竹林の中にある鳥越の峠の茶屋跡 古井戸が残っています 2006年5月
明治29年に熊本の第五高等学校の英語教師として着任した漱石は、翌30年の暮れ友人山川信次郎と共に小天の里へ旅に出掛け、この体験が後の小説「草枕」として発表され漱石の代表作となりました。この峠の茶屋は、漱石が道中立ち寄り「草枕」の中で『おい、と声を掛けたが返事がない・・・』の名場面で知られています。茶屋は裏手の竹林の中にありましたが昭和10年頃に解体され、当時から掲げてあった看板だけが残っています。なお、漱石はもう一つの峠の茶屋(野出)にも立ち寄っており、小説では二つの峠の茶屋が一つに描写してあるのではないかと考えられます(案内板より)
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