣・槍・弓などの武芸を修得、闘剣士として生活の糧を稼いでいた。886年、西部地域に侵攻してきた西菁の王子蔡理と出会い、武芸の勝負を挑む。結果は胡紅蘭が勝利したが、蔡理の非凡な性質を知り、その“盟友”として、蔡理の家臣となった。
鍾岱と比肩し、右将軍の地位に就き、国軍を統括。美貌の女将軍と言うこともあってか、兵卒の心情は、鍾岱よりも強かったらしい。蔡理に寵愛され、その一子胡青蘭の父は、蔡理というが、胡紅蘭はそれを否定している。
904年、火秋山の戦いで、窮地の蔡理を守るように戦死した。享年32。

【胡 青蘭】 字:芙凛(こせいらん ふりん)
武力94 知力49 政治42 魅力88
無双 突撃 一騎 強行 火矢 扇動 罵声 鍛錬
相性62 寿命5 野望9 義理10 勇猛6 冷静3

895 ~ 956

胡紅蘭の娘。父親は西菁王蔡理という話だが、母がそれを否定している。母親譲りの勇猛な性格で、とにもかくにも気が強い。蔡嶐とは5才違いの幼なじみだが、彼女の気迫には常に押され気味。10歳で母が蔡理王を守るように戦死すると、その蔡嶐とは微妙な関係となる。人前での喧嘩を憚らない姿は半ば公然の仲を象徴するようだったと言う。気は強いが忠義心は篤く、蔡嶐の命令には絶対的に従うなど、公私の区別はきっちりとつけていた。朔胡との会戦で西菁の武の要として、虎威将軍・雄輝侯となり、先陣。923年、驃騎将軍。翌年天下一統の勲功として車騎将軍・上平公となった。